ツーソンの女教師
ゼナ・ヘンダースンといえば、中学・高校生のころ「SFマガジン」誌上で、ピープル・シリーズを愛読したものだが、よく考えると、このシリーズのほかにどんな作品を書いていたのかまったく知るところがなかった。
『ページをめくれば』(河出書房新社)は、この作家の(わたしには)ちょっと意外な傾向もふくめて、その作品の全貌を伝えてくれるなかなかおもしろい短編集。
ピープル・シリーズからも一編とられているが(「忘れられないこと」)、残念ながら、これはあまりできのよい作品ではない。編者の方針で、できるだけ他の短編集やアンソロジーからこぼれているものを選んだ結果なのかもしれない。このシリーズは早川文庫で『果てしなき旅路』と『血は異ならず』の二冊が出ているそうな。何十年ぶりに読み返してみるのもいいかもしれないなあ。
ピープル・シリーズというのは、地球に不時着し散り散りになった宇宙人の後裔たちが同胞を探してさまよう、といったオハナシ(いまでこそ、ああ例のやつね、てなもんですが、たぶん、そういうスタンダードなアイデアの大本になった作品のひとつがこのシリーズだろう)なんですが、典型的には、教室の片隅にいる不思議な子供の存在に女教師が気がつくなんてところから事件が始まる。かならずといっていいほど学校と子供が出てくるのは、作家自身がアリゾナの小学校で教えていたからで、そういうシチュエーションで読者が期待するとおり、物語は基本的に善意と共感に縁取られた心あたたかい人間ドラマとして終始する。だから、わたしはこの作家をそういう作風で記憶していたのである。
ところが、先に述べたように、今回、ピープル・シリーズ以外の作品をある程度まとめて読んでみて、わたしが意外に思ったのは、けっこうダークな味わいのものがあったからだ。むしろ、こういう味わいのもののほうが、作家本来の嗜好に近いのではないかとさえ思った。
しかし、この作家のバックグラウンドをあらためて調べてみると、こういう「フォースのダークサイド」(笑)への嗜好についても、なんとなく得心がいくところがあった。
ゼナ・ヘンダースンZenna Chlarson Henderson (1917~1983)は、アリゾナのツーソンに生まれ(Tucson, Arizona というとビートルズのGet backを思い出すね)1940年にアリゾナ州立大学で教育学士を取得し、生涯を教師として過ごした。本書の解説(中村融)によれば、第二次大戦中は日本人キャンプでも教えていた由。
だが、この作家の作風を考えるときにもっとも重要なことは、次の事実だろう。(ゼナ・ヘンダースンの公式サイトから)
Zenna Henderson was born and raised as a Latter-day Saint. She was baptized as a member of the Church of Jesus Christ of Latter-day Saints. Her background growing up in rural, predominantly Mormon communities of Arizona is readily apparent in much of her writing, including her "People" stories.
モルモン教のSF作家といえばすぐにオーソン・スコット・カードが思い浮かぶが、この公式サイトの記述によれば、カード自身も自分の小説に大きな影響を与えた作家の一人としてゼナ・ヘンダースンをあげているようだ。
たしかに読後に残る印象については、共通点があるような気がする。
死や暴力や破滅に対する恐怖と嫌悪が一方にあり、しかし同時にそれに対してどうしようもなくひきつけられてしまう自分の願望のアンビヴァレントな並存なんて感じ。
そこが魅力でもありちょっと敬遠したくなるところでもある。
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