ロッジ『恋愛療法』
デイヴィッド・ロッジの『恋愛療法』(白水社)を読む。
原題は『Therapy』。
主人公のタビーは58歳のテレビドラマの脚本家。ほんとうの名前はロレンス・パスモアというのだが、中年過ぎて頭は禿げて体は洋ナシ形に変形、タビーとは「太っちょ」という愛称である。女房は大学の准教授かなにかで、ふたりの子供がいたが、いまは子供は独立し、夫婦二人だけの生活である。
数年前に「お隣さん」というシットコムのシリーズが大当たりをして、「裏庭に油田を掘り当てた」ように金はざくざく入ってくるので、生活にはまったく困っていない。いや困っていないどころではない。絵に描いたような裕福なご身分。
街角のショールームで見かけた真珠色に輝く美しい日本の高級車に魅せられて、何日も買おうかやめようか、くよくよ迷いに迷ってみせるのだが(お金はあるんだから欲しいんならさっさと買えばいいでしょ、と夫の優柔不断にうんざりした妻は言う)、いざその車がショールームから消えると、あわててディーラーに飛び込み、あのクルマはどうした、と営業マンに詰め寄る。あれはオレのクルマだぞ!(笑)
あの仕様は日本の工場でしか生産しないタイプですので、いまからご注文いただいても同じクルマが納車されるのは数ヶ月先です、と言われて、ふざけるんじゃないと逆上する。わかりました、わかりました、もしどうしてもとおっしゃるなら、他のお客さんが注文して日本からこちらに向かっている分がありますから、プレミアムを払えば譲ってもらえるかも。いいとも、金ならいくらでも出す。なんとしてでもそいつを手に入れてくれ・・・
ラミッジに高級住宅を構え、ロンドン市内にもひとつフラットをもっている。
テレビ関係者だからそういう機会は簡単に得られるのだが、妻以外の女とセックスはしない主義である。ただ、セックスはしないけれど、ロンドンで一緒に演劇を見に行ったり、常連のイタリアン・レストランで業界のゴシップを交換したり、フラットに帰って一緒に酒を飲んでリラックスする愛人のような女は一人いる・・・
世のなかにはもしかしたら、そんな恵まれた男もいるかも知れぬ。人生に勝者というものがもしあるとすれば、たぶんタビーのような男であろう、とわたしなどもその境涯をうらやむ。
いや、ぐたぐた泣き言を言いながらも、ほんとうは本人もそう思っているのだろう。
膝に謎の痛みがあり、手術をしても治らない。夜はよく眠れず、気分は落ち込み、キルケゴールにとりつかれ、認知行動療法だのアロマセラピーだの鍼だのいろいろなクリニック通いが日課である。自分が裕福であることが疚しいけれど、保有資産の目減りには敏感だ。労働党の支持者を公言しているが、総選挙ではメージャーが勝ったのでほっとした。(本書は1995年の出版)保守党のほうが金持ち優遇策をとってくれると思っているから、はは。
認知行動療法のセラピストが治療の一環として手記を書くことを勧めたのだが、いまはこれにハマっている。ラップトップコンピュータに打ち込んでは家でプリントアウトして草稿を束にしているらしい。
本書、全部で4つのパートに分かれるのだが、その第一部がこの手記だというわけ。そのなかでタビーはこう書く―
幸せな結婚生活を送っているということは、結婚生活を演じる必要がないということだ。
うん、そうね。そういうもんだよな、と多くの亭主族は思うんじゃないかな。ところがところが、自分たちの結婚はうまく行っていると思い、当然相手もそう思っているものと決め込んでいた(まあ、最近多少は上の空で話を聞かないこともあるけどさ)女房が、ある晩、書斎にやってきて爆弾をぶつける。
しばらく別居したいのよ。
え、え、な、なんで、なんで・・・
というところで第一部終了。
いやあ、あいかわらずデイヴィッド・ロッジは面白い。
滑稽で、かなしくて、苦い。そして、本書にかぎっては、この作家にしてはめずらしく青春の甘酸っぱさも味わえて、オススメの一品に仕上がっております。
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