呼び捨て、欧米かよ!
英会話の先生(アメリカ人)の話。
日本の生活も長いし、奥さんも日本人なので、みんなに悪気がないことはわかっているんだけど、日本人って名前の呼び方に問題があるんじゃない、って言う。
たとえばこんな場面。
かれの入会している地元のテニス倶楽部では、新しいメンバーが入ってきたときは、コーチが古手の会員を新会員に引き合わせて紹介するというのですね。
ここでは仮にポール・マクローリーくんとでもしておきましょうか。
コーチの紹介は、たいていこうなるのだそうです。
ええと、じゃあ、うちのメンバーのみなさんを紹介しますね。こちら、佐藤さん、山本さん、田中さん、ええとそれからポール、西田さん、中島さん・・・
うーん、わかるなあ、わたしがコーチでもきっとそうするよ。(笑)
「ね、ヘンでしょ。山本さん、田中さん、ときたらマクローリーさんって呼ぶべきじゃん?なんでわたしだけいつも呼び捨て?」
「マクローリーさんってのは言いにくいよ」
「ちっちち、だめだめ、ぜんぜん言いにくくなんかないよ」
「ポールのほうが親しみがこもっているとか」
「じゃあさ、こちら、吉夫、順一、ポール、とか言えばいいじゃん」
「あのねえ、日本人は名前で紹介しないのは、知ってるでしょ」
「じゃあ、なんで、ガイジンはいいわけ?」
以上は、ほぼ実際の会話の流れです。
さて、ざっと考えて、だれかの名前を呼び捨てにするのは、次のような場合でしょう。
(1)その人が自分の身内の人間である場合。「えっ、孝太郎がそんなことを言いましたか」なんていう場合は、その話し手と孝太郎は、親子、兄弟、親戚、親友などであるということが日本人ならすぐわかる。
(2)その人間が犯罪者だったり、あるいは話し手がその人に悪意を持っていたり否定的に見ている場合。「麻原彰晃がやったんだよ、絶対」なんていうのがこれにあたる。
と、ここまではわたしでも説明ができると思うのですが、どっちもポールくんが聞いて「ああ、じゃあまあ仕方ないね」とはならないなあ。そんならよけい酷いじゃん、と言われそうである。
ところが今日、高島俊男さんの『お言葉ですが・・・』を読んでいたら、こんな箇所があった。(どっちがエライ、「君」と「さん」)
昔から、といってもそれほど大昔ではないがともかく戦前から、文士と役者と相撲取りと野球選手とは、名前を呼び捨てにしても失礼でないことになっている。誰が決めたというのでもないが、まずそういうことになっている。
あ、これはイケルと思いましたね。
ただこれを英語で説明するのは、難しいよきっと。(笑)
(3)呼び捨ての方が自然であるという場合がある。「朝青龍さん、今日帰国しちゃったんだってね」とかは丁寧というよりむしろヘンである。「でさぁ、木村拓哉がそこで言ったの」なんて女子高校生が電車の中で喋っていたら、こいつらは映画とかテレビドラマの話をしていることが了解できる。これが「そのとき木村拓哉さんが言ったの」となると、なんだか現実の世界でキムタクが言ったようなニュアンスになって、普通の人はそうではないわけだから、さんをつけることが誤解をわざと誘導するみたいで、かえってその有名人に礼を失するというような感じになる。
さて、こう考えてみると、ポールくんは、日本語で名前の呼び捨ては、上記の(1)か(2)を意味すると知っているからむくれるのね。
一方で、わたしたち日本人の方は、それをあまり悪いことだと思わない(むしろ好意でそうしているつもりである)のは、なんとなくそのガイジンをガイジンであるということで、その人はまったくの無名な人であるのに、(3)のケースの有名人やスターと同じように扱ったつもりになっているからではないか。そう考えるとなんとなく腑に落ちるような気がするんだけどどんなもんでしょう?
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