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2008/03/24

光厳天皇と岩佐美代子(1)

老僧の滅後、尋常の式に倣ひ、以て荼毘等の儀式に煩作すること莫れ。只だ須く密に山阿に就いて収痙すべし。松柏自ら塚上に生じ風雲時に往来するは、是れ予が好賓たり、甚だ愛する所なり。如し其れ山民村童等、聚沙の戯縁を結ばんと欲して小塔を構ふること尺寸に過ぎざるは亦之を禁ずるに及ばず。此の一節、只だ衆人を動かしてその労力を労せんを欲せざるために、但だ省略を要するのみ。其れ或は力を省くに便なれば、則ち火葬また可なり。一切の法事は之を為すを須ひざれ。

わたしの死後、大げさな葬式をするには及ばぬ。そっと山の麓に埋めてくれ。その塚の上に松や柏が自然に生え、風や雲が四季折々に行き交うなら、それで満足だ。もし山民村童らが手すさびに小塔でも立ててくれるならそれもよい。労力を省くためなら、火葬もまたよい。法事は一切不要である。

これは光厳天皇の御遺誡(ゆいかい)の一部。
光厳天皇(1313ー1364)とおっしゃる方は、持明院統の後伏見院の息子さんだが、なにしろこの時代は両統迭立から、南北朝時代にいたる複雑な時代なものだから、何回読んでも頭がこんがらがってしまって、簡単には説明がむつかしい。まあ、この光厳さんは後醍醐天皇の南朝に対して、北朝の初代ということになるのですが(じつは第九十六代の後醍醐天皇に継ぐ第九十七代の天皇でもある)今回書こうと思っているのは、別に太平記の世界のことではないので詳細は割愛。(ほんとうは手に負えないからだけど、調べてみるとおもしろいよ、この時代)

ええと書こうと思ったのは、先日『京極派歌人の研究』をとりあげたときに岩佐美代子さんの紹介をしたわけだが、この方の『宮廷に生きる』(笠間書院)に収録された「光厳天皇—その人と歌—」のこと。
ここで岩佐さんは、なぜ自分は光厳天皇に特別な関心を寄せているかというお話をされているのだけれど、わたしはおもわずのけぞってしまいました。(ぜんぜん悪い意味ではないけど、ほんとうにびっくりしたのです)

だが、まずその話の前に、この光厳天皇、春宮時代は量仁(かずひと)親王というのですが、この方の帝王教育のことにふれなければいけない。
(この項つづく)

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