なぜ読むか
このあいだうちから、なんとなく思い出しては、繰り返し考えていること。
最近いちばんこころに届いた一節。
わたしだって、できることならものごとについて、より完璧に理解したいとは思いはするものの、すごく高い代償を支払ってまで買うつもりはない。わたしの腹づもりは、この残りの人生を、気持ちよくすごすことにほかならず、苦労してすごすことではない。そのためならば、さんざん脳みそをしぼってもかまわないようなものなど、もはやなにもないのだ。学問にしても同じで、どんなに価値があっても、そのためにあくせく苦労するのはごめんこうむりたい。わたしが書物にたいして求めるのは、いわばまともな暇つぶし(アミユズマン)によって、自分に喜びを与えたいからにほかならない。勉強するにしても、それは、自己認識を扱う学問を、つまりは、りっぱに生きて、りっぱに死ぬことを教えてくれる学問を求めてのことなのだ。
モンテーニュ「書物について」
『エセー(3)』宮下志朗訳(白水社)
| 固定リンク
「c)本の頁から」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント