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2007/07/24

『恵比寿屋喜兵衛手控え』佐藤雅美

879743027_25e56032fd 少々ふざけて宣伝文句をつけるとすると「大江戸人情リーガル・サスペンス」てな感じだろうか。佐藤雅美の『恵比寿屋喜兵衛手控え』(講談社文庫)は、ちと毛色の変わった時代小説。

オハナシの中に、いまは退隠した陸奥白河の松平楽翁と名乗る殿様が老中時代に御改革をおこなった云々、というような記述があるので、時代背景は文化年間(1804−1817)か、そのあとの文政年間(1818ー1829)のころと推定できる。楽翁は寛政の改革をおこなった松平定信の隠居後の号で、この政治家の退隠は年表によれば文化9年(1812)五十五歳のときであるからだ。

物語全編を通じて、いかにも江戸時代というのは諸般にわたって明治以降の近代とは大きく違うものだなあ、これが江戸時代の秩序感覚、人情情緒というものかと感じ入ったりもするのだけれど、文政年間といえば、明治から50年ばかり遡っただけの時代であります。個人的な感慨に過ぎないけれど、五十歳を過ぎてから、歴史をはかる時間の物差しの目盛りが50年が一区切りのような感覚になっている。50年なんてあっと言う間のことじゃないか、てな気持ちになるのでありますね。

さて本書の主人公、喜兵衛は、馬喰町に百軒ばかり建ち並ぶ旅籠屋の主人だが、この宿屋は通称を旅人宿といい、また喜兵衛の営むそれは公事宿(くじやど)とも呼ばれて、いささか専門的なサービスを客に提供する稼業でもある。

江戸時代の司法においては、刑事訴訟を「吟味物」、民事訴訟を「出入物」と呼んだのだそうですが、この「出入物」は、いまもむかしも人間同士のもめごとは同じ、金銭のトラブルが大半であった。
そこらあたりを、小説の中である吟味方与力がこんなふうに述懐する。

「出入物(民事)のほうはほとんどが金銭貸借のもつれの仲裁だ。これまたほとんどが欲の皮の突っ張りあいの仲裁で、毎日毎日おなじことをやっているとうんざりしてしまうという仕事だ。たしかに御用頼の御大名をはじめ方々から付届があり、実入りには不自由しない。しかし仕事そのものは面白くもおかしくもない」

こうした「出入」、すなわち民事訴訟においては、ひとつはそれが半年、一年というような長期にわたるために、関係者が江戸に長期滞在することになり、そういう公事がらみの宿が必要だったということ、もうひとつは訴訟の約束事があまりに煩雑であって、「きのうきょう在からやってきましたというような田舎者」では手も足も出ず、結局訴訟に負けることになるので、その公事訴訟事の相談にのってやり、世話をやくという仕事が生まれた。そしてお上にとっても、こういう専門家が間に立って公事の手続きをスムーズに進めることは都合がよいわけで、いつしか公事を専門にあつかう宿を公認するようになった、ということらしい。
まあ、早い話が、喜兵衛は民事専門の弁護士事務所と宿屋とを一緒に営んでいると思えばいいのであります。

ということで、冒頭に紹介した、時代小説とリーガル・サスペンスの組みあわせの理由がお分かりいただけたと思います。
実際、巻末の参考文献などをみると、もちろんわたしはまったくの門外漢でこれがどういう本であるのか判断できませんけれども、かなり徹底的に調べて書かれたエンターテインメントであることがわかります。こうした近世民事訴訟法史、近世刑事訴訟法史などという、まず自分から調べてみようとは思わないような分野について、フィクションとはいえ、事件のかたちで実例を挙げられるとじつによく理解できる。
本書は、しかし、あくまでこれを読み物として読者に提供しているので、べつにお勉強のつもりで読む必要はまったくない。
一見単純に見えた事件の裏の意外なからくりや、お上の権力争いが話をにぎやかにしているし、主人公の駄目さ加減(妾がいたり、子育てに失敗したと妻に責められたり、腐れ縁の不良旗本に金をたかられたり)と、稼業の専門家としてのプロ意識、既得権を守るためのしたたかな立ち回りなどがうまく塩梅されてなかなか面白い小説に仕上がっています。
渋い大人の時代小説としておすすめです。ただし、ちょっと渋過ぎるかもね。(笑)
なお本書は第110回直木賞受賞作。(1993)

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