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2007/06/10

反・ミステリー小説(1)

Orphans_1 カズオ・イシグロの『わたしたちが孤児だったころ』(早川書房)は一言で言うとヘンな小説である。
20世紀初頭の上海で、何一つ不自由なく、幸福な幼年時代を過ごしていたクリストファー・バンクス。近所にはアキラという日本人の幼なじみがいて、毎日ふたりして「ごっこ」遊びに明け暮れていた。父親の会社は当時のイギリスの国策に基づきアヘン貿易の尖兵として中国に進出した貿易会社で、クリストファーと両親はその社宅に暮らしている。若い母親は、上海の英国人社会でも評判の美人だが、会社がアヘン貿易によって莫大な利益を上げていることに深い嫌悪感を抱き、反アヘン運動への共感を社宅仲間の婦人連にも公言して煙たがられている。どうやら、夫を感化して、反英的なグループになにやら重要な情報をもたらそうとしているようでもある。そんなある日、突然父親が失踪する。どうやら秘密組織に誘拐されたらしき気配が濃厚である。やがて、母親も何者かに拉致されてしまう。孤児となった主人公はイギリスに帰国して名門のパブリックスクールに入り、ケンブリッジを卒業してから高名な探偵となる。やがてかれは日中戦争がはじまった上海に舞い戻り、謎のアジトに監禁されている両親の救出に向かう、というのが大まかなストーリーなのだが、いたって正確に思える時代考証や上海租界のアクチュアルな描写と対照的な、このストーリーの怪しさ、現実感の乏しさはどうだろう。

なによりまず主人公が名探偵を目指すというところからしてヘンなのである。

戦前のイギリス社会がどういうところであったにせよ、社交界に名をはせるエルキュール・ポアロのような存在は単なる「お約束」に過ぎない。いくつもの難事件を解決して(その具体的な内容は決して語られることはない)イギリスにクリストファー・バンクスありと知られるような犯罪捜査の専門家となったというような設定であれば、これはミステリー小説というジャンルの骨法である。ところが、本書はミステリー小説とはおよそかけ離れている。否、むしろこれは反ミステリー小説というべきものなのではないかなあ。このことは、あとでもう一度ゆっくり考えてみたいと思います。

さらにヘンなのは、主人公の語りで立ち現れてくる小説の世界像がなんだか現実とずれているらしいことであります。たとえば、ケンブリッジを卒業したあとロンドンで優雅な独身生活を始める主人公が学友に出会って昔話をすると、学生時代からお前は変わり者だったからなあ、なんて言われる。おかしなことを言うねえ。ぼくはどちらかというと快活で友人も多くてみんなに好かれるタイプだったよ。キミは、だれか他の同級生と混同してるみたいだな、なんて主人公は言うのだが、もちろん読者の頭には、あれれ、こいつはちょっとおかしいぞとアラームが鳴り始める。そして、そういう現実との小さなズレが、後半になればなるほど、大きくなって、最後には主人公の語りをそのまま信じることができるかどうか、わからなくなってくる。

なにしろ読者は、主人公の目で見た世界を、主人公のヴォイスでしか解釈できないことになっているので(一人称の語り構造なのね)、もしこの主人公が妄想で狂っているとしたならば(その可能性は否定できない)むしろその方が筋が通るというような気もするほどなのである。

訳者のあとがきによれば、カズオ・イシグロは、『日の残り』でブッカー賞をとってからは、自分の好きなようなものを書くことができるようになったのが嬉しいと言っているらしい。この本なんか、最初に言ったようにヘンなんだけど、そのヘンさ加減がどうもしこりのようにあとに残る。どうしてもこのヘンさって何なんだろうと考えざるを得ないのでありますね。
ということで、考えはべつにまとまらないのだけれど、書いているうちに思いつくこともあるだろうから、このまま次回にはなしを続けてみます。

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