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2008/03/12

岩佐美代子/京極派歌人の研究

花のうへにしばしうつろふ夕づく日入るともなしにかげ消えにけり
まはぎちる庭の秋風身にしみて夕日のかげぞかべに消えゆく

永福門院のこの二首の歌を、光厳院の「ともしび」の連作(当時は花園院詠として)と共に、久松潜一先生にはじめて教えていただきましたのは、太平洋戦争のまっただ中、女子学習院高等科に在籍中の、昭和十九年の早春のことでございました。その新鮮さ、美しさに、総身のふるえる程の歓喜をおぼえました当時の記憶は、今もありありと私の身うちに息づいて居りますのに、もうそれから三十年もたってしまいました。その三十年の間に、私は結婚し、二人の子を産み、昭和三十六年には、五つの時から十三年間心をかたむけてお相手申し上げた大切な「宮さま」——今上第一皇女照宮、東久邇宮成子様の御早世にあい、更に一昨年の夏には、二十七年間愛しあい、信じあい、頼りあって来たたった一人の人——夫、岩佐潔を失いました。そして今、、私は生まれてはじめて、自分一人のために生きる自由を得、久松先生・松尾聰先生はじめ諸先生方のおはげましによって、三十年来いだき続けてきた永福門院への思い、京極派への思いを、一本にまとめる事ができました。喜んでよろしいのでしょうか、悲しんでよろしいのでしょうか。

岩佐美代子の『京極派歌人の研究』がはじめて世に出たのは1974年。前年度の文部省科学研究費補助金(研究成果刊行費)の交付を得て、笠間書院から出版された。上記は、その「あとがき」の出だし部分である。略歴から計算すると著書このとき四十八歳。

岩佐さんは『宮廷文学のひそかな楽しみ』(文春新書)で知り、この『京極派歌人の研究』もそのうちにぜひ読んでみたいものだと思っていたが、昨年11月に同じ笠間書院から新装改訂版として出版された。(1984年にも復刊されているので今回が三回目の出版である)

20080312d こういう本の性格として、限定版だし価格も高いので個人で気楽に買うというのはむつかしいが(わたしも図書館の本で読んだ)、専門的な論考でありながら、これを読むこと自体が、論考の対象とされた、たとえば永福門院であったり、後嵯峨院大納言典侍といった女人たちの人生の喜び悲しみはもちろん、その底にかくれた著者その人の静かな声まで伝わってくるような生き生きとした感動を呼ぶ、そういう学術書は珍しいのではないだろうか。わたしは読みながら、とくに本書の前半の、伏見院宮廷グループの躍動感あふれる交友関係や、伏見院と永福院という好配偶の麗しい愛情生活、伏見なきあとの永福門院の見事な処世、やがて一門の長として見せる貫禄の分析、描写に賛嘆を禁じえなかった。じつに面白い。ときどき「ほお」と声を上げながら読み進める。すばらしい論文だ。

とくにわたしが興味をもって読んだのは、後嵯峨院大納言典侍をめぐる考察である。(本書にはルビをふってないが、「典侍」は「てんじ」でもいいし「ないしのすけ」と読んでもいいのだろう)
簡単に書いておくが(自分がわすれるから(笑))岩佐さんの考察では彼女は、藤原為家の第一女であり、すなわち定家の孫にあたる。定家の鍾愛非常な姫君として育ち、やがて摂関家、関白二条良実の嫡男である二条道良に嫁す。おそらく為家が「続後撰集」撰進をおこなうときの補佐として父を助けたであろうこの女人は、しかし自分の後任の父の秘書役として源氏物語筆写のために阿仏尼を招くのだが、これがのちの二条家と冷泉家の数十年におよぶ所領争い、また御子左家の三分裂という歌道史上の重要な出来事の種をまいたことになる。為家とこの阿仏が結ばれて為相(冷泉家)を生むのでありますね。ところが、この後嵯峨院大納言典侍、すなわち摂関家嫡男の正妻でやがて関白、氏の長者の北政所ともなるべきであったお方は、あろうことか早くにその関白になるべき夫を亡くし、ご自身もやがてむなしくなってしまわれた。そのお亡くなりになったのが、ちょうど阿仏尼が為相を生む直前で、ゆえに父為家にとっては、かつて自分の片腕とも頼み慈しんだ愛娘であり、また定家の「鍾愛非常」な孫姫であったこの女人の死をどれほど嘆き悲しんだか。そして、彼女の生まれ変わりのように誕生した為相にたいして為家がどれほどの想いをかけたか。この後嵯峨院大納言典侍の死と、為家の晩年の切々たる哀傷に満ちた詠唱をつなげてみせた見事な論文であります。
なお、新装版の付記として、1999年「冷泉家の至宝展」において新発見の為家歌集「秋思歌」が展示、その冒頭日付によって、岩佐さんの学説が裏書きされたことが書かれております。(為家、阿仏と京極派については、拙ブログのこちらにも書評を書いておりますのでついでに見てやっていただければ幸い)

この後嵯峨院大納言典侍も夫に先立たれた方だし、永福門院にいたっては著者と同じ歳に夫である伏見院を亡くされた方である。そういう女人の境涯に対する、著者の共感がこれらの論文の後ろにやはり見え隠れする。
冒頭の「あとがき」はこのように結ばれる。これも、こういう学術書には異例の文章であるような気がするが、やはり感動的だ。

そして最後に、皆様のお力でできましたこの本を、私のたった一人のいとしい人——愛する事と悲しむ事、生きる事と死ぬ事を身をもって教えてくれたいとしい人に捧げます事をお許し下さいませ。その人は私の心の中で、あの長いやさしい指でゆっくりと頁を繰りながら、静かにこう申します。「・・・・そうかい。・・・・よかったな。・・・・よくできたな。・・・・たいしたもんだな。・・・・久松先生、何ておしゃった?」と。
 岩佐美代子
 昭和四十九年三月一日

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