無味乾燥こそ面白い
宮下志朗『エラスムスはブルゴーニュワインがお好き』(白水社)に「ある家事日記について」という一文と、その見本として「ブロワへの旅」という五十日たらずの日記の全訳が収録されている。いずれも十六世紀中葉のノルマンディの田舎貴族の日記『グーベルヴィル殿の日記』を中心に紹介したもの。
「私、ジル・ド.グーベルヴィルによりて記されたる家計の支出ならびに収入」というのが、その表題で、この題名どおり基本は日々の家計簿のようなものだ。
家事日記は為替手形や複式簿記ともにイタリア・ルネサンスの実利的な精神の産物であった。経済の発展にともなって商人たちは大福帳のようなものをこぞってつけ始めるが、そうした帳簿の余白に記された個人的なメモ、あるいは同時代の事件への言及がやがて独立して、この家事日記というジャンルを形成するに至ったのである。
その特色を一言でいえば「非文学性」ということになるようだ。宮下さんの言葉をさらに続けよう。
田舎人の家事日記とはいわば無味乾燥な日録なのであって、心理描写はほぼ完全に欠落している。日記を支配しているのは執拗なまでな単調さにほかならない。だが文学性とは無縁の単色の画面、これがこのジャンルの真骨頂ともいえるのではないか。
というわけで、わたしなど、はじめこの『グーベルヴィル殿の日記』だけを読んでもほとんど面白くもなんともなかったのだけれど、いったん宮下さんの解説を読んでもういちどこれに目を通すと、いやこれがじつに面白い。
なにせ、この田舎貴族、旅行の目的は林野治水監督官という官職をお金で買おうという猟官運動なのだけれど、そのためのなけなしのお金をなんと雑踏で掏られてしまうのですね。それなのに、その日の日記は—
八日、土曜日。ブロワから動かず。誓願を取り上げてもらうために国王尚書官ル・シャンドリエ殿のところに行く。市場を通りかかった際、雑踏のなかでエキュ貨三枚とテストン貨一枚が入ったハンカチをすられた。そこで国王の家具職人宅に泊まっているエクルムト代理官のところで昼食。夕方、上記ル・シャンドリエ殿のところに誓願に行く。書記に請願書を清書してもらうため、殿にエキュ貨二枚とテストン貨一枚さしあげる。宿舎で夕食後、就寝。合計十二リーブル、十七スー、八スー(sic)。
などといたって、あっさりしたもの。
しかし、この淡白さに騙されてはならない。注意深い方は、誓願のため書記に渡す袖の下が、掏られたあとで夕方出直したときには、エキュ貨一枚ぶん減っていることにちゃんと気づくことでしょう。ははあ、大将、けちったな。(笑)きっとはらわた煮えくり返って、その夜はまんじりともできなかったとしても、日記にはまるで人ごとのごとく記す、というのがこのジャンルのスタイルであるんですね。
こうして、このたぐいの日記は、無味乾燥に見えるのがむしろミソで、その裏に隠された意味をいろいろと推理していくのが面白いのだそうな。大人のたのしみは、すべからくそういうものでありますな。
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