おもうわよー
角川「俳句」8月号、池田澄子さんの連載「あさがや草子」から。
以前、池田澄子さんの戦争をテーマにした俳句を紹介して、そこに父親への思いがあるようだ、ということを書いたことがある。(こちら)
おそらくよく知られたことなのだろうが、今回、ご自身の文章でそれを確認することができた。
今回の随筆のタイトルは「送り火のあとも思うわよ」。
文章は祖母の最期の話から始まる。
祖母は、長女次女長男を育てた。長女の夫の戦病死の報を受けたとき、南方に出征していた自分の一人息子の生死も知れなかった。その息子は昭和十九年六月三十日に西部ニューギニアで戦死した(ことになっている)。医者になったばかりの軍医、二十四歳であった。
あとで出てくるが、戦病死した長女の夫というのが、池田澄子さんの父君であるようだ。
祖母が逝ったのは昭和五十年の春で、春先から時々意識の混濁が始まった。(略)床にあって或る日、突然嬉しそうに話し始めた。
「まあ、よっちゃん!どうしたの、元気だったのね。死んだと思っていたら生きていたのかい?生きていたのねえ、よっちゃん」
それが最後の話し声。息子の名は好正で、よっちゃんと呼んでいたのである。話し掛けている視線の先には、ストーブがあった。間もなく祖母は死んだ。
死んだ人はもはやどこにも存在しない。しかし、と池田澄子さんは考える。
三十四歳で戦病死した父も、二十四歳で戦死したよっちゃんも祖母も、今、この世に存在している。私が居る限り、記憶がある限り、彼ら彼女らは存在していて、私が居なくなった時に消え去るのである。
「送り火のあとも思うわよ」の最後に池田さんが紹介しておられるのは、こんな話だ。
島の写真を撮っているという友人がいる。写真家である彼女が素敵な言葉を教えてくれた。ある島では、別れる時、例えば島を離れる彼女に対して、「さようなら」とは言わないのだそうだ。ましてや「じゃーね」などとは決して言わないだろう。船を見送る島人は、「おもうわよー」と手を振るのだそうだ。
(略)
こんな嬉しい別れの言葉があったなんて。おもうわよ。アナタが目の前から去っても、ずーっと思うわよ。今度逢うまで思っているわよー。
少しほろりとした。
お盆である。
明日は終戦記念日。
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