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2008/04/11

キャッチャー・イン・ザ・ライ(1)

自慢ではないが、という口上は、言うまでもなく、おれはこれを自慢に思っているぞと言う意味だ。まあ、大して自慢にもならないことを、いかにも大層なことに思っている当人の、多少の露悪趣味といえなくもないけれど。
ということで、ここは「自慢だぞ」と正直にことわった上で書くのだが、わたしはサリンジャーの『The Catcher in the Rye』をこれまで4回読んでいる。いや、ほんとは6回くらいは読んでいると思うのだが、自信を持って断言できるのが4回なので、ここは一応謙虚に。

まず白水社から出ていた野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』を高校1年生の頃に読んだ。これは、いまでも憶えているが、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』が芥川賞をとったときに、これってサリンジャーのライ麦畑のパクリじゃんという批評があって、庄司薫の文体にすっかり入れ込んでいた私は、けしからんことを言うやつだなあと思いながら、その当否をたしかめるためにサリンジャーを手にとったのであります。だからこれが一番最初。そのときの感想はまたあとで書く。

2回目は大学の2年か3年で、このときはペンギンのペーパーバックで読んだ。このころは、まだあんまり英語が読めなかったので、野崎訳と引き比べながらなんとか読み通した記憶がある。(だからこのときは翻訳もまあ読んでいることになるな)
3回目は社会に出てから、やはり野崎訳を読んだ。たぶん二十代の終わりか三十代のはじめだろう。
4回目は学生時代に読んだぼろぼろのPBを実家で見つけて懐かしくて読んだ。たぶん40代のあたまじゃなかったかな。

Catchinrye で、今回は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』。これはカミさんの本。村上春樹の新訳がでたときに早速彼女が読んでいた。そのときは、わたしは正直なところ、あんまり食指が動かなかった。いまさら、なんで村上春樹なんだよ、ってな思いがしたのね。
だが、先日、加藤典洋の『敗戦後論』を読んでいたら、読んだ人は知っているとおり、ここに重要な項目としてサリンジャーが登場する。しかもなんと「戦争文学としてのライ麦畑」という思ってもみなかった切り口。これが説得力のある論の立て方であるかどうかはともかく(わたし的にはあまりピンとこないけどね)こういうの読むと、これは再読せざるをえなくなろうというものではないですか。(笑)

ということで、考えてみれば、わたしはこのライ麦畑に関しては、10代、20代、30代、40代、そして今回50代と、繰り返し読んで来たことになります。いや、おどろいたなあ、もう。
てなわけで、この作品をいったいどう読んできたのか、すこし考えてみようかな、と思った。
(この項続く)

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