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2007/09/17

コーカサス、コーカサス

駅で見たことで一つだけコーリカが黙っていたことがある。揚水所の先の引き込み線の奥に止まっている奇妙な列車のことだ。その列車に行き当たったのは偶然だった。線路沿いにプラムの実を集めて行くと、暖房貨車の格子のはまった窓から誰かが呼んだのが聞こえた。顔をあげると見えたのは眼だ。初めは眼だけしか見えなかった。男の子のか女の子のか、黒いキラキラした眼、それから口と舌と唇が、見えた。口を外に突き出して、ただひとつ「ヒーッ」と奇妙な音を発している。コーリカはびっくりして、青みがかった固いプラムを握った手を開いてみせた。「これ?」何かねだっているのは明らかだった。プラム以外に何もないんだ、これに決まっている。
「ヒーッ!ヒーッ!」声が挙り、生気のなかった貨車の中身が突然生き返った。格子に子供たちの手や眼や口が次々はりつき、入れ替わり立ち替わりお互いに押し退け合っているようで、その度に不気味な声のうなりは大きくなり、まるで象のお腹がグーグー鳴っているようだ。
コーリカは飛び退いて、あやうく転びそうになった。その時、武装した兵士がどこからともなく現れた。兵士は拳で車両の板壁をたたいた、強くではなかったが、声はすぐにおさまり、死のような静けさが訪れた。手も消えた。ただ恐怖に満ちた眼だけが残った。

Book_kiniro02 『コーカサスの金色の雲』プリスターフキン(群像社)の印象的な情景。
第二次大戦末期、ソ連はすでにナチス・ドイツのファシストどもを国土から追い払い、戦線はヨーロッパへと移っているが、ここモスクワの孤児院では、子どもたちはほとんど餓死寸前だ。戦争で国は荒廃し、町には孤児があふれている。孤児院に割りあてられたはずのなけなしの配給パンは、当然、孤児院の院長や係官が横領し、子供たちのところまではまわってこない。
10歳そこそこのサーシカとコーリカという双子(?)の兄弟は、パン切り場の保管倉庫を襲おうと地下トンネルを掘るが、この横穴が兵隊に見つかってしまった。このままでは、どっちにしても犯人として挙げられるのは必至だ。ずらからなきゃ。どこへ?
コーカサス、コーカサス。美しい山脈。肥沃な土地。

 巨人のような巌の胸で
 金色雲さん 一夜を過ごし
 夜の明け初めに
 発って行った
 るり色の空で楽しげにきらめきながら

山って見たことないが、たぶん孤児院の建物くらいでかいんだろう。その山と山のあいだにパン切り場はいくらでもあって、鍵だってかかっちゃいないんだ。いくらでも好きなだけパンを食べていい。
「行く。おれたち兄弟。コーカサスへ」
よし、こいつら、コーカサス行きだ。なんせ、年長の奴らコーカサス行きを申し渡すとみんな脱走しやがる。自分から行くなんて感心じゃないか。
幸いコーカサスは恵まれた土地が「敵」の手から解放されつつある。あそこに行きゃあ、おまえらだってたらふく食えるんだ、行け、コーカサスへ!
こうして二人は他の500人の孤児(ヤマイヌども)と列車に乗せられ放逐された。孤児には五日分のパンと食料を与えるよう書類が発行されていたが、もちろん孤児どもにはなんの食料も渡されない。飢え死にとの戦いの長い長い旅がかれらを待っている。
孤児の世話を口実にして軍務を免れ、人口削減のために追い払う孤児の旅のあいだだけの食料さえ横流しする共産党の役人ども。北朝鮮でいまおこっていることと同じだろう。

このまま放っておけば、こいつら飢えて死んじまう。機関士は、田園地帯で列車を緊急停止させる。ヤマイヌどもは勝ちどきをあげて突進し、畑から生の野菜を食えるだけ腹に詰め込む。
「一生に一度ぐらい腹一杯喰ったって、ロシアの損にはならねえよ‥‥」機関士がつぶやく。
すでに衰弱していた子どもたちの胃腸が生の野菜をうまく消化できるわけもなく、そのあとは語るも悲惨な下痢下痢特別列車の誕生だ。やむをえず、一時休息をとらせるために、孤児どもの列車は引き込み線に退避し、ここで数日をつぶす。
冒頭の謎の車両にコーリカが遭遇したのが、ここの駅の待避線であった。

Book_chikai

10歳のコーリカは知らなかった。
コーカサスに行けばなぜたらふく食えるはずなのか。
祖国ソ連が、農民の最良の友スターリンが駆逐している「敵」が誰であるのか。

孤児たちを乗せた列車が南へ南へ向かうのと反対に北へ北へ向かう家畜運搬車が何百何千と編成されていた。
ハッサン・バイエフの『誓い チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語』(アスペクト)から。

第二次世界大戦が終末に近づくころ、スターリンの少数民族弾圧政策がはじまった。スターリンはチェチェン人が戦後の独立を意図してナチスドイツに協力したと非難し、チェチェン民族全体をカザフスタン、キルギスタン、シベリアへ移住させることを命令した。一九四四年二月二十三日、ロシア内務省軍隊がなんの警告もなくチェチェンの山野に現れると、老齢者や身体の不自由な者を処刑したあと、百万人におよぶチェチェン人を家畜運搬用貨車に詰め込んで、遠い僻地へ移送した。六週間にわたる移送のあいだに、チェチェン民族の心に刻まれている記憶によれば、総移送数の約半分、五十万人が死亡したという。ロシア警察の記録文書によると、この強制移住の人数は全体で六十万人、うち二十万人が移送の途中で死亡したと記されている。
(ニコラス・ダニロフによる序説[解説])

コーリカが聞いた「ヒーッ」は、「水」と意味のチェチェン語であった。水さえ十分には与えられず、車中で男女の別もなくぎゅうぎゅう詰めに立たされ、全員が車中で排便するしかなく、妊婦は出産し、あるいは死産し、死んだ人間は線路脇に投げ捨てられた。

「無人」となったコーカサスの肥沃な土地に、追い払われた人々の家に、ロシアの各地から口減らしで送り込まれた入植者が入った。だが、チェチェン人で強制移送を逃れた人々も少なからずいた。かれらは山岳地帯に逃げ込みゲリラとなってロシアからの入植者を襲った。大人の入植者たちは知っていた。自分たちが他ならぬ侵略者であり、他人の土地や家や財産を奪っていることを。だれだってよほど食い詰めなければ、いつ土民に殺されるか知れないチェチェンなんぞにやってくるものか——。

この『コーカサスの金色の雲』と『誓い』とは、語られる時代はまったく違うが、それにもかかわらず本質的にはなにひとつ変わらない同じ一つの巨大な不正義を、ロシア人の視点だけでもなく、チェチェン人の視点だけでもなく、限りなくクリアに描いている。

チェチェン問題は、これからも国際政治上の大きな火種になるだろう。
ロシアは大きな道義上の負債を負っている。
ほとんど返済不能なほどの。

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コメント

河上肇に次のような文章がある。敗戦直後に書かれたもの。スターリンやモロトフのような偉人によって政治の行われているこの地域こそ自分の理想郷であると述べている。そのときここでなにがおこっていたかを考えると感慨が深い。
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げにコーカサスこそは、老子の「小国寡民、其の食を甘しとし、其の服を美しとし、其の居に安んじ、其の俗を楽む」と言へるものの模型と謂つて差支あるまい。
(中略)
 あゝコーカサス! 京都の市民の数倍にも足らぬ人口から成る小さな小さな共和国、冬暖かに夏涼しく、食甘くして服美しく、人各々その俗を楽しみその居に安んずる小国寡民のこの地に無名の一良民として晩年書斎の傍に一の東籬を営むことが出来たならば、地上における人生の清福これに越すものはなからうと思ふ。

小国寡民
河上肇

投稿: かわうそ亭 | 2007/10/16 14:12

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