川田ひさを句集
『空白と余白 川田ひさを句集』を読む。
1995年、翌年に米寿を迎えることを節目に上梓された第四句集。それまで還暦、古希、傘寿と句集を出してこられた由。著者は故人だが、先日、ご縁があってご子息(といってもわたしよりずっと年上の方だが)にご恵贈いただいた。
「まえがき」を引いて、著者の紹介とする。
さて、私の俳句との出会いは、昭和九年の春、ふとしたはずみで誘われて出席した職場(京都大丸)の句会です。
鐘の声どこかで一つ春の月
この句が、鈴鹿野風呂師の特選に入ったのが切っ掛けとなり、爾来俳句にのめり込み、京鹿子、ホトトギスに投句を続けていましたが、私個人の環境の変化と日本の戦時体制の波により句作は中断。終戦後新しい職場(大阪電通)の句会に参加。京都支局句会へ那須乙郎氏を迎え、いづみ句会、冬青句会等を経て、乙郎氏の「向日葵」創刊に協力、その同人として参加。大阪の職場句会に乙郎氏を招聘、後に、堀葦男氏の指導を受けていました。「向日葵」が「馬酔木」の僚誌であった関係で暫く「馬酔木」にも投句していましたが、秋桜子師の逝去、野風呂師、乙郎師、葦男師の没後は特に師を求めることもなく、向日葵の同人、顧問、俳人協会の会員として、旧知句友と句座を共にし、京都近鉄文化サロンの俳句教室の講師として今日に至りました。
俳句が文学だ芸術だと論じることは、俳人と称しておられる方々にお委せして、私は私なりに、一匹狼ならぬ一野犬として気侭に俳句を楽しんでいます。
昭和の俳人の上品な雰囲気を感じさせる俳句で読んでいて気持ちがよい。いくつか紹介したい。
縁起絵巻にいくさ図多し秋の蝉
手応えの無き闇へ打つ鬼の豆
針山に針が一本春の風邪
推敲の行き詰まりたる春蚊打つ
疲れまだ知らぬ折り目の紙風船
春雷や錠剤一粒見失う
考えるとは腕を組むこと鳥曇
ラムネ瓶の重さ幼き日の記憶
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