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2007年8月

2007/08/28

略奪された花嫁の時代の到来

町で、いきいきとした、なかなかいい面構えの若者グループがいるなあと思うと、にぎやかな中国語のやりとりが聞こえてきたりする。要はそういうタイプの若者だから外国にもどんどん出て行くのだということなのだろうが、同世代の日本の若者諸君は、知的にも体力的にも、総じて彼らにかなわないのじゃなかなあ、とオヤジとしてはついつい見比べてしまう。
かの国の経済発展が自信とオーラを彼らにはあたえ、わが国の経済力の低下が、同胞の青年たちから生気をうばっている、と、とりあえず考えてみたりもするが、ま、素人の寝言であります。

アメリカがくしゃみをすれば日本は風邪をひく、というのが、わたしたちが子供の頃に教えられた日本にとっての国際関係のいろはであった。
さしずめ、いまは中国がオナラをすれば日本は悶絶する、ということになるのかもしれない。

中国の未来は、世界の未来でもある。なにしろ、世界人口の4人に1人は中国人である。

欧米の中国関連の記事を、ときどき思い出したように精読する。
たまたま、ニューヨーク・タイムズは26日付でジョセフ・カーンとジム・ヤードレイのかなり長文の署名記事で中国の環境問題をとりあげている。もっとも、これはかなり前から、同じような内容の記事をかれらは書いているのを、たまたま、わたしは読んでいたのでそれほど驚かない。ただし大気、水、などの環境汚染がアナリストなどの予測よりはるかに前倒しで現実のものになっているというのは憂鬱な話である。
国内の経済格差と環境汚染の実質的な放置で中国社会が不安定化する、というのは、ひとつのシナリオではあります。

一方で、これはちょっと虚をつかれた感があるのが、25日付のBBCの記事。(ここ)

The Chinese government says it is drafting new laws to tackle the growing gender imbalance caused by the widespread abortion of female foetuses.

81950575_293ba15729_b 男女の比率があまりに不均衡になっているので、中絶に対する法的な処罰を厳格化するというような内容であります。
生まれてくる子供が女の子だったら中絶しちゃう、というのは、80年代から本格化した一人っ子政策のせい。(ただし、これはそんなに単純な政策ではなくて、少数民族のとりあつかいなど細かいところはいろいろあるようだが)
なにしろ子供がひとりしか持てないと決められていれば、老後の年金が、聡明きわまる政治家さまや官僚さまのおかげで盤石な日本とはちがい、子供に養われることが前提の中国社会であれば、女の子であっては困るという計算もある。男子継嗣という伝統文化もまだまだ払拭できてはいない、というわけですね。

ジェンダー・レシオというのは、女児100人に対して男児が何人であるかという比率だと思いますが、よく知られているように、自然状態でもこの比率は男児が女児よりすこしだけ多い。WHOはこれを107を超えないくらいがよろしいと推奨しているのだそうです。日本のデータはメンドクサイから調べていません。そんなに差はないであろう。

ところが、この記事によれは中国政府機関は99の都市でこのジェンダー・レシオが125を超えているというのだそうです。もっとも高い町ではなんと163.5だったと発表した。女児100人に対して男児163人であります。
これはなかなか考えてみるとインパクトのある数字です。

なにしろ繰り返しになりますが、地球上の4人に1人が中国人であるというほどの人口の国で、ジェンダー・レシオが125を超える(自然状態ではありえない)ということが、なにを意味するか。
嫁不足じゃなあ、というくらいの笑い話ですめばよいが、これが経済格差や生命の安全などと複雑にからみあうわけですね。

むかしから、破れ鍋に綴じ蓋といいまして、なんぼ貧乏だって、分相応な嬶ぁくらいはもてたから、まあ、世の中は治まっていたのかもしれません。飢餓や貧困に加えて配偶関係にありつけないという事態は、これはなかなか為政者はたいへんなことであります。

いいじゃん、男同士でパートナーになって素敵な家庭を築けば、という前向きな意見もあるかもしれないが、そんなことを言うと雄の怒りの炎に油を注ぐような気がしないでもないぞ。(笑)

(photo by Questionhead on Flickr; thanks  for sharing)

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2007/08/25

打ちのめされるようなすごい本

どんな本でも褒める、なんてのはただの阿呆だから論外としても、何でも貶す書評家というのも、やはり信用できない。

何でも貶すというのはじつは簡単なんですね。
貶し方に芸があるかあるかどうかは、大いにその書評家の腕前によるとしても、とにかくオイラは褒めないの、と決めてしまえば、まあ、あとはどうでもなる。

むつかしいのは何を褒め、何を貶すかということだろう。
つまりはそれが批評ということであります。

辛口で売っている書評家には、ふたつの危険があるとわたしは思う。

第一は、なるほどあんたは辛口書評家で通っているけど、要はなんでも貶すという安直なスタンスなのではないのか、と、いずれ疑われることである。じゃあ、どんな本ならあんたは認めるわけ、という読者の問いに、いつかは答えなければならない。ところが、当の辛口書評家さんもよくご承知のとおり、世のなかに完璧な書物はない。どこかに貶すネタはあるのでありますね。もし、瑕がなければ、瑕がないことが瑕であるといえばよろしい。
ということで、第二に、辛口書評家氏が、これぞわたくしの認める本であります、と発表した途端、なあんだ、辛口、辛口と威張って、なんでもかんでも貶しまくっていたあんたって、こんな本がいいと言う程度の本読みだったわけ。がっかりだねえ。こんな本がいいの、へえ。なんて、今度は確実に足を引っ張られることになるのでありますね、たぶん。
自業自得とは言え、辛口書評家商売も楽ではないようで。(笑)

2007_0825_2 ――なんてことを考えたのは、米原万里の『打ちのめされるようなすごい本』(文藝春秋)を読んだから。

この人の書くものは、まとめて読むのはこれが初めてだが、まったく未知の作家というわけではない。むしろずっと気になる作家であった。
週刊誌などの書評にはときどき目を通していたし、『嘘吐きアーニャの真っ赤な真実』も連載中に多少目を通していたこともある。しかし、なにより気になる理由はこの人の読書量である。ご当人が歩くのと食べるのと本を読むのは人より速いとして、「ここ二〇年ほど一日平均七冊を維持してきた」とおっしゃっていたのであります。

一日平均7冊は、年に2555冊、一月にすると約213冊。
プロの書評家として世の中を渡って行くならば、月に100冊程度読むのは、当たり前だと思うが、この方はその倍以上。わたしが一年間で読む本が200冊前後だから、たった一ヶ月でそれを上回ることになる。
これを知ってから、悔しいので(って、張り合うほうがどうかしてるぞ(笑))米原万里は敬して遠ざけることにしていたのであります。まあ、そのうち読もうとは思っていたのですけどね。

さて『打ちのめされるようなすごい本』。
なによりこのタイトルがすごいですね。
前述したように、辛口書評家(ホンモノの書評家であれば当然辛口になる)にとって、これがわたしの認める本だと公言するのは危険きわまりない。書評家に手ひどくやっつけられた作家のみなさんは、復讐の機会は逃さない。大したことない本を褒めたりした日には「なんだこんな本を推しやがって」と叩かれるのは必至。
だから、二流三流の書評家は褒める場合もさんざ留保をつけたり、貶してるのか褒めているのかわからないような、高踏的(と本人だけが思っている)書き方をするのですね。
なかなか、ずばっと、これはよい、とは断言しないのが普通です。

つまり本を褒めるのは貶すよりずっと勇気がいるのであります。

ところがですね、そこのところをこの米原万里さん、世間の評価がまだ定まっていないような新刊、あまり広く読まれていないような専門書、かならずしも好意的な批評を受けていないような娯楽小説を取り上げて、「これはよい」と言うにとどまらず「打ちのめされるようなすごい本」であると言い切っちゃう。
この勇気、やはり平均一日七冊読んでる人でなければ出てこない。

ということで、連日の猛暑で、読書意欲減退気味のわたしも、この本で、またむくむくと読みたい気持ちが膨らんでまいりました。
読者に読書意欲をもたらす書評がよい書評であります。

惜しい書評家を同時代から失ってしまったことをうらむ。

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2007/08/21

Creative People

まだβ版だけれど、ソフトバンククリエイティブ株式会社の写真シェアリングサービスが始まったので使ってみた。
名前はCreative People(クリピー)

まずは「クリエイティブピープルとは」というのを読んでみる。

■Creative People(クリピー)とは
Creative Peopleはみんなの作品をネット上で共有し、仲の良い友達や家族とのコミュニケーションや、新しい友達との出会いを楽しむ、クリエイティブライフのためのWebサイトです。
作品の共有は家族や特定の友達に限定をすることも、Creative Peopleにアクセスした全ての人に公開することで、あなたの作品をより多くの人々に見てもらうこともできます。
作品へのコメントのやり取りや様々なテーマグループでのコミュニケーションが、作品作りのヒントや、テクニックの向上にきっとつながるはずです。
あなたやCreative Peopleのメンバーが利用を許可した作品は、条件によりWebサイトや商業目的に利用することが可能です。Creative Peopleを通して新しいビジネスチャンスが生まれるかも知れません。

Screenshot_1

以下、長々と書いてありますが、要はFlickrの日本版といった感じでしょうか。

そもそも、こういうフォト・シェアリング・サービスのサイトは、どんな風な使い勝手にしてみたところで、だいたいにおいて操作性は似たようなものになるのでしょうが、少なくとも表面的な操作性に限って言えば、改善を続けてきた、いまのFlickrの完全なパクリであると言ってよろしい。
したがって、操作性は悪くはありません。

ただし、問題はですねえ、運営側のノリという面。こういうのは、なんとなくユーザーに伝わってくるもんですが、なんかイマイチだなあ、という気がしますね。

たとえば、上の説明の「Creative Peopleを通して新しいビジネスチャンスが生まれるかも知れません」なんてあたりがホンネだぜ、おれたちも仕事だからやってるだけだかんね、もともと写真なんてとくに思い入れなんてねえよ、というような感じが漂っている(ような気がする)。おめえらシロートの写真なんて、別にキョーミねえし、ま、偉い写真家のセンセーをテキトーにかましておきゃなんとかなるだろ、とかさ。(笑)
なんたらジャーナルだの、なんたら出版だのとかいうのが、初めから前面に出て目障りなのも、この「事業」のスタンスが透けて見えるような・・・

Flickrが立ち上がった当初の、運営スタッフもユーザーも巻き込んだ、毎日がお祭り騒ぎのような雰囲気を知っていると、どうしてもそれと比較しちゃうのでしょうか。まあ始まったばかりでまだあんまり利用者がない(ように見える)せいかもしれないけどね。今後、賑やかになるかどうか、ご注目。
とりあえず、「本が好き」というグループをこのなかにつくっていますので、よろしければ、ご利用くださいませ。

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2007/08/14

おもうわよー

角川「俳句」8月号、池田澄子さんの連載「あさがや草子」から。

以前、池田澄子さんの戦争をテーマにした俳句を紹介して、そこに父親への思いがあるようだ、ということを書いたことがある。(こちら)
おそらくよく知られたことなのだろうが、今回、ご自身の文章でそれを確認することができた。
今回の随筆のタイトルは「送り火のあとも思うわよ」。
文章は祖母の最期の話から始まる。

祖母は、長女次女長男を育てた。長女の夫の戦病死の報を受けたとき、南方に出征していた自分の一人息子の生死も知れなかった。その息子は昭和十九年六月三十日に西部ニューギニアで戦死した(ことになっている)。医者になったばかりの軍医、二十四歳であった。

あとで出てくるが、戦病死した長女の夫というのが、池田澄子さんの父君であるようだ。

祖母が逝ったのは昭和五十年の春で、春先から時々意識の混濁が始まった。(略)床にあって或る日、突然嬉しそうに話し始めた。
「まあ、よっちゃん!どうしたの、元気だったのね。死んだと思っていたら生きていたのかい?生きていたのねえ、よっちゃん」
それが最後の話し声。息子の名は好正で、よっちゃんと呼んでいたのである。話し掛けている視線の先には、ストーブがあった。間もなく祖母は死んだ。

死んだ人はもはやどこにも存在しない。しかし、と池田澄子さんは考える。

三十四歳で戦病死した父も、二十四歳で戦死したよっちゃんも祖母も、今、この世に存在している。私が居る限り、記憶がある限り、彼ら彼女らは存在していて、私が居なくなった時に消え去るのである。

「送り火のあとも思うわよ」の最後に池田さんが紹介しておられるのは、こんな話だ。

島の写真を撮っているという友人がいる。写真家である彼女が素敵な言葉を教えてくれた。ある島では、別れる時、例えば島を離れる彼女に対して、「さようなら」とは言わないのだそうだ。ましてや「じゃーね」などとは決して言わないだろう。船を見送る島人は、「おもうわよー」と手を振るのだそうだ。
(略)
こんな嬉しい別れの言葉があったなんて。おもうわよ。アナタが目の前から去っても、ずーっと思うわよ。今度逢うまで思っているわよー。

少しほろりとした。
お盆である。
明日は終戦記念日。

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2007/08/13

奉行と与力と同心と—捕物帳の基礎知識3

ご存知、遠山の金さんが意外に幕末近い頃の人であることを以前ご紹介しましたが、この遠山左衛門尉の同時代人に矢部駿河守定謙*という人がいます。遠山が北町奉行のとき矢部は南町奉行でした。

もともとこの人は矢部彦五郎といいましてさほど大身の家柄ではない。

藤田東湖の『見聞随筆』に矢部と藤田との問答が書かれているそうです。それによれば、矢部はこんなことを藤田に語った。
自分はごく小身から起こった者で、じつは自分の出世というものはみな賄賂でやってきたもので、なにも自分に才力があったわけではない、という。
これに対して、藤田東湖は、「たとい暗い運動をしても、明るい政治家が世の中へ出ればよろしいわけである、あなたほど人が世の中に出るについては、どういう道行を取られたところが苦しくない」(鳶魚江戸文庫1)と答えているそうであります。

ところが、これにつづけて三田村鳶魚は、矢部の出世というものは、もちろん賄賂もつかったに違いないが、むしろその鍵は、配下の人間をスパイに仕立て、敵をくじいたり、陥れたりする謀略にたけていたところにあるのだと言うのですね。
その手口は、細かなことはメンドクサイので省きますが、要は前回紹介したような野心家の副官タイプの与力や同心(ただし奉行所居付の町与力と町同心は転勤も昇進もありませんので、自然、スパイになったのは臨時雇いの方ですね)に昇進の餌をちらつかせながら、汚い仕事をさせるというものでありました。

こうして探偵、スパイをつかっていろいろな仕掛けをつくって手柄を演出することで矢部は三百俵の身上から堺町奉行、大坂町奉行(このときに大塩平八郎の建策を聞いています)、御勘定奉行まで一気に上り詰めて行った。御勘定奉行は役高三千石であります。三百俵取りから一気に三千石の立身出世となったわけです。このあと矢部は水野越前守忠邦(天保の改革の人ね)との確執やらなにやらで一時閑職(西丸御留守役)に追いやられるのですが、狙いを今度は江戸町奉行に定めて、当時は北町奉行が例の遠山、南町奉行が筒井伊賀守でしたけれども、この南町奉行を追い落として後釜に座ったのでありました。

ところが、やはりこうしたスパイ好き、謀略好きという人は、同じくスパイや謀略によって足下をすくわれる。今度は、この矢部を狙って幕閣での出世を果たそうという人間が現れます。
それが、時代小説ファンなら誰でも知っている鳥居耀蔵(ようぞう)であります。

じつはわたしは矢部という人は今回のお勉強まで知らなかったのですが、鳥居耀蔵は「妖怪」としておなじみであった。いまのお坊ちゃま宰相のじっちゃんも昭和の妖怪と呼ばれたお方であるが、こっちの妖怪は、鳥居耀蔵が従五位下甲斐守に叙せられたので耀蔵の「よう」と甲斐守の「かい」を合わせた洒落でありました。あまり大きな声では言いたくないが、わたしがこの鳥居甲斐を知ったのは小池一夫の原作で神田たけ志が描いた劇画「御用牙」が最初でありました。教養の底が知れる。(笑)

さて、この矢部と鳥居とは水野越前守忠邦の改革をめぐっての政敵でありまして、鳥居は目付として矢部を追い込み南町奉行を失脚させたのでありますが、まあ、このあたりの幕閣の政争の凄まじさは小説やら劇画の材料としては面白さ抜群なのですが、なにしろ話が錯綜しすぎていてわけがわからんというのが実際のところであります。いずれにしてもこういう政争というものは、いまもむかしも早い話が密偵やら謀略やらということになります。
なお、矢部は南町奉行失脚後、預かりとなった桑名藩で食を断って憤死。(1842)
鳥居耀蔵も最後はやはり失脚しますが、御一新後も生き残り明治6年(1873)に死んでおります。

話が長くなったので以下結論。
三田村鳶魚が面白いことをいっています。

町方の与力は二百俵取なので本来は旗本として目見以上であってもよいはずです。
じつは町同心と同じ禄である三十俵二人扶持しかない小十人というのが旗本の一番低い位であったのですが、これは目見以上とされていました。
町与力はそれに八九倍する禄を貰い、しかも槍一筋の主でありながら、目見以下に定められていた。さらに彼らは、転勤転役ということを決してさせなかった。つまり、町奉行のように幕閣内で(すなわち表の政治の世界で)出世するということはありえなかった。
なぜか。
かれらは罪人を取り扱う不浄役人であったからだ、というのですね。

なんてひどいことを言うのだ、これだから封建制度は駄目なんだ、といまのわたしたちは思いますが、考えてみれば、町与力、町同心というのは人の後ろ暗いところを探って機密情報にふれるのが役職である。こういう人々が野心をもって表向きの世界で権力を握ろうとすると、それはそれでずいぶん剣呑である。だからかれらは八丁堀の旦那として世間向きでは幅を利かせもし、各方面からそれなりの挨拶、付け届けもあって実入りはよかったとしても、幕閣の中で昇進し奉行や老中になるなどという道は閉ざされていた。これはまた幕政の考えてみなければならない点でもあろう、てなことを三田村鳶魚は書いております。

ひるがえって現代の各国の政治指導者をみるとどうでありましょうか。諜報機関出身の大統領なんてのは珍しくもないが、その国が関与した暗殺なんてことが公やけになると、証拠はなくともどうしても分が悪い。アメリカのミステリでは地方検事なんてのはたいてい政治的な野心をひめているのがお約束になっていて、こういうのは大いなる反感をもって描かれるのが常である。
「不浄役人」という言葉はさすがにひどいとは思うが、公安関係者はやはり表には出ないというのが、その世界の不文律「倫理」であるのかもしれません。

*矢部駿河守定謙は、『ウィキペディア(Wikipedia)』では「さだのり」としておりますが、三田村鳶魚は「さだあき」というルビをふっています。

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2007/08/12

奉行と与力と同心と—捕物帳の基礎知識2

町奉行所から市中の巡回に出る役向きが廻り方。
これを行うのは同心でありまして、与力はこれを行わない。したがって廻り方同心などと連中は呼ばれたようであります。

これには三種類ありまして三廻りといったそうです。

第一が隠密廻りで同心二名。町奉行直轄で、捕縛はせず、もっぱら秘密の探索を任務としたといいますから、おそらく今の公安のようなものだと思えばいいのでしょう。最古参で練達の同心がこの役についた。
第二が定町廻り(定廻りともいう)で同心六名。法令違反がないかどうか管轄の自身番を巡回し、犯人の捕縛も行います。時代劇で八丁堀の旦那と呼ばれるのが、この人たちであります。
第三が臨時廻りで同じく同心六名。これは定廻りの経験を長く積んだベテランを、定廻りのサポートにまわしたのですね。刑事というものは、なにしろ経験がものをいう世界ですから、実質的には後輩の相談役、指導役であったということかと思われます。こういう連中を形容するときに「背中へ胼をきらせた」という言葉があったそうです。いかにも市中見回りの風雪に耐えた同心を言い表しております。

廻り方同心の姿格好は、三つ紋付の黒羽織。これには竜紋の裏がついております。夏はもちろん紗か絽であります。御用箱を背負った供と木刀をさした中間、それに手先を二三人連れて、自身番で「番人!町内に何事もないか」と声をかけて廻るわけであります。
テレビドラマでは、ここで目明かしなんぞから報告を受けて指示を出すことになっていますな。

さて町奉行所に所属する町与力と町同心は、事実上世襲であったようですが、法律上は抱席(かかえせき)という一代限りの役目とされておりました。伜が十三、四歳になると見習いに出て、やがて正式に採用になった。かれらは、町奉行所に居付の者であります。すなわち町奉行その人の家来ではない。町奉行は数年で転役していきますが、町与力、町同心には転勤も転役もない。だから、トップが変わっても、あるいは町奉行所の運営にまったくくらい素人が町奉行になったとしても役所の業務自体には支障がなかった。
ただし町奉行からみると、子飼の家来のようには、かれらを使うわけにはいきませんから、これはちと窮屈である。そこで臨時の与力(これを内与力と称した)として十人を採用することができるようになっておりましたので、旧来の家来を引き連れて着任するということになりました。
サラリーマンを長くやっている方は、こういう光景はおなじみでありましょう。新任の取締役経営企画室長なんてのが本社にやってくると、一緒に副官みたいなのが転勤してきて、古参の部員の冷ややかな視線にさらされる、なんてのとたぶん一緒ではなかろうか。ト。(笑)
もちろん、内与力は臨時雇いですから、町奉行が転役すると一緒に辞めることになります。ただ、こういう人たちは往々にして出世欲の強い野心家であったり、結構切れると自負している人たちであることが多いのでいろいろと問題がおきることもあったようです。
—というあたりを次回はご紹介しましょう。

(つづく)

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2007/08/11

奉行と与力と同心と—捕物帳の基礎知識1

今日から夏休み。
時代劇や捕物帳などの時代小説をもっと楽しむためのお勉強でもしてみます。
教科書は主として『捕物の話—鳶魚江戸文庫〈1〉』から。

ご存知、遠山の金さんこと遠山左衛門尉景元が町奉行所の長官である北町奉行をつとめたのは天保十一年(1840)から天保十四年(1843)の三年間といいますから、そんなに遠い昔の人ではない。国外に目を向けると中国のアヘン戦争が1942年のことですから、アジアをめぐる国際情勢はなかなかどうして時代劇のお気楽な天下太平のようなものではなかった。
それはともかく、江戸町奉行といういうのは現代で言えば「東京都知事と高等裁判所判事と警視庁長官の権限を一手に掌握する重職であった」(山本博文)そうですな。

江戸には北町奉行所と南町奉行所のふたつがありました。中町奉行所というのも一時あったそうですが、おおむね江戸の町の治安はふたつの町奉行所によって保たれていた。

これは月番制になっておりまして、一方が月番であれば他方は明番(あきばん)となったわけですけれども、これは片方の役所が休みになるという意味ではなくて、簡単に言えば新規の訴訟や案件の受付を月番でやっていたということであります。明番の奉行所も当然懸案の業務を遂行していたわけで、とくに市中の巡回は月番も明番もなかった。
なにしろ、町奉行所というのは先に述べたように東京都庁と東京高裁と警視庁を合体させたような職権の役所でありながらおそろしく少人数で運営されていたのだそうです。

町奉行配下には、与力が南北それぞれ二十五騎の五十人。同心はそれぞれ五十で百人。合わせて百五十人で上記の役所の業務を遂行していたのであります。月番で休めるような安気な職務ではないようで。

与力と同心というのは、明治の初めに武家の家来を士族と卒族にわけたそうですが、そのとき、与力が士族、同心が卒族に分類された、といいますからその間にはきっちりとした格の違いがあったようであります。軍隊の士官と下士官、警察官僚のキャリアとノンキャリアを親子代々続けて行くようなものでありましょうか。

(この項続く)

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2007/08/08

LUMIX/FX30

1039175420_622aa195e4_m デジカメは一眼レフのオリンパスE-330を愛用しているのだが、こいつはさすがにいつもポケットや鞄に入れておくというのは無理なので、コンパクトなやつが欲しくなった。
街を歩くときや、ご近所の散歩の途中で、とくになんでもないものをちゃっちゃと撮りたいなあ、という思いがつよくなったのであります。
値段は2万円台でデザインがあまりチープでないものがいいな、という程度の基準だったが、あまり機種の比較することもなく、たまたま目に付いたパナソニックのLUMIX/FX30を購入。じつはこのカメラの特色である広角レンズ(28ミリ)も、ちょっと気を引かれるポイントであった。
フィルムの時代はミノルタの一眼レフを持っていたが、そのときに50ミリの標準レンズと28ミリの広角レンズを使い分けていて、28ミリの面白さを知っていたからである。
まあ、今度のカメラは気軽に目に付くものをどんどん撮って行くための道具であります。
写真としては、ディスプレイで見る限りでは、エッジのよくきいたシャープな表現になるような気がするな。深みはないが、軽快な感じであります。
しばらくこのお手軽コンパクトの写真をFlickrにアップしていくことになりそうです。
LUMIX/FX30の写真を参考までに。広角レンズであることがよくわかると思います。

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2007/08/04

Harry Potter and the Deathly Hallows

1006583113_efe7437d34 ハリー・ポッター全シリーズの完結篇である本書については、発売前からとかくの噂がありました。著者のJ.K.ローリングが、"there are deaths, more deaths, coming"なんて不穏なことをBBCのインタビューのなかで言っていたことから、いろいろなセオリーが繰り出されることになったのですね。
実際このシリーズでは、主人公であるハリーにとってかけがえのない登場人物の死が、繰り返されることに多くの読者はとまどいに似た気持ちを持っていました。

"I want these books to be a world where my children can escape to."

ある母親が著者に切々と綴った手紙の一節を、ローリング自身が語っていますが、この願いは多くの読者に共通する思いかもしれません。この母親の言葉が著者にとって重いものであったからこそ、わざわざインタビュー(これは上記のものとは別ですが)のなかで彼女はあえてこれを紹介したのだと思います。

では今回の最終巻で、ハリーたちにいったい何が起きるのか。

もちろんわたしは、この巻に書かれている内容のほんのわずかなヒントであっても、ここで語る気は一切ありません。また、ほんとうのファンは、それを聞きたいとも思わない筈です。すべて自分で確かめたいと思うでしょう。
ただひとつだけ、ここで言ってもよいとわたしが考えるのは次のことです。
二年間、待ちこがれた完結編が手元に届き、一喜一憂しながら読み進め、最後の頁を終えたとき、わたしは、深い満足とともにこう呟きました。
「そう、これでいいんだよ」と。

発売の前の段階から『Harry Potter and the Deathly Hallows』は、商業的な意味ではすでに成功を約束されていました。
ハリー・ポッターという名前のビッグビジネスが、著者のコントロールをはるかに超えてびゅんびゅんと世界中を駆け巡っていました。
もちろんそれも現代の「マジック」のひとつかも知れませんが、もはやここまで天文学的な富を得てしまった作家にとって、さらにもうひとつの商業的な成功はさほど意味のあるものではなかったでしょう。

だから著者にとって重要だったのは、おそらく何かを伝えるべきだという思いだったとわたしは思います。
こんな風に考えてみてはどうでしょう。
世界中で何千万人という子どもたちが、そして同じくらいの大人たちが、あなたの語るオハナシに夢中で耳を傾けてくれることがわかっています。
そんなとき、あなたはなにか良きものをそのオハナシの芯に入れたいとは思わないでしょうか。

では、本書でJ.K.ローリングが子どもたちに(あるいは大人たちに)伝えるべきだと信じたのは一体なんだったのでしょう。
わたしはそれは「死ぬことを恐がりすぎてはだめ」ということではないかと思います。
本書とはまったく離れてしまいますが、遺伝子工学の今後の発達を考えたときに、人間は(誰もがではなくて、特定の力を得た人間はということですけれど)死を乗り越えるという誘惑にひかれるような気がします。第六巻であきらかになったヴォルデモート卿の「ホークラックス」というのはその喩えではないかとわたしは思います。
そして著者はそれを直感的に邪悪なものとして退けているのではないでしょうか。
人はかならず死んで行く。
かなしいことですが、それはまた美しいことでもある。
それを彼女は伝えるべきだと信じたのだとわたしは思うのです。

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2007/08/01

7月に読んだ本

『信時潔』新保祐司(構想社/2005)
『プーさんの鼻』俵万智(文藝春秋/2005)
『句集 詩経国風』金子兜太(角川書店/1985)
『定本 誕生』鷹羽狩行(牧羊社/1982)
『水底の骨』アーロン・エルキンズ/嵯峨静江訳(ハヤカワ文庫/2007)
『丸山眞男集〈第3巻〉』(岩波書店/2003)
『ジーヴスと朝のよろこび』P.G.ウッドハウス/森村たまき訳(国書刊行会/2007)
『自伝的日本海軍始末記(続編) 』高木惣吉(光人社/1979)
『大往生の島』佐野真一(文藝春秋/1997)
『元禄いわし侍』長辻象平(講談社/2005)
『歌集 憂春』小島ゆかり(角川学芸出版 /2005)
『釣魚をめぐる博物誌』長辻象平(角川選書/2003)
『動くとき、動くもの』青木奈緒(講談社 /2002)
『瞬間—小沢実句集』(角川書店 /2005)
『気がつけば、おぽん酒。』中島有香(STUDIO CELLO /2007)
『親不孝長屋—人情時代小説傑作選』縄田一男選(新潮文庫/2007)
『恵比寿屋喜兵衛手控え』佐藤雅美(講談社文庫/1996)

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7月に見た映画

シャイニング
製作・監督:スタンリー・キューブリック
脚本:ディアン・ジョンスン
出演:ジャック・ニコルソン、シェリー・デュバル、ダニー・ロイド、スキャットマン・クローザース

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