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2007/12/04

漱石の悼む大怪物

漱石の「猫」に、とある上天気の日曜日、苦沙弥先生が吾輩の横に腹這いとなり、うんうん唸って、天然居士の墓碑銘を撰する箇所がありますね。

天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋を食い、鼻汁を垂らす人である

苦沙弥先生、一気呵成にこう書き流し、声を出してこれを読み、「ハハハ面白い」と笑うが、「うん。鼻汁を垂らすはさすがに酷だ、焼き芋も蛇足だ」と線を引き。結局「天然居士は空間を研究し論語を読む人である」だけにしたころで、これではあまりに簡単すぎると全部ボツにして、原稿用紙の裏に「空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然居士、噫」と書き連ねていると、いつものように迷亭がやって来る、てな場面。

この天然居士は、「猫」では曾呂崎という男だということになっているがれっきとしたモデルがあるそうですな。名前を米山保三郎という。
『森銑三遺珠1』(研文社)に「天然居士の墓」という一文がありまして、森銑三が駒込蓬莱町の養源寺にある米山の墓を訪ねたことが書かれてある。
昭和14年頃、森翁が訪れたとき、墓は安井息軒の大きな墓と相対していたそうですが、さてそれから70年近くたった現在でも残っているのでしょうか。

実際の墓銘は漱石ではなく、重野成斎が撰し巌谷一六が書した。重野成斎、安繹は、『逆説の日本史』シリーズなどでも井沢元彦が、その史料を厳格に使用する実証的史学で、これもあれも史実にあらずと抹殺していくので「抹殺博士」と罵られた話を紹介しておりましたが、米山の東大のときの先生であったそうな、ふーん。

森翁の掃苔録には、この墓銘を写してあるが、さすがに洟を垂らすだの焼き芋が好きだなどという文字は見えない。(当たり前だ)
ただし、洟をたらしていたのは本当のことだそうですな。

またこの米山の破天荒なエピソードとして、学生時代、一晩中かかって試験の答案を書いた話がある。

箕作佳吉博士の博物学の試験に、全員答案を出し終えた後も、平然と答案を書き続けているので、先生は助手に後をまかせて帰ってしまった。やがて夕方になったが、米山はまだ答案を書いている。助手も面倒だから、小使を呼んできて、番をさせて帰ってしまった。気の毒なのは小使で、まさか偉い学士さまの卵に催促がましいことは言えない。延々と答案を書き続ける米山の番をさせられた。翌朝になって箕作博士が出勤して、まだやっている米山を見つけてあきれて「もうよかろう」と答案を取り上げた。(笑)

正岡子規もこの米山には脱帽したくちで、哲学をやってもこんな男がいたのではとてもかなわんと方向を転じたのであった。まあ、そうかもしれぬ。

米山の訃報を漱石は熊本で聞いた。明治30年(1897)5月29日。享年二十九歳。
その年、6月8日に漱石は知人宛の手紙にこう書き記した。

米山の不幸返す返すも気の毒の至に存候。文科の一英才を失ひ候事、痛恨の極に御座候。同人如きは文科大学あつてより文科大学閉ずるまで。またとあるまじき大怪物に御座候。蟄龍未だ雲雨を起さずして逝く。碌々の徒、或は之をもつて轍鮒に比せん、残念。

Yoneyama 森翁はまた、漱石が米山と一緒に撮った写真を引き伸ばし米山の半身像に追悼の句を題したことを書かれてあるが、その句がなんであるか、いま資料をもたぬわたしはこれを詳らかにしない。

写真はおそらくこれであろう。
平気で洟をたらしていた男には見えないなあ。(笑)
なかなかいい写真である。
右が米山、左が漱石だとのこと。

(写真は東北大学附属図書館「夏目漱石ライブラリ/漱石の生涯」より)

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コメント

暫くでございます。

>漱石が米山と一緒に撮った写真を引き伸ばし米山の半身像に追悼の句を題したことを書かれてあるが、その句がなんであるか、いま資料をもたぬわたしはこれを詳らかにしない。

荒正人の『漱石研究年表』には、その時詠んだ俳句が出ています。
 空に消ゆる鐸のひびきや春の塔

米山の兄、熊次郎から実弟の写真へ揮毫を懇望されて、漱石はこの俳句を書いたと伝えられています。

投稿: tsubaki wabisuke | 2007/12/06 23:08

tsubaki wabisuke さん
どうもありがとうございました。おかげさまで胸のつかえがとれました。

 空に消ゆる鐸のひびきや春の塔

さすがよい追悼句ですね。
米山は苦沙弥先生が「論語を読む人である」とまず書いたような人であったようです。重野安繹の墓銘にも「常懐魯論 起居動作不離身」という言葉が見えます。
とすると、ここでの漱石の「鐸」(たく)には、論語の「天下の道無きや久し。天将に夫子を以て木鐸と為んとす」がふまえられているのかもしれませんね。
まあそういうことを考えずとも、なつかしくやるせないような気持ちがよく出た句だと味わえばいいのでしょう。

投稿: かわうそ亭 | 2007/12/06 23:46

正確には、漱石が揮毫した米山の写真はこれではないようです。もう少し正面を向いているものですね。
400X300mm、単身像の右側にこの句があり、左にこう記されています。

空間を研究する天然居士の肖像に題す 己酉 四月 漱石

それともう一つ、気付いたことを申しますと、
>鼻汁を垂らす人である

これは深い意味があり、中国の懶さん(王ヘンに賛)和尚の故事によるとされているようです。

洟を垂らそうが自分は三昧になっているのだという仏道の修行による逸話なのです。


投稿: tsubaki wabisuke | 2007/12/07 01:11

へえー。
ググるとちゃんと出てきました。

『碧巖録』第三十四則
懶瓚和尚 隱居衡山石室中 唐德宗聞其名 遣使召之 使者至其室宣言 天子有詔 尊者當起謝恩 瓚方撥牛糞火 尋煨芋而食 寒涕垂頤未甞答 使者笑曰 且勸尊者拭涕 瓚曰 我豈有工夫為俗人拭涕耶 竟不起 使回奏 德宗甚欽嘆之。

唐の德宗が使者を遣わして召そうとしたが、石室で洟をたらして焼き芋をくっていたト。「尊者、洟ぐらい拭いなはれ」と使者が笑うと「おれにはそんな暇はねえよ」と答えた。使者が帰ってそう伝えると德宗これに大いに感じ入った、てな内容でしょうか。

や、ホントだ。洟を垂らして焼芋を食う人のプロトタイプでありますなあ。賛嘆。
ありがとうございました。

投稿: かわうそ亭 | 2007/12/07 19:07

米山保三郎は金沢の出身――加賀藩の出身というべきか――ということで、生地など正確に調べてみようと思いながらそのままになっています。これは、ググっても出てきませんので、あらためて調べてみます。
ところで、漱石、子規とも同学だった狩野亨吉の「漱石と自分」という短文を見つけましたので、紹介しておきます↓。それによると漱石は、米山の伝記を書く予定?だったようです。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000866/files/2928_20676.html

投稿: かぐら川 | 2007/12/08 19:19

やあ、どうもありがとうございます。上記森銑三の文章もじつは後半が、狩野亨吉からの聞き書きになっておりまして、やはり漱石が伝を書くはずだったがそのままになってしまったてな話が出ています。
米山はおっしゃるように金沢の出身で、狩野によれば「家がよかった」。当時は十円あればひと月暮らせたそうですが、一番仲の良かった狩野に鼻紙と一緒に突っ込んでいた五円札や十円札を無造作に出して貸してくれた。ときどきそういうお札を丸めた鼻紙と一緒に屑篭へ捨てているので「また米山さんだろう」と小使が持ってきてくれたそうです。(笑)
ああ、そういえば漱石忌(9日)ですねえ。

投稿: かわうそ亭 | 2007/12/08 23:56

丁度、漱石忌が北鎌倉の帰源院で行われましたので東上して参じて来ました。漱石の令孫の松岡陽子マックレイン様が講演をされまして大変有意義な一日でございました。

かわうそ様がもし興味をお持ちでしたら、私が代表をつとめます京都漱石の會のご案内を差し上げましょうか。
設立趣意書と来春の例会の要旨を御覧いただければと存じます。マックレイン陽子先生も発起人のお一人でございます。

投稿: 椿 わびすけ | 2007/12/11 21:38

椿 わびすけ さま
松岡陽子マックレインさんのお孫さんのお名前はミドルネームがSosekiとおっしゃるようですね。陽子さんが漱石の孫ですから、さらにそのお孫さんということは漱石からみて玄孫(やしゃご)ということになりますか。
そちらのサイトでアレックス・ソーセキ・マックレインくんの写真を拝見いたしましたが、じつによきかな、でありますね。
京都漱石の會のお話ですが、いたって人交わりが苦手な人間ですので、ご無礼をお許しください。
また偶然にご縁ができることがあるかもしれませんので、そのおりにはよろしくお願いいたします。

投稿: かわうそ亭 | 2007/12/11 23:04

報告;

 漱石の句“空に消ゆる鐸のひびきや春の塔”については、半藤一利『漱石俳句探偵帖』中の「米山天然居士の「墓」」に、米山保三郎については、同じく半藤一利さんの『漱石先生お久しぶりです』の第七話「明治の青春」に、さまざまなエピソードが紹介されています。(この句ができたいきさつについては、大久保純一郎『漱石とその思想』(荒竹書店)に詳しいとのこと。)

 米三郎の兄に宛てた手紙(明治42年5月28日付)には、
“……さて天然居士の肖像に題すといえる蕪句中、鐸とあるは宝鐸にて、五重塔などにつるせる風鈴の積りに御座候。寂寞たる孤塔の高き上にて風鈴が独り鳴るに、その音は仰ぐ間もなく空裏に消えて春淋し、という意味の積りのところ、文字拙く御質問を受け汗顔の至に候。……”とあるそうです。

 半藤さんの本は、両書ともほとんど読まないまま積読になっていました。

投稿: かぐら川 | 2007/12/15 18:34

どうもありがとうございます。
半藤一利さんの『漱石俳句探偵帖』は、たしか読んだよなあ、とgoogleで自分の読書日記を検索したら2003年に読んでおりましたが、米山保三郎の墓のことはまったく憶えておりませんでした。こういうの、なんだかがくっときますねえ。(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2007/12/15 21:03

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