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2007/10/05

なんぼ英語がペラペラかて

前回のお話の田中訪中と日中国交回復は1972年9月のできごとですが、日本の親分のアメリカのほうはこれより七ヶ月前の2月21日にニクソン大統領が訪中を果たしている。この歴史的な訪中のお膳立てを隠密外交で見事に仕上げたのがキッシンジャー国務長官ということになるわけですが、そのときに毛沢東の英語通訳であったのが前回出てきたナンシー・タンこと唐聞生である。

さて今回のお話はニクソン訪中よりさらに一年ちょっと前のこと。
1970年12月18日、『中国の赤い星』で一躍名を高めたエドガー・スノーが毛沢東に会見し、その模様を「ライフ」誌に掲載した。まあ、これもニクソン訪中の露払い的な役として米中双方に選ばれたという含みは当然あったのでしょう。
スノーは中国語もある程度できるはずですが、このときは英語でインタビューした。当然、唐聞生が通訳であった。
このインタビューを朝日新聞が買い取って1971年4月に六回にわたって独占掲載したのだそうです。
そのなかにこんな一節がある。

主席は丁重に私を送り出しながら、自分は複雑な人間ではなく、実はとても単純な人間なのだと語った。いわば、破れガサを片手に歩む孤独な修行僧にすぎないのだと・・・・・。

いやカッコいいですね。1970年といえば、まだ文化大革命のさなかです。いまでこそ、この時代をよく言う人はまずいないでしょうが、この時代は、まだまだ西側諸国でも毛沢東に対しては個人崇拝というほどではなくとも、漠然と偉人というイメージをもつ人間は珍くなかった。
ここで簡潔に描写される毛沢東の姿はなんだか南画の中の枯淡な僧侶のような印象。

こういう、別れ際の一言をそのインタビュー全体の基調にしてしまうやり方は、おそらく英米の記者の有名人探訪記の定石でありますね。
例をあげましょう。

わたしを見送るためにフロイトは、山の別荘から街へと通じる石段を、妻と娘と一緒に降りてきた。さよならの手を振ったとき、彼は悲しく寂しそうに見えた。
「わたしをペシミストに見えるようには書かないでください」と最後の握手を交わしたあと、彼は言った。
「わたしは世界を軽蔑してはいません。世界に対して軽蔑を表明することは、聞いてもらいたい褒めてもらいたいために世界に擦り寄る別の方法に過ぎません。わたしはペシミストではありません。子供たちがいて、妻がいて、花が咲いている間は」
『インタヴューズ』
ジョージ・シルベスター・ヴィーレック『偉人瞥見』(1930)より
岸田秀訳

なんだか、これでぐっとフロイトがいい人に見えるでしょ。
いやフロイトはこの際どうでもいい。問題は毛沢東である。この、自分は「いわば破れガサを片手に歩む孤独な修行僧にすぎない」発言は、じつにうまく効いています。ほとんど高潔な人格者のイメージをこの一言によってつくりあげている。

ところがですね、これ、まったくの勘違いだというのです。大間違いもいいとこ。

このとき毛沢東が言ったのは「和尚打傘」というものでありました。
これを唐聞生は「いわば僧が傘をさしているようなもの」と英語に直訳してスノーに返し、これをまたスノーはえらく哲学的に解釈して上記のような別れ際の言葉に仕立てた、ト。

「和尚打傘」というのは、じつはなぞなぞの前半で、これは普通の中国人なら誰だって知っている言葉なんだそうです。「和尚打傘」とくれば省略された後半は「無法無天」に決まっている。意味はメチャクチャやりほうだい。

坊主が傘をさしているのだから「無髪無天」。すなわち、坊主は頭を剃っているから無髪、傘をさして空がかくれたから無天。髪と法は、どちらもほぼ同音の「フア」なので、和尚打傘といえば無法無天とみんな面白がって言い慣わす。法律も無視するし、天理(道徳)も無視する。ムチャクチャやりほうだい。

日本語でもそんな言葉ってあるかなあ、としばらく考えたが、いいのは思いつかない。ちょっとくるしいが―
「うちの親方がどんな人かって?まあ、屋根屋のふんどし、カエルのしょんべん」
「ははは、大人物なのね」
なんてところかなあ。

つまり毛沢東のほうは、おれは単純な人間なんだよ。ムチャクチャやりたいほうだいやってきただけさ、というだけのことであった。ぜんぜん違うじゃん。(笑)

唐聞生という人は中国語のサイトを少々眺めると(読んだわけではないよ)1943年生まれのようですから、このとき27歳くらいでしょうか。英語はぺらぺら(ために毛沢東は彼女のことを「アメリカ人」とからかって呼んでいたことを前回紹介しました)だったのでしょうが、いかんせん下世話な庶民の生きのいい中国語を聞いて育ったわけではなかったのか、「和尚打傘」を意訳せず、よくわからないまま、スノーに伝えたものと思われます。
なんぼ、英語がしゃべれても、これではダメでありますな。
ま、怪我の功名で、毛沢東の神秘的なイメージ形成には役立ったのかもしれません。

今回のネタは高島俊男さんの『お言葉ですが・・・(7)漢字語源の筋ちがい』に収められた「孔子様の引越」から。小生、目下、高島先生マイブーム。(笑)
なお、わたしは和尚打傘、無法無天を単純になぞなぞと書いていますが、こういう言葉は「歇後語(けつごご)」と言うのだそうです。くわしくは、ホンモノの高島先生の本をどうぞお読みくださいませ。

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コメント

高島氏の毛沢東の話は憶えていましたが、『インタヴューズ』も読んだはずなのに、こちらのフロイトの話は忘れていました。歇後語としての面白さよりも、インタヴュー記事の基調を上手く盛り上げる遣り口として、スノーの毛沢東会見をフロイトのインタヴューと結び付けたところに脱帽します。こういう観点からもう一度『インタビューズ』を読み返したら、彼ら(インタビューアー)の手が見えてくるのではないかと思った次第です。

投稿: 我善坊 | 2007/10/05 22:51

ここ数日、高島さんの『お言葉ですが・・・』のシリーズに読み耽っております。週刊文春も、ときどき目を通しますので、多少は連載中のエッセイも読んでるはずなんですが、ぜんぜんおぼえていなくて新鮮です。
それに本になったときには「あとからひとこと」というのが活字を少し落として書き加えられているのが、面白いですね。なんか、ブログのコメント欄みたいで。(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2007/10/05 23:18

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