尾張の杜国をめぐって(上)
鷹一つ見付てうれしいらご崎 芭蕉
芭蕉、四十四歳、『笈の小文』で愛弟子杜国(とこく)との再会を詠んだ句であります。
うーん、獺亭さん、もしかして芭蕉の男色についての話題ですか、そんなのもう聞きあきましたよ、と言う声が聞こえるような気がする。(笑)
いかにもごもっともで、『笈の小文』の旅で万菊丸と名を変えて吉野の旅に同行した杜国が、芭蕉と衆道の関係にあったというのは別に目新しい説ではない。
え、そんなの聞いたことがない、なんて方がもしいらっしゃれば、たとえば、こちらの「俳聖・松尾芭蕉の純粋な純粋な恋」という記事などを読みいただくと現代のゲイのみなさんからみた美しいラブストーリーの構図が見えて面白いかもしれない。
まあ、わたしはこの作者の視点は、読者の興味を惹くためとはいえ、まったく感心しませんけれどもね。
芭蕉と杜国はたしかに衆道関係にあったと思いますが、この旅が二人のハネムーンのようなものであったとはちと考えにくいようですよ、というのが実は今回のオハナシなんであります。上下二回くらいに分けて書こうと思っとります。
元ネタは『芭蕉と蕉門俳人』大磯義雄(八木書店/1997)に収録された「杜国関係の資料か‐『鸚鵡籠中記』の一記事」という短い論文。
「鸚鵡籠中記」は尾張徳川家の御畳奉行、朝日重章の数十年にわたる詳細な日記です。
この朝日さん、さほど身分の高い役職ではなかったようですが、それだけに市井の噂話などにもよく通じておられた。筆まめで好奇心旺盛、情報通ということで、その日記は世上の出来事やらゴシップが盛り沢山の元禄期の貴重な資料となりました。
しかし、内容の一部に生類憐愍令への批判があったり、藩主一族の不名誉な記事などもあったために、ながらく尾張藩に秘蔵とされ、その全文が一般に公開されたのは1969年、名古屋市教育委員会が刊行した「名古屋叢書」の第9巻から第12巻がそれであった。ただし、これはおそらく原本の印影本のことだと思われますので、機会があったとしてもわたしなどには読めないものと思います。
神坂次郎が『元禄御畳奉行の日記』(中公新書)という本を出していますが、半分ほど読んで面白くなくて放り出した記憶あり。(笑)まあ、若いときだったので、いま読むとまた違った感想を抱くでしょうな。
さて、この「鸚鵡籠中記」の貞享四年(1687)四月十三日と同年六月十一日の条に、大磯義雄さんという国文学者が、おもわず身を乗り出すような記事があった—というところで、以下次号。
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