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2008/04/14

キャッチャー・イン・ザ・ライ(3)

さて、今回いくつか書こうと思っていたことはあったのだけれど、なんだかおっくうになってしまった。
いまライ麦畑を読み返すと、ホールデンがひたすらいとおしい。

ああ、そんなんじゃ、身が持たないよ。
いいかいインチキ感知器は作動させるより切っちゃうほうがいいんだ。
だって、君の中のインチキ感知器は、最初は君のまわりのインチキ野郎のくだらなさや思いやりのなさや、インチキ女のウソを暴いているだけだけどさ、やがてその矛先は君自身に向いて動き出すことになるんだから。君がなにを望もうと、なにをしようと、いつでも鳴り続けることになるんだから。
そうして、君は最終的に、鳴り続けるインチキ感知器を黙らせるために、自分のできることで、唯一のホンモノにみえることに行き着くことになるんだからね。
どんなインチキ野郎だって、インチキ女だって、その死だけはニセモノではない。
だから、君がインチキ感知器を手放したくない(だってそのほうが自分が知的に優位に立てるってことだからね)のはわかるけど、気をつけるんだよ。
ほら『バナナ・フィッシュにうってつけの日』のシーモアというのは、つまり、そういうことだったんだ、と思うんだ。

ホールデンにむけて語ってやりたいことはそんなことだが、まあ、これは自己弁護というか、自己正当化というか、そんな気味があるだろう。おっくうになったというのは、そのせいだと、ここまで書いて来てわかった。

加藤典洋や村上春樹が指摘してるように、サリンジャー自身が体験したヨーロッパ戦線の激戦のPTSDとその癒しという解釈は、おそらくもっともうまくこの作品を説明するものなんだろうけれど、わたし自身は、なんだかそういうのもインチキに見えるんだよね。

ああ、前回もったいぶって書かなかった私自身のライ麦畑仮説というのがあったな。
もうどうでもいいようなものだけれど、一応ごく簡単に書いておきます。
この小説は、一番外側のところは、サリンジャーという現実の作者がオハナシをつくったということですね。そして小説の芯はホールデンが自分の体験をだれかに語りかけるように文章を書いている、という虚構です。
しかし、こういう小説の構造そのものがインチキですから、ホールデンならこんなもの絶対に書かないと思う。そもそも、かれが書いたのではこんな巧みな小説にはならんでしょ。なにせあの村上春樹が翻訳しながらその小説の技巧の練達に舌を巻いたという作品でありますよ。では(虚構にせよ)これはいったいだれが書いているのか。
ということで、一番外側のサリンジャーと芯のホールデンとの間に虚構の書き手がいるというのがこの小説のかくれた構造だと思うんだな。いうまでもなく、それはホールデンの兄の作家DBであります。もしかしたらホールデンはもうこの世の人ではないのかも知れない。DBのライ麦畑はちょうどマキューアンの『贖罪』のようなものであるのかもしれない、というのが半ば冗談で空想を広げるわたしの読みだったりするのでありました。

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コメント

この項目、大変興味深く拝読しました。『ライ麦畑でつかまえて』は、私も二十歳前後の頃読みましたが、そんなに好きな小説ではなかったのです。でも、かわうそさんの文章をよんで、やっぱり、村上訳を再読しようと思っています。(私も買ってあるのです)
小説は、ナラティブの問題は大きいと思います。
とても好きな作家(だった)人のある作品を読んでいた時、もう、30頁ほども過ぎた頃、やっと小説上の書き手が女性であることを認識して、複雑な気分だったことがあります。彼は女性を書くのは下手だと評判でしたが、そのことと、小説の<しかけ>の問題とは別だろうと思ったり、いや、どうせ女の気持ちを前提に書くのは無理なんだよ、なんて納得しようと試みたりしました。
小説が、あるいは文学がもたらしてくれる愉しみを、言葉として実感するのは、かわうそ亭さんの、このような文章を読んだ時です。拝読しつつ、触発され、示唆され、共感し、いつも静かな喜びを感じます。

投稿: Wako | 2008/04/16 12:57

どうもありがとうございます。
小説の語りそのものに「仕掛け」を設けるというのは、ミステリやSFなんかでときどきやりますね。うまくきまると面白い。
タイトルはネタばれになるから自粛しますが、あるスパイ小説でコンゴ動乱を背景にしたものがありました。一人称の語りなんですが、ラストでその主人公(大使館員付のCIA局員)が黒人であったことがあかされて、ああ、やられたあ、となる。アメリカ大使館の人間だから当然白人と決めつけて読んでいたのが、かれが黒人だったとわかると、それまでのオハナシが一気に二重の意味を付加されるような面白さがあった。
小説のヴォイスに耳を澄ますのが、やはり小説を楽しむコツのような気がします。

投稿: かわうそ亭 | 2008/04/16 20:49

通りすがりのものです。

すごい。感動しました。

DBが作者だというお話、いろいろ腑に落ちる気がします・・・。

投稿: りん | 2008/04/27 23:34

どうも、どうも。
またいつでもお立寄りのほど。happy01

投稿: かわうそ亭 | 2008/04/27 23:42

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