« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月

2008/04/29

俵万智の涙

「短歌」5月号の連載「語る短歌史」から。(岡井隆の談話、聞き手は小高賢)

岡井 (略)それで、早速、先にも言ったように豊橋に呼んだのです。まだ二十歳ぐらいでしたが、わたしが対談の相手をしたのですよ。そのときのシンポジウムにはたしか坂井修一君もいたはずです。その会場に「短歌研究」の新人賞を受賞した佐久間章孔君がいましてねえ。

小高 たしか俵さんを泣かした事件ですね。有名な。

岡井 うん、彼が泣かした。どうやって泣かしたかというと、「あなたの歌というのは保守、超保守だ。つまり今の短歌を革新するというものではない。思想的にも全く保守だ。こんなもので文学が変わるわけがない」と言っていじめたのです。俵さんは頭のいい人だけれど、保守ファンダメンタルだなんて言われたって、そりゃあ、俵さんには通じないですよ。それでもう、しようがないから泣いちゃった。
それに対して周りから、たくさん同情票が出るかというとそうでもなかった。そこらあたりはむかしからの歌壇の伝統ですね。新人に対する扱いは、戦争直後の近藤芳美しかり、昭和三十年代の塚本邦雄しかり、そのあとの寺山修司もそうでした。たしかに新人は明日はどうなるか、わからないからね。

この出来事は 1987年6月のことらしい。
その前年に『八月の朝』で角川短歌賞を受賞。『サラダ記念日』がベストセラーとなった年である。岡井の談話では、「二十歳ぐらいでした」とのことだが、正確にはこのとき俵は二十五歳であります。
岡井の言葉からは、この佐久間章孔の俵批判は新人に対する「いじめ」みたいなもんだったのよというニュアンスが伝わりますね。歌壇の伝統である、ト。ははは、おっかねえ伝統だ。

鈴木竹志さんの「竹の子日記」に、もうすこし詳しい内容がありましたので、興味のある方はご参考まで。
【こちら】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/27

ファクトリー・ガール

ボヘミアンとは、ものの本によれば、ブルジョワがびくついてやれないことを堂々とやっちゃう連中である。その通りですね、とアンディ・ウォーホルは言い、もう一言、うまい台詞をつけ加えた。ブルジョワ風に見られるのを恐がることこそ、一番ブルジョワ的です。かくしてかれはボタンダウンのシャツを着た。ストライプのタイを締め、仕立てのちょっと悪いツィードのジャケットをはおったその姿で街を闊歩した。まるで医学生の卵で、いかにもブルジョワ的だった。
しかしウォーホルの本当の快挙はこれではない。身も心も貧相な昔ながらのボヘミアンどもを仰天させたのは、ウォーホルが「ヴィレッジ・ヴォイス」紙に載せた広告だった。どんなものにでも署名しましょう。・・・・どんなものであれ即座にウォーホルの作品にして差しあげましょう・・・・ただしお金をくださいね。私の電話番号は・・・・。ボヘミアンどもはこれには腰を抜かした。
『そしてみんな軽くなった』トム・ウルフ

はじめは自分の好悪はストレートにあらわす。だが、やがて、そういうのはベタだぜ、てなことになって、わざと価値観を反転させて相手の裏をかくようになる。だが、そういうのがクールだとみんなが真似をしはじめるもんだから、裏の裏をかきたくなるのだが、そうすると相手がよほど見る目がないと、一番最初の洗練されていない時代の美意識を表出しているやつになってしまう。
わたくしは、これを「三重スパイから先は意味がない」と呼ぶことにしております。スパイさん本人も、もう、わけがわからなくなっちゃう。アメリカのスパイのふりをした中国のスパイ、のふりをしたアメリカのスパイ、っていったいどんな意味があるのだ。(笑)

ウォーホルのことを考えると、はたしてこの人は俗物なのか、俗物のふりをしたアーチストなのか、俗物のふりをしたアーチストのふりをした俗物なのか、頭がこんがらがっちゃう。だから、これはもう「三重スパイから先は意味がない」と同じことになるのであります。

2445722484_e516478d4c 映画「ファクトリー・ガール」は、ウォーホルとイーディ・セジウィックとボブ・ディランという1960年代のイコンをリアルに映像としてよみがえらせた豪勢な作品だった。映画のストーリーはあまり買わないが(なにしろあれではボブ・ディランだけがいいやつすぎる。たぶんディランはまだ生きていて、あとの二人は死んでしまったからこういうオハナシになったんだろうね)映像をみるだけでわたしはなんだか、じんとなっちゃったね。ずっとあとを引く映画ですな、これは。

この映画ではボブ・ディランはウォーホルを「王様は裸だ」とばかりに、俗物あつかいするけれど、やはりそういうのってあまり意味がないんだと、思うなあ。
このディランとウォーホルの「対決」シーンで、セジウィックを演じたシエナ・ミラーが最高だったね。期待から不安へ、怯えから絶望へとかわっていく目のうごきは、痛々しいけれど、しかしわたしたちの実人生でもやはりああいうことってあるようなあ、と深い同情と共感を誘うものだったと思う。
映画を見終わって家に帰って、ディランの「Just like a woman」を何度も聴いた。ああ、これはそういう歌だったんだと、やっとわかった。
歌の最後はこうだ。

But you break just like a little girl.

泣ける。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/04/23

KYOSAI Show!

京都国立博物館でやっている河鍋暁斎(1831ー89)の展覧会はおもしろかった。
このおもしろさは、ちょうど平山郁夫の絵を見たときになぜかむかむか腹が立って「けっ、くっだらねえ」と思う、あの感じのちょうど反対なのだと思った。(いやじっさい、滋賀県に佐川美術館というのがあって、ここの常設の平山郁夫の絵はひどかった。わたしは、もう、心のなかで罵倒の限りを尽くしたね(笑))

20080423_b たとえば今回の展示の中に「放屁合戦絵巻」なる絵があって、男どもが敵にケツをむけて放屁するさまが描かれているのだが、これがもうおかしくて大笑い。ふんどしを外した男の陰嚢がぶらり、肛門から臭気が画面を横切り、鼻をつまんで顔を顰めるやつ、悶絶するやつ、逃げ回るやつ、わたしはくすくす、笑いをこらえるのに苦労した。こういうのは、一種の男色の春画のようなものでもあった、とかなんとか会場の解説には書いてありましたが、まあ、そういう見方もあるのかもしれないが、むしろこれはスカトロジーのほうに近いでしょうね。人のいやがることをしたがる幼児性のあらわれといわれたら、それまでだが、上から見下ろす偉そうな感じがなくて、からっと天にひらけている。描きたいものを描いて、なにが悪い、という小気味よさ。
あるいは骸骨の上でかっぽれみたいな踊りを踊っている一休禅師の底抜けのばかばかしさ(「地獄太夫と一休」)、男の生首を加えた幽霊図のおどろしさ、酔った勢いで四時間で描きあげた(ホントかね)という新富座妖怪引幕の豪快など、など。いや面白うございました。

なかでもわたしが一番気に入ったのは、小品ですが「お多福図」一幅。これはよかったなあ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/04/22

替え歌百人一首

『江戸の替え歌百人一首』江口孝夫(勉誠出版)から。
基本的にあんまりバレ句のようなものは著者の趣味ではないようで、ちと退屈な中身ですが、いくつか笑ったものを。

心にもあらでヲヤよく来なんした

恐るべきことは薮医に身をまかす人の命の惜しくもあるかな

玉の緒よ絶えなば絶えねなどといひ今といつたらまずおことわり

乱れて今朝はご機嫌とおぐし上げ

ながらへばまたこの頃は鰒をくふ

恋ぞつもりて扶持となる妾が兄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/16

高柳光壽『足利尊氏』

20080416 高柳光壽の『足利尊氏』(春秋社)の初版は1955年。11年後の1966年に再版されるにあたり二章を増やして改稿された。わたしが今回読んだのは、さらにそれから21年後の1987年に出版された新装版であります。
『宮廷に生きる』のなかで岩佐美代子さんが、この本のことを名著として紹介しておられるが(そしてわたしが興味をもったのもそのためだが)なるほどこれは新装版として出版する価値が高い本だと感心した。なにより、読んでいて面白い。

いまのわたしたちにはうまく想像ができないのだが、戦前の日本史は水戸学の流れを汲む史観に彩られたものだった。なんとしてでも楠木正成が忠臣で、足利尊氏は逆臣でなければならなかった。明治の国会で正閏論がとりあげられ(1911)、後醍醐天皇から後村上・長慶・後亀山と続く南朝が正統であり、北朝の光厳天皇から後円融天皇までは正統の天皇ではない、ということになってしまった。ばかばかしいのは、当の皇室はあきらかに北朝の流れを汲むものだし、代々そのようにご先祖さまを祀ってきたということでありますね。いまからみれば笑い話にもならないが、国民がみんな逆上していたのだから仕方がない。ヒステリーには勝てんということですな。

それはともかく、そういう戦前の史観から自由になったと思ったら、今度は唯物史観とやらをふりかざした左翼陣営が歴史を専横し始めた。方向は反対に見えるけれど、要はこの二者は歴史を自分たちの党派的な支配におくということでまったく双子の兄弟のようなものでありますね。

だが右であれ左であれ、歴史というものは、そういうイデオロギーによって「正しい」答えがあらかじめ決められているようには実際には動いていないではないか、というのがまっとうな人のものの見方だろう。
なるほど、社会の発展の方向には大きな流れがあるだろう。だが、天皇陛下万歳が風向きなら楠木正成は忠臣で善玉、天皇制くそをくらえに変わったら、正成なんぼのもんじゃいでは、あんまり頭が悪すぎる。いや頭が悪いということではこちらも大同小異なら、あまりに品がないではないか。人が歴史を読むことに多少の意味があるとすれば、人品卑しきを遠ざけ、勇気、高潔、廉直、信義を重んずる人物をそこに求めることになければならぬ。
いや、これは筆が先走りすぎた。
つまりこの高柳の著書はそういうふうに歴史を叙述したいと思っているのだと、わたしにには見える。だから、南北朝時代という複雑な政治情勢を語りながら、ぶれていない。わかりやすい。わたしはほとんど一気に読んでしまったね。

実例をあげたほうがわかりやすいだろう。尊氏が九州から反攻し湊川の一戦で正成が命を落とす戦いにいたって高柳は、正成はすでに死をを覚悟していただろうと書く。負け戦であることは、金剛山のゲリラ戦を勝利に導いたほどのリアリストである正成に見えなかったはずがない。しかし、正成は尊氏に下ることはしなかった。それはかれが皇室を尊崇し、真の忠臣であったからだというよりは、自身が戦死をすることで、子孫の後栄を計ったのだと思う、というのですね。つまり高柳はそんなふうに書いているわけではないが、いわば、後醍醐に貸しをつくろうとした。いかにこのたびの戦で宮方が負けるにせよ(それはほとんど疑いない)後醍醐が完全にペチャンコにされることはない。いまさら尊氏に走ったにせよ、それで子孫の繁栄につながるとはかぎらない。ふたたび宮方がもりかえすこともあるだろう。ならば、このまま後醍醐を見捨てずに自分は死のう。そのように正成が考えてもおかしくはないと、書いた上で、さらに次のようなたとえ話に展開させる。

馴染んだ女だとて、なかなか捨てられないものである。それも金がかかっていなければともかくも、金をかけた女となると、少しぐらい悪いところがあっても、ちっとやそっとで捨てられるものではない。正成は後醍醐天皇にかけた。命をかけた。ほんとうに命を賭した金剛山であった。その後醍醐天皇をすてて、いまさら尊氏でもあるまい。おそらくはこういう正成ではなかったろうか。ところで、ここで一言ことわっておきたいことは、私がこういうと、後醍醐天皇を女にたとえるとは何事だ、といって怒る人々があるかも知れないが、これは一般的な親愛の在り方、愛の在り方について、わかりやすくするために女を持ち出したまでであって、後醍醐天皇その人を女になぞらえたのでは決してない。論理の命題を取り違えないようにしたい。

ははは、こういう箇所がところどころにあって、この本はなかなか味があるのですね。
なおこの著者はなにしろバランス感覚を重視しておれれるようで、上の話につづけて、きちんと次ぎのようなコメントを附しておられます。

わたしはこのころの忠義を説くにあたって、利害の打算をあまりにも強く打ち出しすぎたようである。それは要するに、このころの忠義を宗学の忠義で解釈することが誤りであることをいいたいためであった。人間は必ずしも利害関係のみで動くものではない。親は理外を計算して子を愛するのではない。親の子に対する愛情は本能であるといってよい。人の他人に対する愛だとて本能といわれないことはない。他人に対する場合は、そこにいろいろ他の要素が入り込んでくるに過ぎない。正成が後醍醐天皇と深い関係を持てば、そこに後醍醐天皇に対する深い愛が生まれてくることは当然である。しかも後醍醐天皇は首長として十分な資格を備えておられた。それに正成が魅力を感じたとて、何の不思議はない。後醍醐天皇と結ばれた正成の運命を考えることも必要である。そういう運命、そういう偶然が正成を湊川に逐いやった、と考えることは暴論ではあるまい。

まことに見倣いたき見識であると感じ入った次第。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/04/14

キャッチャー・イン・ザ・ライ(3)

さて、今回いくつか書こうと思っていたことはあったのだけれど、なんだかおっくうになってしまった。
いまライ麦畑を読み返すと、ホールデンがひたすらいとおしい。

ああ、そんなんじゃ、身が持たないよ。
いいかいインチキ感知器は作動させるより切っちゃうほうがいいんだ。
だって、君の中のインチキ感知器は、最初は君のまわりのインチキ野郎のくだらなさや思いやりのなさや、インチキ女のウソを暴いているだけだけどさ、やがてその矛先は君自身に向いて動き出すことになるんだから。君がなにを望もうと、なにをしようと、いつでも鳴り続けることになるんだから。
そうして、君は最終的に、鳴り続けるインチキ感知器を黙らせるために、自分のできることで、唯一のホンモノにみえることに行き着くことになるんだからね。
どんなインチキ野郎だって、インチキ女だって、その死だけはニセモノではない。
だから、君がインチキ感知器を手放したくない(だってそのほうが自分が知的に優位に立てるってことだからね)のはわかるけど、気をつけるんだよ。
ほら『バナナ・フィッシュにうってつけの日』のシーモアというのは、つまり、そういうことだったんだ、と思うんだ。

ホールデンにむけて語ってやりたいことはそんなことだが、まあ、これは自己弁護というか、自己正当化というか、そんな気味があるだろう。おっくうになったというのは、そのせいだと、ここまで書いて来てわかった。

加藤典洋や村上春樹が指摘してるように、サリンジャー自身が体験したヨーロッパ戦線の激戦のPTSDとその癒しという解釈は、おそらくもっともうまくこの作品を説明するものなんだろうけれど、わたし自身は、なんだかそういうのもインチキに見えるんだよね。

ああ、前回もったいぶって書かなかった私自身のライ麦畑仮説というのがあったな。
もうどうでもいいようなものだけれど、一応ごく簡単に書いておきます。
この小説は、一番外側のところは、サリンジャーという現実の作者がオハナシをつくったということですね。そして小説の芯はホールデンが自分の体験をだれかに語りかけるように文章を書いている、という虚構です。
しかし、こういう小説の構造そのものがインチキですから、ホールデンならこんなもの絶対に書かないと思う。そもそも、かれが書いたのではこんな巧みな小説にはならんでしょ。なにせあの村上春樹が翻訳しながらその小説の技巧の練達に舌を巻いたという作品でありますよ。では(虚構にせよ)これはいったいだれが書いているのか。
ということで、一番外側のサリンジャーと芯のホールデンとの間に虚構の書き手がいるというのがこの小説のかくれた構造だと思うんだな。いうまでもなく、それはホールデンの兄の作家DBであります。もしかしたらホールデンはもうこの世の人ではないのかも知れない。DBのライ麦畑はちょうどマキューアンの『贖罪』のようなものであるのかもしれない、というのが半ば冗談で空想を広げるわたしの読みだったりするのでありました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/04/12

キャッチャー・イン・ザ・ライ(2)

ライ麦畑の版元なんかは、この小説のことを「不朽の青春文学」なんて帯のキャッチに書く。うん、そうだな、まあそうだろうな書くとすれば、と思いながらじつはわたしは少々釈然としない。

青春文学というのは、まずは主人公のホールデンが16歳であるということ、そしてこの小説がほかならぬこのホールデンの語りで成立していることから来ている。あるいは、主人公と同世代の少年少女が読んで共感できる「文学」なんだよ、ということをいいたいのかもしれない。もっとざっかけなく言えば、商売上のねらいがこういう人々にあるということだろう。

しかし、はっきり言ってこの小説はむしろ大人のためのものである。それは主人公のホールデンがこのオハナシを誰に語りかけているのかということに思いをいたせば、見えてくるはずだ。もちろん同年代の少年少女が読んでくれてもかまわない。しかしほんとうにこのオハナシを理解し、読み解いてくれるのはホールデンにとってはおそらく兄のDBなんじゃないかな、とわたしは思う。小説の構造がそもそも大人(DBであれ、入院したクリニックの精神分析医であれ)に読んでもらうことを前提にしているという感じがするんだな。あるいは、もっと大胆な仮説もわたしにはあるのだが、それは最後に書くことにして、なんでわたしがこれを青春文学と呼ぶことに釈然としない思いを抱くかと言えば、それはわたしの最初の本書との出会いにある。

前に書いたように、わたしが野崎訳のライ麦畑を初めて読んだのは15歳くらいだったと思うのだが、はっきりいってわたしはこのホールデンという主人公に夢中にはなれなかったのですね。まず最初のつまずきはかれの白髪である。頭の片方に子供の頃から白髪がある少年なんてちょっと感情移入しにくよ。(笑)おまけにこいつは、背こそ高いんだけど、すぐに息切れはするは、ルームメイトに喧嘩を仕掛けて、あっけなくノックアウトをくらうようなやつなんだな。なんせ、そのころわたしは15歳だった。15歳の少年が自己同一視したいヒーローというのは、まあ、いろいろあるだろうが、わたしにとってはたとえばスティーヴ・マックイーンのブリットでありましたね。寡黙でタフで頭が切れて、恋人はジャクリーヌ・ビセットである、ト。(笑)

だから、なにしろ喧嘩は弱いし、若白髪だし、童貞だし(ってもちろんその頃、わたしだってそうなんだけど)、学校は落第して退学させられるし、それもひとつだけじゃなくて三つも、なぁんて少年には、できればならんとこう、と思いはしたが、よっしゃおいらもホールデンで行こうとは思わなかったんだなあ。
いや、だから15歳ですからね、その時は。身を立て、名をあげ、やよはげめよ、とはもちろん全然思わなかったが、おれも気をつけんとホールデンになっちゃうなあ、というのが最初の感想だったんじゃなかろうか、はっきり憶えていないが。
ラストシーンの回転木馬に乗ったフィービーを雨に濡れながら見続ける場面だけはほんとうに好きだったけど、総じて、ある種の反面教師のような感じでこの小説を読んだというのがわたしのこの作品との出会いである。

もちろん言うまでもなく、こういう読みはぜんぜんダメであります。お話しにならんね。

だが、こういうダメな読み方しかできなかったのは、わたしがアホーだからですが、乱暴にいえば、若いということは要はアホーだということです。すみません、若い人。(笑)
だから、版元が営業上の仕掛けでもって「不朽の青春小説」なんていうのは、間違いではないけれど、なんだかちょっとインチキみたいな気がしてならないのであります。
では、いま53歳のわたしはこの小説をどんな風に読んだのか、ということを書かないと、そんな読み方しちゃぜんぜんダメよ、という説明にならないね。ということで以下次号。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/11

キャッチャー・イン・ザ・ライ(1)

自慢ではないが、という口上は、言うまでもなく、おれはこれを自慢に思っているぞと言う意味だ。まあ、大して自慢にもならないことを、いかにも大層なことに思っている当人の、多少の露悪趣味といえなくもないけれど。
ということで、ここは「自慢だぞ」と正直にことわった上で書くのだが、わたしはサリンジャーの『The Catcher in the Rye』をこれまで4回読んでいる。いや、ほんとは6回くらいは読んでいると思うのだが、自信を持って断言できるのが4回なので、ここは一応謙虚に。

まず白水社から出ていた野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』を高校1年生の頃に読んだ。これは、いまでも憶えているが、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』が芥川賞をとったときに、これってサリンジャーのライ麦畑のパクリじゃんという批評があって、庄司薫の文体にすっかり入れ込んでいた私は、けしからんことを言うやつだなあと思いながら、その当否をたしかめるためにサリンジャーを手にとったのであります。だからこれが一番最初。そのときの感想はまたあとで書く。

2回目は大学の2年か3年で、このときはペンギンのペーパーバックで読んだ。このころは、まだあんまり英語が読めなかったので、野崎訳と引き比べながらなんとか読み通した記憶がある。(だからこのときは翻訳もまあ読んでいることになるな)
3回目は社会に出てから、やはり野崎訳を読んだ。たぶん二十代の終わりか三十代のはじめだろう。
4回目は学生時代に読んだぼろぼろのPBを実家で見つけて懐かしくて読んだ。たぶん40代のあたまじゃなかったかな。

Catchinrye で、今回は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』。これはカミさんの本。村上春樹の新訳がでたときに早速彼女が読んでいた。そのときは、わたしは正直なところ、あんまり食指が動かなかった。いまさら、なんで村上春樹なんだよ、ってな思いがしたのね。
だが、先日、加藤典洋の『敗戦後論』を読んでいたら、読んだ人は知っているとおり、ここに重要な項目としてサリンジャーが登場する。しかもなんと「戦争文学としてのライ麦畑」という思ってもみなかった切り口。これが説得力のある論の立て方であるかどうかはともかく(わたし的にはあまりピンとこないけどね)こういうの読むと、これは再読せざるをえなくなろうというものではないですか。(笑)

ということで、考えてみれば、わたしはこのライ麦畑に関しては、10代、20代、30代、40代、そして今回50代と、繰り返し読んで来たことになります。いや、おどろいたなあ、もう。
てなわけで、この作品をいったいどう読んできたのか、すこし考えてみようかな、と思った。
(この項続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/08

池畔にて

20080408_2 「やあ、よくなれてますね、そいつ」
「うん、釣り上げたら分けてもらえるのを知ってるんだよね」
「びっくしたなあ」
「でも」と青鷺のほうにあごをしゃくって、「このヒトらもたいへんでさ、仲間がやってきたら大げんかよ。縄張りってやつ?」
「ははは」
「まえはさ、もっと近くですぐとなりにちょこんといたんだよね。でも竿で叩いたやつがいてさ、以来、この距離になったの」
「ふーん」

いやはや、このヒトら、ってのが最高。(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/04

海外長編ベスト100

デイヴィッド・ロッジの『交換教授』だったかな、文学部の教授連中が集まるパーティで、自分が読んでいない本を告白しあうゲームがあった。たしかゲームの名前が「屈辱」。
たとえば参加者が20人がいるとすると、自分以外の19人全員がその本を読んでいたら19点獲得できる。自分と同じように誰もその本を読んでいなかったら0点である。

これ、じつによく考えられたゲームでね、もしカッコつけて、読んでいなくてもさほど恥じゃないような本をあげていたら、絶対勝てない。
たとえばヘンリー・ジェイムスの『使者たち』なんてのを、「いや恥ずかしながら、これ読んでいなくてさ」なんて告白したって、たぶんそんなもの読んでるのは専門家くらいだから得点は低いし、パーティも盛り上がらないから安全パイを切る臆病なやつ、なあんて莫迦にされるだけだろう。
かといって、高得点できるのがわかっていても、たとえば『マクベス』なんてのをもし挙げれば、ほとんど職業的な自殺である。ねえ、ねえ、聞いた?英文学の山田教授、『マクベス』読んでないって、告白したらしいよ。えっ、ウッソー、てなもんであります。(笑)

20080404 ということで、このゲームにどんな本を「読んでない」と告白するかは、なかなかスリリングでありますが、同時に、けっこうなカネを賭けていたりすると、屈辱(おいおい、これ読んでないってホントかよ)を忍んでカネを得るか、名誉を守ってカネを失うかというきびしい選択を迫られることになるのであります。いや、やりたくないゲームだねえ。

というマクラで、今日発売の季刊誌「考える人」の特集「海外の長編小説ベスト100」のなかで、わたしの読んでいない本を告白します。めんどくさいから半分の1位から50位まで。赤字が自虐告白分でございます。どうぞお笑い下され。(著者は省略。題名のみ)ドン・キホーテ、白鯨、レ・ミゼラブル、モンテ・クリスト伯、千夜一夜物語、はダイジェスト版、または低学年用バージョンでは読んでいますが、ここはきびしく未読ということに。

百年の孤独 失われた時を求めて カラマーゾフの兄弟 ドン・キホーテ  罪と罰 白鯨 アンナ・カレーニナ 審判 悪霊 嵐が丘 戦争と平和 ロリータ ユリシーズ 赤と黒 魔の山 異邦人 白痴 レ・ミゼラブル ハックルベリイ・フィンの冒険 冷血 嘔吐 ボヴァリー夫人 夜の果てへの旅 ガープの世界 グレート・ギャツビー 巨匠とマルガリータ パルムの僧院 千夜一夜物語 高慢と偏見 トリストラム・シャンディ ライ麦畑でつかまえて ガリバー旅行記 デイビッド・コパフィールド ブリキの太鼓 ジャン・クリストフ 響きと怒り 紅楼夢 チボー家の人々 アレクサンドリア四重奏 ホテル・ニューハンプシャー 存在の耐えられない軽さ モンデ・クリスト伯 変身 冬の夜一人の旅人が ジェーン・エア 八月の光 マルテの光 木のぼり男爵 日はまた昇る

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/04/01

3月に読んだ本

『石川淳選集 第12巻 評論随筆 2』(岩波書店)
『The Overlook』Michael Connelly(Vision/2008)
『俳句鑑賞450番勝負』中村裕(文春新書/2007)
『大人の見識』阿川弘之(新潮新書/2007)
『実録アヘン戦争』陳舜臣(中公文庫)
『アーロン収容所』会田雄次(中公新書)
『句集 朧銀集』加藤三七子(花神社/1997)
『京極派歌人の研究 改訂新装版』岩佐美代子(笠間書院/2007)
『短歌博物誌』樋口覚(文春新書/2007)
『エラスムスはブルゴーニュワインがお好き』宮下志朗(白水社/1996)
『セックスの哀しみ』バリー・ユアグロー/柴田元幸訳(白水社/2000)
『大庭みな子全詩集』(めるくまーる/2005)〈再読〉
『空白と余白 川田ひさを句集』(1995)
『言語表現法講義』加藤典洋(岩波書店/1996)
『エリコの丘から』E.L. カニグズバーグ/金原瑞人・小島希里訳(岩波少年文庫/2000)
『敗戦後論』加藤典洋(講談社/1997)
『考える人生相談』加藤典洋(筑摩書房/2007)
『宮廷に生きる—天皇と女房と』岩佐美代子(笠間書院/1997)
『歌仙の愉しみ』丸谷才一・岡野弘彦・大岡信(岩波新書/2008)
『骨の城 』アーロン・エルキンズ/嵯峨静江訳(ハヤカワ文庫/2008)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »