« 俳句の技法(承前) | トップページ | 胡志明生誕107年 »

2007/05/18

あいまいな日本語の不戦

漢詩というのは、たとえば「春眠不覺暁」のような五言絶句の起句くらいであれば、たいていの日本人は読むことができるので、つくる方もなんとなくできるんじゃないかという錯覚を覚えますが、これもやはり外国語には違いないので、素人が一知半解で漢詩文もどきをつくるとよろしくないようで。
以下『漢詩逍遥』一海知義(藤原書店)の「漢文教室―超初級編」という一文より。

日本と中国のある都市同士が、友好都市の関係を結びました。
日本側の市長は書が得意だったのか、さっそく、
  日中再不戦
と墨書して中国側に送り、これを石に刻んで公園にでも建ててほしい、と申し入れます。ところが中国側から、これでは具合が悪いので、
  日中不再戦
と書き直してほしい、と言って来ました。

日中再ビ戦ワズ。どこが悪いんだ、てなもんですが、これは典型的な日本人の漢文(もどき)なんですね。
漢文のロジックでは上にある語が下の語を支配修飾する、と一海先生は説明されています。
すなわち「日中再不戦」とあれば「不戦」という語を「再」という語が支配修飾する。こなれませんが直訳風にこれを日本語にすれば「日中は不戦を再びす」となりますので、日中両国は前に不戦の間柄であった、今回もまたこれでいきましょうね、という意味になってしまう。中国の方は、外国人だからまあ仕方ないけどさ、と思いながら、こういうときは「日中不再戦」と書かなきゃ駄目じゃんと言ってきたわけ。これも、直訳すれば「日中は再戦せず」という感じの意味になりますね。
なお、筋のよい訓読では「日中再不戦」は「日中、再ビ戦ワズ」、「日中不再戦」の方は「日中、再ビハ戦ワズ」となるようです。日本語にするとなんかどっちでも同じ意味にとれるようであいまいさが残りますが、中国語の意味はこの表現については実に明快です。

なお、一海先生は紳士ですから、この書が得意だったらしい市長さんをどこのどなたか明らかにされておりませんが、インターネットで調べますと、1962年に松尾吾策、岐阜市長揮毫の「日中不再戦」と王子達杭州市長揮毫の「中日両人民世世代代友好下去」の碑文が交換され、それぞれ翌年の1963年に碑が建立されていることがわかります。こちらのサイトには杭州市の柳浪聞鶯公園に建てられた松尾吾策市長揮毫の碑の写真も出ておりますね。
もちろん、このエピソードが岐阜市と杭州市のものであるかどうかは、確定はできませんけれども、疑わしくはあるなあ。(笑)

|

« 俳句の技法(承前) | トップページ | 胡志明生誕107年 »

c)本の頁から」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。愉快に拝読しました。
時々、中国(北京)からの留学生と漢字について楽しく語らう事があるのですが、語彙の使い方にも中国語のと日本語のとでは違いがある場合を発見します。
Lost in Translationなのか、2000年前の漢字到来の頃の中国王朝での使い方は中国の死語になってしまったのか、中国の地域によって使い方が異なるのか、、多分、Lost in Translationでしょうか?
例えば北京語で「人間」というのは「人の集まり、人の世界」という意味で「人」の意味ではない、看護婦の学問は「看護学」でなく「看理学」、看護は病人の手伝いという意味らしい。類似しているのは例えば青は青や緑の両方に使われ、ブルーの色は藍。愉快です。
数日前、日本語テレビで放映していたのには、在日中国人が許可なしに露店を出している時に日本の警察が注意している時の会話、
警察「路上に店を出したら駄目だ」
中国人「ここは路上じゃないでしょう。歩道でしょう」

しかも「中国人」は「美国人」となる。

比較的、中国語の語順は英語に似ているそうです。

投稿: でんでん虫 | 2007/05/18 22:32

そういえば「人間」は古来、中国では「世間」の意で、漢詩の訓読ではジンカンと読むように教えられましたね。日本人のつくった漢詩でも、たとえば「人間到処有青山」は「じんかん」到る処青山あり。

ところで
>しかも「中国人」は「美国人」となる。
というのはどういう意味ですか?

投稿: かわうそ亭 | 2007/05/18 23:09

中国人と書かずに美国人と書く場合があるようなのです。
街で見かける中国の銀行の中に美国〜〜〜となっている物を見かける。
実はコレは確実に確認して事実を知る必要が私にあるので、調べてみます(確実に調べてから書いてよ)。
美国人が中国人でなくて米国人であるかもわからない?
調べてみます。
ご質問に感謝します。

投稿: でんでん虫 | 2007/05/19 11:56

ご無沙汰いたしました。
江戸時代の日本人は本物の漢詩を作ることができたようですが、明治になるとそれも大分落ちて、著名人できちんと平仄に適った漢詩を作ったのは副島種臣と乃木希典くらい(?)と言います。
(大正天皇の漢詩は、多分三島中洲が手を加えているのでしょうが、本物じゃないかと思われます)
以前さる酒場で中国人留学生のアルバイト嬢に「金州城外に立つ」の詩を示してみたら、心地よい漢詩になっていると感心していました。この詩はもちろん、乃木の名さえ知らない若者で、昔の反戦詩とでも思ったようでした。
それにしても彼らは、和風の読み下しには全く不要な平仄を漢字漬けの生活のなかで自然に学んでしまったんでしょうね。大したものです。これは外国語会話能力にも通じることなんでしょうね。

投稿: 我善坊 | 2007/05/21 05:12

漱石の「正岡子規」に、
「けれども詩になると彼は僕よりも沢山作って居り平仄も沢山知って居る。僕のは整わんが、彼のは整って居る。漢文は僕の方に自信があったが、詩は彼の方が旨かった。」
という箇所がありますね。平仄は、日本人にとってはどれだけ沢山知っているか、というものだった。書き順を覚え、訓読みと音読みなど複数の読み方を覚え、そのうえに平仄まで知っていなくてはならない、もうローマ字表記にしよう、と悲鳴をあげる気持ちもわからんではないですねえ。(笑)
大阪でも(最近は知りませんが)どんな酒場にも中国人の学生アルバイトがひとりふたりはいました。こっちが漢詩をいくつか知っていると、たしかに話が弾んだものでした。

投稿: かわうそ亭 | 2007/05/21 21:20

ネットのエキサイト辞書よって美国人は米国人の事でした。中国人の事ではありませんでした。また間違えた。

投稿: でんでん虫 | 2007/05/22 02:16

もともと漢字表記の国名や都市の名前はたぶん中国人の決めた表記に日本人が倣っていたのだろうと思います。中国でもアメリカをむかしは米国(米利堅合衆国)と表記していたらしいのですが、いつの間にか、中国ではこれを美国と表記するようになった。ほかにもこういう日本と中国で違う漢字表記の国名や地名があるのかどうか。たぶん、あまりないのじゃないでしょうか。

投稿: かわうそ亭 | 2007/05/22 18:56

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: あいまいな日本語の不戦:

« 俳句の技法(承前) | トップページ | 胡志明生誕107年 »