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2007年12月

2007/12/29

2007年

今年も残すところあとわずかとなりました。
覚えとして今年1年の記事数をとりまとめました。(カッコは昨年分)

(1)書評                         26(19)
(2)本の頁から               47(39)
(3)俳句                         23(27)
(4)短歌                           8(  9)
(5)国際・政治・経済       8(11)
(6)サイエンス                 2( 5)
(7)映画・テレビ            16(19)
(8)コンピュータ            11( 7)
(9)その他                      15(22)
TBポリシー他                   1( 0)

計 157 (158)

ただしこのうち7本はカテゴリーが重複していますので、記事の実数としては150本。
これらの記事に対するコメントは自分のものもふくめて271(266)。
トラックバックは36(41)。
エントリー数はだいたい去年並み。まあざっと二日半に一回くらいの割合で、更新したような結果となりました。
ちなみにこのブログの開始以来の記事数は、このエントリーをふくめて603件となっています。まあ、我ながらよくあきもせずと思いますが、来年も引き続き、気楽なおしゃべりにお付き合いいただければ幸いです。
明日から10日ばかりオフラインとなります。
みなさま、よいお年をお迎えください。

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2007/12/21

游子夜歌

『詩魔−二十世紀の人間と漢詩』一海知義(藤原書店)から。
法然院に眠る九鬼周造の墓にゲーテの「旅人の夜の歌」からとった一連の和訳が刻まれている。訳者は寸心居士、すなわち西田幾多郎。
(九鬼の墓と墓に刻まれたゲーテの訳詩の写真がこちらのサイトにありました)
一海先生の文章は短いものですが、たいへん面白い。
まずゲーテの詩の原文から。

 Wandrers Nachtlied

 Über allen Gipfeln
 Ist Ruh,
 In allen Wipfeln
 Spürest du
 Kaum einen Hauch;
 Die Vögelein schweigen im Walde.
 Warte nur, balde
 Ruhest du auch.

ドイツ語がだめな方(わたしもそうですが)のために、ネットで検索すると、英訳がいくつか見つかりました。ここではロングフェロー訳を。

 WANDERER’S NIGHT-SONGS

 O'er all the hill-tops
 Is quiet now,
 In all the tree-tops
 Hearest thou
 Hardly a breath;
 The birds are asleep in the trees:
 Wait; soon like these
 Thou too shalt rest.

 (H. W.Longfellow)

さて九鬼の墓に刻まれた西田幾多郎訳とはこういうものです。

 見はるかす山々の頂
 梢には風も動かす
 鳥も鳴かす
 まてしはし
 やかて汝も休はん

濁点をとっていますが、動かず、鳴かず等であります、念のため。

以下、一海先生の文章から、吉川幸次郎の五言絶句による漢詩訳と、銭春綺による漢詩訳を転記、ご紹介します。これがじつによい。

 諸峰夕照在   諸峰 夕照在り
 樹杪無隻籟   樹杪 隻籟無し 
 投林帰鳥尽   林に投じて帰鳥尽き
 物我亦相待   物我 亦た相待たん

 吉川幸次郎
  樹杪:じゅびょう
  隻籟:せきらい

 游子夜歌

 群峰
 一片沈寂、
 樹梢
 微風斂迹。
 林中
 栖鳥緘黙。
 稍待
 你也安息。

 「歌徳詩集」
  銭春綺
  歌徳:ゲーテ

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2007/12/18

アジア・太平洋戦争

岩波新書で出ている「シリーズ日本近代史」の第六巻は吉田裕の『アジア・太平洋戦争』。このシリーズについては、今年の4月に第一巻の『幕末・維新』井上勝生について簡単な感想を書いた。(こちら)

そのときに、この幕末維新史が、「明治国家はけなげであった」という素朴な歴史観(わたしの場合は主として司馬遼太郎を読むことで形成された)に真っ向から礫を投げつけるようなものである、という印象を書いた。好悪は別のこととして(つまりわたしはあまり好きではない)その志やよしと思ったのであります。

今回の『アジア・太平洋戦争』についても、似たようなものを感じる。
著者はわたしと同年代の研究者だから、自分自身の体験として戦争のことを語ることはできない。

しかし直接に体験はしていなくても、戦争の現実、戦場の現実に対する想像力を身につけることはできるのではないだろうか。そもそも、直接に体験していない事象を想像することができないとすれば、歴史学という学問は成り立たないだろう。

正論だが、同時にそんなあたりまえのことをわざわざ前書きに書かなければならないところに、大東亜戦争を歴史的に分析する困難さもあるだろうな、と複雑な思いも去来する。
それはそれとして、現在のわたしたちにも大きな思想や判断の準拠枠を与えているこの戦争の時代について、ひとつの暗黙のオハナシがあるような気がする。
こんなものだ。

大日本帝国憲法の下にあって、その法制をもっともよく理解していたのは昭和天皇だった。昭和天皇は個人としては英米との戦争はもとより、中国大陸への侵攻も望んでいなかった。領土的な野心をこの人物は個人としては持っていなかった。しかし、同時に昭和天皇は天皇というものを国家の一機関であると認識していたから、正統な政府が決定した内政および外交方針については、たとえそれが自分自身の意に沿わないものであっても、それを決裁することが通例であった。すなわち、軍部が統帥権を錦の御旗として国政を壟断したことと対照的に、昭和天皇自身は親政というかたちで自分の意思を通すことをきびしく自分に禁じていた。わずかな例外のひとつが連合国のポツダム宣言の受諾と無条件降伏の国策決定であった。

ほかの人にとってはどうか知らないが、わたしにとってはこのオハナシは耳に快い。

ところが、本書『アジア・太平洋戦争』はこうした通俗的な昭和天皇像に対して、いやどうもそんなんじゃなかったみたいよ、という天皇像をいろいろと提示してみせる。
その具体的な史料等については、ここではいちいち取り上げないが、上記のようなオハナシが心地よい(わたし自身がそうであることはすでに書いた)向きには、ちと都合が悪い内容である。
こういうことを明示的に書くのはいまでも注意しなければならないだろうから、さすがに著者もはっきりとそう書いているわけではないが、あきらかに著者の立場は、天皇には戦争責任があるというものだろう。それも形式的な法制上の責任者であるという消極的な責任ではなく、能動的君主として開戦を決断し、戦争を指揮したという責任である。

専門家向けではなく、わたしのようなごく普通の読者を想定した新書の現代史では、率直に言ってかなり踏み込んだ内容だと思う。好悪は別として志は買うというのがわたしの感想。

それ以外にも、いろいろ示唆に富む切り口があって本書は面白かった。
ふたつ例をあげる。
ひとつは、アメリカ合衆国はこの第二次世界大戦では唯一戦争によって国力を向上させた強国であり、この「成功体験」がいまにいたるまで大きな影響を与えているという指摘。口ではなんと言っても、かれらはいまでも戦争はよいものだと思っている。
もうひとつは敗戦直前、特攻で消耗させられた兵力の大半が学徒動員兵であったという事実。職業軍人は同じ職業軍人をかばい一般社会から徴発した市民(それこそかれらが命がけで守るべきものであったはずだが)を消耗品のようにすり潰したが、それによって、ほかならぬ学徒動員の生き残りの戦後のエリート層に軍隊への嫌悪と忌避を決定的に植え付けたという視点。たしかにそうだったんだろうなあ、と具体的なあの人、この人の顔を想起しながらそう思う。

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2007/12/16

Like A Rolling Stone

iTunesのデータを再構築したときに再生回数のデータを捨ててしまったので、毎日の通勤のときにiPodでシャッフルしながら、もういちど全曲聴いているのだが、なかなか全部終わらない。
今日は日曜日なので空いた電車で、半分眠りながら聴いていたら、ボブ・ディランのLike A Rolling Stone になって、つぎの一節が耳に突き刺さった。

After he took from you everything he could steal.

深い理由はない—いや、ないこともたぶんないが、このときに瞬間的に一人の男の顔が頭に思い浮かんだ。
御手洗冨士夫・キヤノン会長(日本経団連会長)である。

「やつはお前からすべてを奪ったあとで、まだ盗むことができたのさ」

家に帰って、NHKを見るともなしに見ていたら、ワーキングプアをテーマにした番組。
人間の評価は安易にするべきことではない。社会問題も単純化するべきものではないかもしれない。
しかし、昨今の財界の言説のえげつなさは、目に余ると言われても仕方あるまい。
やつらは盗んでいるんだ、ということが広く社会の共感を得る時代がきているのではないか。すくなくとも、わたしはそういうプロパガンダに対して、以前のように冷ややかな反感はおぼえない。

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2007/12/14

ツーソンの女教師

2007_1214 ゼナ・ヘンダースンといえば、中学・高校生のころ「SFマガジン」誌上で、ピープル・シリーズを愛読したものだが、よく考えると、このシリーズのほかにどんな作品を書いていたのかまったく知るところがなかった。
『ページをめくれば』(河出書房新社)は、この作家の(わたしには)ちょっと意外な傾向もふくめて、その作品の全貌を伝えてくれるなかなかおもしろい短編集。

ピープル・シリーズからも一編とられているが(「忘れられないこと」)、残念ながら、これはあまりできのよい作品ではない。編者の方針で、できるだけ他の短編集やアンソロジーからこぼれているものを選んだ結果なのかもしれない。このシリーズは早川文庫で『果てしなき旅路』と『血は異ならず』の二冊が出ているそうな。何十年ぶりに読み返してみるのもいいかもしれないなあ。

ピープル・シリーズというのは、地球に不時着し散り散りになった宇宙人の後裔たちが同胞を探してさまよう、といったオハナシ(いまでこそ、ああ例のやつね、てなもんですが、たぶん、そういうスタンダードなアイデアの大本になった作品のひとつがこのシリーズだろう)なんですが、典型的には、教室の片隅にいる不思議な子供の存在に女教師が気がつくなんてところから事件が始まる。かならずといっていいほど学校と子供が出てくるのは、作家自身がアリゾナの小学校で教えていたからで、そういうシチュエーションで読者が期待するとおり、物語は基本的に善意と共感に縁取られた心あたたかい人間ドラマとして終始する。だから、わたしはこの作家をそういう作風で記憶していたのである。

ところが、先に述べたように、今回、ピープル・シリーズ以外の作品をある程度まとめて読んでみて、わたしが意外に思ったのは、けっこうダークな味わいのものがあったからだ。むしろ、こういう味わいのもののほうが、作家本来の嗜好に近いのではないかとさえ思った。

Zenna しかし、この作家のバックグラウンドをあらためて調べてみると、こういう「フォースのダークサイド」(笑)への嗜好についても、なんとなく得心がいくところがあった。
ゼナ・ヘンダースンZenna Chlarson Henderson (1917~1983)は、アリゾナのツーソンに生まれ(Tucson, Arizona というとビートルズのGet backを思い出すね)1940年にアリゾナ州立大学で教育学士を取得し、生涯を教師として過ごした。本書の解説(中村融)によれば、第二次大戦中は日本人キャンプでも教えていた由。
だが、この作家の作風を考えるときにもっとも重要なことは、次の事実だろう。(ゼナ・ヘンダースンの公式サイトから)

Zenna Henderson was born and raised as a Latter-day Saint. She was baptized as a member of the Church of Jesus Christ of Latter-day Saints. Her background growing up in rural, predominantly Mormon communities of Arizona is readily apparent in much of her writing, including her "People" stories.

モルモン教のSF作家といえばすぐにオーソン・スコット・カードが思い浮かぶが、この公式サイトの記述によれば、カード自身も自分の小説に大きな影響を与えた作家の一人としてゼナ・ヘンダースンをあげているようだ。
たしかに読後に残る印象については、共通点があるような気がする。
死や暴力や破滅に対する恐怖と嫌悪が一方にあり、しかし同時にそれに対してどうしようもなくひきつけられてしまう自分の願望のアンビヴァレントな並存なんて感じ。
そこが魅力でもありちょっと敬遠したくなるところでもある。

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2007/12/13

ロッジ『恋愛療法』

Therapy2 デイヴィッド・ロッジの『恋愛療法』(白水社)を読む。
原題は『Therapy』。

主人公のタビーは58歳のテレビドラマの脚本家。ほんとうの名前はロレンス・パスモアというのだが、中年過ぎて頭は禿げて体は洋ナシ形に変形、タビーとは「太っちょ」という愛称である。女房は大学の准教授かなにかで、ふたりの子供がいたが、いまは子供は独立し、夫婦二人だけの生活である。

数年前に「お隣さん」というシットコムのシリーズが大当たりをして、「裏庭に油田を掘り当てた」ように金はざくざく入ってくるので、生活にはまったく困っていない。いや困っていないどころではない。絵に描いたような裕福なご身分。
街角のショールームで見かけた真珠色に輝く美しい日本の高級車に魅せられて、何日も買おうかやめようか、くよくよ迷いに迷ってみせるのだが(お金はあるんだから欲しいんならさっさと買えばいいでしょ、と夫の優柔不断にうんざりした妻は言う)、いざその車がショールームから消えると、あわててディーラーに飛び込み、あのクルマはどうした、と営業マンに詰め寄る。あれはオレのクルマだぞ!(笑)
あの仕様は日本の工場でしか生産しないタイプですので、いまからご注文いただいても同じクルマが納車されるのは数ヶ月先です、と言われて、ふざけるんじゃないと逆上する。わかりました、わかりました、もしどうしてもとおっしゃるなら、他のお客さんが注文して日本からこちらに向かっている分がありますから、プレミアムを払えば譲ってもらえるかも。いいとも、金ならいくらでも出す。なんとしてでもそいつを手に入れてくれ・・・
ラミッジに高級住宅を構え、ロンドン市内にもひとつフラットをもっている。
テレビ関係者だからそういう機会は簡単に得られるのだが、妻以外の女とセックスはしない主義である。ただ、セックスはしないけれど、ロンドンで一緒に演劇を見に行ったり、常連のイタリアン・レストランで業界のゴシップを交換したり、フラットに帰って一緒に酒を飲んでリラックスする愛人のような女は一人いる・・・

世のなかにはもしかしたら、そんな恵まれた男もいるかも知れぬ。人生に勝者というものがもしあるとすれば、たぶんタビーのような男であろう、とわたしなどもその境涯をうらやむ。

いや、ぐたぐた泣き言を言いながらも、ほんとうは本人もそう思っているのだろう。

膝に謎の痛みがあり、手術をしても治らない。夜はよく眠れず、気分は落ち込み、キルケゴールにとりつかれ、認知行動療法だのアロマセラピーだの鍼だのいろいろなクリニック通いが日課である。自分が裕福であることが疚しいけれど、保有資産の目減りには敏感だ。労働党の支持者を公言しているが、総選挙ではメージャーが勝ったのでほっとした。(本書は1995年の出版)保守党のほうが金持ち優遇策をとってくれると思っているから、はは。
認知行動療法のセラピストが治療の一環として手記を書くことを勧めたのだが、いまはこれにハマっている。ラップトップコンピュータに打ち込んでは家でプリントアウトして草稿を束にしているらしい。
本書、全部で4つのパートに分かれるのだが、その第一部がこの手記だというわけ。そのなかでタビーはこう書く―

幸せな結婚生活を送っているということは、結婚生活を演じる必要がないということだ。

うん、そうね。そういうもんだよな、と多くの亭主族は思うんじゃないかな。ところがところが、自分たちの結婚はうまく行っていると思い、当然相手もそう思っているものと決め込んでいた(まあ、最近多少は上の空で話を聞かないこともあるけどさ)女房が、ある晩、書斎にやってきて爆弾をぶつける。

しばらく別居したいのよ。

え、え、な、なんで、なんで・・・
というところで第一部終了。

いやあ、あいかわらずデイヴィッド・ロッジは面白い。
滑稽で、かなしくて、苦い。そして、本書にかぎっては、この作家にしてはめずらしく青春の甘酸っぱさも味わえて、オススメの一品に仕上がっております。

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2007/12/12

Vocalist

2104893907_52e568a0ef 徳永英明の「Vocalist」1から3まで通して聴く。
ちょっとまえのテレビのうたばんで石橋貴明と中居正広のリクエストに応じて伴奏なしで歌ったのがとても印象に残っていたのだ。
「へえ、これはちょっとしたもんだ」と、音楽にはなじみのないわたしも思わず手をとめて聴き入った。

3枚のアルバムに収録された楽曲は全部で40曲。このちょっと高い音域とハスキーな声の質がいまの時代の気分に合っているんだろうな。

テレビでは、「まちぶせ」「恋におちて」「あなた」などをよく歌っているが(それももちろん悪くないが)わたしが、絶品だと思うのは「かもめはかもめ」だな。
あれ、この曲の歌詞ってこんなによかったかなあ、とびっくりした。
人間の声と言葉はストレートに心に達する。
おそろしいほどに。

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2007/12/11

ラシー

Lacieの外付けハードディスクを買った。
320ギガバイトで税込み19,980円。なんとまあ。

はじめて自分のお金で買ったパソコンは初代の98Noteで、こいつにはハードディスクなんてついてなかった。たしかフロッピーディスク・ドライブがひとつあってこれで通信ソフトを読み込んで、データは本体のCPUの数キロバイトの空き領域かなにかを開放する裏技でそこに一時的に書きためていくなんて使い方をしていたような気がする。よく憶えていないけれど。
あのころは、なにせデータ容量というのは切実な問題であった。大きなデータはダメという感覚がまるでトラウマのごとくしみついているので、はじめて iTunesにCDアルバム1枚入れたとき、70メガバイトくらい平気で食っているのをみて、正直「むむ」と動揺したものであります。わたしの感覚はいまだに「100メガあれば一生モン」の世界にある。(笑)

今回のパソコンのトラブルに懲りたので、いま使っているiMac本体を丸ごとクローンのようにコピーして、最悪の場合、ここからでも起動できるようにしたのであります。(たまきさんに教えてもらった"Carbon Copy Cloner"というソフトを使いましたが、あっけないくらい簡単に起動用可能のクローンができてしまった)

わたし自身に関しては音楽データも写真データも数ギガあれば十分なので、80GBの本体内蔵HDで管理してもかまわないのだが、本体のHDの容量がギガバイト単位で減っていくのはどうも気分がよろしくないので、iTunesとiPhotoのデータは今回外付HDに移しました。今後は、増えていく音楽や写真データがHDの容量を圧迫するなんて気にすることはあまりないんじゃないかな。

2007_1211 Lacie(301209J)は、「あ、安いじゃん(320ギガにしては)」と思って買ったのだが、まあ、音も静かだし本体の下においてけば、さほど目障りでもない。ポルシェ・デザインはともかく、いかにも事務機器ですという外観ではないのが好ましい。
見た目はアルミの固まりみたいだが、手で触ると意外にうすっぺらい。まあ、放熱とかいろんな条件があるのだろう。
不満としては、本体の電源を落としたときに、Lacieの方もスリープ状態にはなるようなのだが、パイロットランプのLEDインジケータが点灯したままであること。HDが動いていないときはやや暗めのオレンジ、作動しているときはこれが輝度を変化させるという仕組みなのだが、気分的には本体をパワーオフにすると外付けHDも完全に落ちてほしいんだなあ。いちいち裏側の電源ボタンを押してHDの電源を完全に落とすのはもちろん面倒くさいのだが、本体が切れたあともHDのLEDだけがついているのはどうも気分が落ち着かない。

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2007/12/04

漱石の悼む大怪物

漱石の「猫」に、とある上天気の日曜日、苦沙弥先生が吾輩の横に腹這いとなり、うんうん唸って、天然居士の墓碑銘を撰する箇所がありますね。

天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋を食い、鼻汁を垂らす人である

苦沙弥先生、一気呵成にこう書き流し、声を出してこれを読み、「ハハハ面白い」と笑うが、「うん。鼻汁を垂らすはさすがに酷だ、焼き芋も蛇足だ」と線を引き。結局「天然居士は空間を研究し論語を読む人である」だけにしたころで、これではあまりに簡単すぎると全部ボツにして、原稿用紙の裏に「空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然居士、噫」と書き連ねていると、いつものように迷亭がやって来る、てな場面。

この天然居士は、「猫」では曾呂崎という男だということになっているがれっきとしたモデルがあるそうですな。名前を米山保三郎という。
『森銑三遺珠1』(研文社)に「天然居士の墓」という一文がありまして、森銑三が駒込蓬莱町の養源寺にある米山の墓を訪ねたことが書かれてある。
昭和14年頃、森翁が訪れたとき、墓は安井息軒の大きな墓と相対していたそうですが、さてそれから70年近くたった現在でも残っているのでしょうか。

実際の墓銘は漱石ではなく、重野成斎が撰し巌谷一六が書した。重野成斎、安繹は、『逆説の日本史』シリーズなどでも井沢元彦が、その史料を厳格に使用する実証的史学で、これもあれも史実にあらずと抹殺していくので「抹殺博士」と罵られた話を紹介しておりましたが、米山の東大のときの先生であったそうな、ふーん。

森翁の掃苔録には、この墓銘を写してあるが、さすがに洟を垂らすだの焼き芋が好きだなどという文字は見えない。(当たり前だ)
ただし、洟をたらしていたのは本当のことだそうですな。

またこの米山の破天荒なエピソードとして、学生時代、一晩中かかって試験の答案を書いた話がある。

箕作佳吉博士の博物学の試験に、全員答案を出し終えた後も、平然と答案を書き続けているので、先生は助手に後をまかせて帰ってしまった。やがて夕方になったが、米山はまだ答案を書いている。助手も面倒だから、小使を呼んできて、番をさせて帰ってしまった。気の毒なのは小使で、まさか偉い学士さまの卵に催促がましいことは言えない。延々と答案を書き続ける米山の番をさせられた。翌朝になって箕作博士が出勤して、まだやっている米山を見つけてあきれて「もうよかろう」と答案を取り上げた。(笑)

正岡子規もこの米山には脱帽したくちで、哲学をやってもこんな男がいたのではとてもかなわんと方向を転じたのであった。まあ、そうかもしれぬ。

米山の訃報を漱石は熊本で聞いた。明治30年(1897)5月29日。享年二十九歳。
その年、6月8日に漱石は知人宛の手紙にこう書き記した。

米山の不幸返す返すも気の毒の至に存候。文科の一英才を失ひ候事、痛恨の極に御座候。同人如きは文科大学あつてより文科大学閉ずるまで。またとあるまじき大怪物に御座候。蟄龍未だ雲雨を起さずして逝く。碌々の徒、或は之をもつて轍鮒に比せん、残念。

Yoneyama 森翁はまた、漱石が米山と一緒に撮った写真を引き伸ばし米山の半身像に追悼の句を題したことを書かれてあるが、その句がなんであるか、いま資料をもたぬわたしはこれを詳らかにしない。

写真はおそらくこれであろう。
平気で洟をたらしていた男には見えないなあ。(笑)
なかなかいい写真である。
右が米山、左が漱石だとのこと。

(写真は東北大学附属図書館「夏目漱石ライブラリ/漱石の生涯」より)

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2007/12/01

11月に読んだ本

『安息日の前に』エリック ホッファー/中本義彦訳(作品社/2004)
『日本人の笑い』暉峻康隆(みすず書房/ 2002)
『知恵伊豆と呼ばれた男—老中松平信綱の生涯』中村彰彦(講談社/2005)
『清談 佛々堂先生』服部真澄(講談社文庫/2007)
『逆説の日本史 14 近世爛熟編文治政治と忠臣蔵の謎』井沢元彦(小学館/2007)
『写楽百面相』泡坂妻夫(文春文庫/2005)
『犬は勘定に入れません』コニー・ウィリス/大森望訳(早川書房/2004)
『古本屋を怒らせる方法』林哲夫(白水社/2007)
『坪内稔典句集 落花落日』(海風社/1984)
『坐職の読むや』加藤郁乎(みすず書房/2006)
『こでまり抄—久保田万太郎句集』(ふらんす堂/1991)
『赤い影法師』柴田錬三郎(新潮文庫)
『池内式文学館』池内紀(白水社/2007)
『江戸人物談義—鳶魚江戸文庫〈20〉』三田村鳶魚(中公文庫/1998)
『麦屋町昼下がり』藤沢周平(文春文庫/1992)
『四人雀—お江戸吉原事件帖 』藤井邦夫(幻冬舎文庫/2007)

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11月に見た映画

ゴースト・ライダー
監督:マーク・スティーヴン・ジョンソン
出演:ニコラス・ケイジ、エヴァ・メンデス、ピーター・フォンダ

ボーン・アルティメイタム
監督:ポール・グリーングラス
出演:マット・デイモン、ジュリア・スタイルズ、エドガー・ラミレス、ジョーン・アレン

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