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2007/08/14

おもうわよー

角川「俳句」8月号、池田澄子さんの連載「あさがや草子」から。

以前、池田澄子さんの戦争をテーマにした俳句を紹介して、そこに父親への思いがあるようだ、ということを書いたことがある。(こちら)
おそらくよく知られたことなのだろうが、今回、ご自身の文章でそれを確認することができた。
今回の随筆のタイトルは「送り火のあとも思うわよ」。
文章は祖母の最期の話から始まる。

祖母は、長女次女長男を育てた。長女の夫の戦病死の報を受けたとき、南方に出征していた自分の一人息子の生死も知れなかった。その息子は昭和十九年六月三十日に西部ニューギニアで戦死した(ことになっている)。医者になったばかりの軍医、二十四歳であった。

あとで出てくるが、戦病死した長女の夫というのが、池田澄子さんの父君であるようだ。

祖母が逝ったのは昭和五十年の春で、春先から時々意識の混濁が始まった。(略)床にあって或る日、突然嬉しそうに話し始めた。
「まあ、よっちゃん!どうしたの、元気だったのね。死んだと思っていたら生きていたのかい?生きていたのねえ、よっちゃん」
それが最後の話し声。息子の名は好正で、よっちゃんと呼んでいたのである。話し掛けている視線の先には、ストーブがあった。間もなく祖母は死んだ。

死んだ人はもはやどこにも存在しない。しかし、と池田澄子さんは考える。

三十四歳で戦病死した父も、二十四歳で戦死したよっちゃんも祖母も、今、この世に存在している。私が居る限り、記憶がある限り、彼ら彼女らは存在していて、私が居なくなった時に消え去るのである。

「送り火のあとも思うわよ」の最後に池田さんが紹介しておられるのは、こんな話だ。

島の写真を撮っているという友人がいる。写真家である彼女が素敵な言葉を教えてくれた。ある島では、別れる時、例えば島を離れる彼女に対して、「さようなら」とは言わないのだそうだ。ましてや「じゃーね」などとは決して言わないだろう。船を見送る島人は、「おもうわよー」と手を振るのだそうだ。
(略)
こんな嬉しい別れの言葉があったなんて。おもうわよ。アナタが目の前から去っても、ずーっと思うわよ。今度逢うまで思っているわよー。

少しほろりとした。
お盆である。
明日は終戦記念日。

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『あさがや草紙』池田澄子(角川学芸出版)は、ベースになっているのは俳句総合誌「俳句」の同名の連載エッセイだが、連載のときの順序をいったん無視し、新聞や結社誌、同人誌などに書かれた別のエッセイなどを織り込んであらたに編集されている。だから月刊誌の連載で毎月楽しみに全部読んできた方も、もういちど本書で読... [続きを読む]

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