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2007/09/11

東子・カウフマン自伝

小さいときから昆虫学者になりたかったこの少女は、将来の準備のために津田塾で英語、英文学をまず学ぶ。人文系の勉強を楽しんだとはいえないが、有益だったと著者は書く。
卒業し、自活するため、上海に渡る。上海市議会の秘書となる。おそらく父親のコネであろう。なんのアテもなく渡航したはずがないからである。その仕事をやめ、ドイツ通信社の仕事につく。まもなく戦争が始まり、上海は日本軍に占領される。著者は軍に睨まれて、スパイ扱いを受ける。明日には逮捕されるという情報を知らされ、逃亡生活に入る。まもなく戦争が終わり、一九四九年、上海からイスラエルに渡る。ヘブライ大学のボーデンハイマー教授のもとで昆虫学を学ぶためだったという。著者はまだ三十二歳である。
これが始めの三章の要約である。読んでいて、実に記述が短いと思う。人文系の人なら、ここまでをすでに波瀾万丈の物語に仕立てるはずである。それをかくも短く要約されると、読者としての私のイマジネーションが、逆に極度に動き出す。

1357946434_38b92905de 『虫取り網をたずさえて—昆虫学者東子・カウフマン自伝』青木聡子訳(ミネルヴァ書房)の解説から。書いているのは養老孟司。6頁ほどのごく短いものだが、なるほど本というのはこういう具合に読んで、こんな風に紹介するものかと感心するが、あらためて一読者がなにか書こうという気がほとんど失せてしまうので困ってしまう。

著者はその名前からもわかるように、ドイツ人の父親と日本人の母親の間に生まれた女性である。1917年、青島のドイツ租界に生まれ、日本で基礎的な教育を受け、戦中は上海で日本軍から「上海のマタハリ」とマークされ、戦後はエルサレムで昆虫学を学び、さらにミュンヘンで博士号を取り、アメリカを生活のベースにして、ガーナ、アラスカ、タンザニア、ニジェール、ナイジェリアなどで昆虫の研究を行い、70歳のときに終の住処としてケニアのナクルを選んだ。2003年逝去。享年83歳。
ずいぶん面白い人生だったのだろう、本書のなかの著者の最後のパラグラフ—。

私は自分がどれくらい生きるのかわかりません。幸運にも私は健康に恵まれ、この健康が続く限り研究を続け、同時に猫と平和に暮らし、静かで澄み切った夜に星を見つめ、魂を天にまで高めるつもりです。幸せに生きてきたので、その時が来たら、幸せにこの世を去るでしょう。流れ星を虫取り網で捕まえて、ちょうど何光年か前、突然この世に生み落ちたときと同じくらい突然に、地球のはるか上の方で消えてしまいさえできたら、どんなに素晴らしいでしょう!

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