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2008/06/04

山中智恵子と古事記(承前)

イザナギが目を洗ってアマテラスとツクヨミが、鼻を洗ってスサノヲが生まれた話を前回書いた。そういえば栗木京子の『けむり水晶』にはこんな歌もある。

イザナギが右の目洗ふ宵ならむ
春のおぼろの大き月出づ

右の目から生まれたツクヨミは、「月讀命」と書くのでありますね。どうも俳人は愛嬌で十分商売になるようだが、歌人というのはなかなかどうしてうるさいようで。(笑)

さて、かように現代短歌にもさまざまなイメージを与え続けている古事記ですけれど、古事記と言えばなんといっても、本居宣長(1730-1801)であります。
『古事記伝』は全部で44巻とかいう大部のものですが、その上巻にあたる17巻は版木版下の本文部分は宣長自身が書いたそうですね。そして、註釈部分は宣長の長男である春庭(1763-1828)が書いたとか。三重県立図書館のサイトにはこの初版本の画像が掲示してあります。端正な読みやすそうな字ですね。(こちら)

本居春庭(はるにわ)は長男でもあり、『古事記伝』の註釈部分の版下書をさせたくらいですから宣長はおおいにかれに期待をしていたに違いない。また、この長男は、父の期待に十分に応えるだけの明晰な頭脳の持ち主で、学問への志も深かった。しかし、どんな家庭にも不幸はさまざまかたちで訪れる。
春庭は重い眼病を患ってしまうのであります。
父、宣長は春庭の病を治すために手をつくすが、悪化こそすれ恢復のきざしはない。父親としての苦しい胸の内を訴えた手紙が残っているようです。このような苦悩のなかでついに『古事記伝』が完成するのですが、それとまさに引き換えのように春庭の眼から光が失われるのでありました。

ところで、当時、眼科医としてもっとも声望の高かったのは尾張の馬嶋家という家でした。いま家でしたと述べたが、これは正確ではない。この医は馬嶋明眼院(みょうげんいん)という寺院の体裁をとっていたのですね。医家としての馬嶋家の初代は清眼僧都(?-1379)という天台宗のお坊さまである。南北朝時代にまでさかのぼる。
明眼院の場所はいまの海部郡大治町馬島として名前が残っているそうですが、さまざな地域から人々が治療を受けにやってくるので、宿泊施設や食べ物屋などが門前市をなしていたといいます。(注コメント欄参照)
この馬嶋明眼院に本居宣長は長子春庭の治療を頼んだのですね。しかし、かれの眼病がどのようなものであったのかわかりませんが、すでに時遅く手の尽くしようがなかったのか、あるいは当時の医術では治療の不可能なものだったのでしょうか、春庭の眼は治らず失明してしまったことは先に書いたとおり。なお、春庭はその後、妻の助力を得ながら、日本語文法の基礎となる四段活用などをあきらかにした『詞八街(ことばのやちまた)』を書き上げておりますが、それはまた別のお話。

さて、ここで山中智恵子に戻ります。
歌集「青章」にこのような歌があります。

わが血にていへばかそけきことながら
馬島考眼虎列刺に果てつ

山中は父方も母方も累代医家の家柄でした。父方は尾張藩医、そして母方がこの馬嶋家であったそうです。本人もこの血筋に対する意識は強かったと思われます。
たとえば「みずかありなむ」には眼を洗うというイメージ、眼を喪うイメージが何度か出てきますね。

夕まぎる水際のみのあかるさに
殺らしむ眼なほ洗ふかな

眼をあらはばなほも暗きかわが思ふ
鳥ふぶくごと立ちて舞はぬこと

かきくらしまなこほろぶる渚にて
目一つの神もかく雪にあふ

もしかしたら、山中が古事記を思うとき、彼女の先祖が助けてやることのできなかった本居春庭のそしてその父宣長の無念が脳裏に去来したかもしれない。
そして、幻視者としての自分の能力や役割を、何千年という時のなかで喪われていった眼に仮託された力として自覚したのでないかと考えることも、またあながち、奔放な想像とも言えないのではないかなどと思ったりするのでありました。

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コメント

注)
このあたりの記述は、わたしは司馬遼太郎の『街道をゆく 濃尾参州記』によっています。伝えられるところでは後水尾天皇の白内障を直したことがこの明眼院であった。
司馬遼太郎は、曾野綾子が白内障によって失明しかけていたのを超音波を用いた特殊な手術によって回復させた馬嶋慶直医師に会いにゆくのですね。司馬さんらしい言い方では、この南北朝から続く馬嶋家の末裔の風貌にふれるのが目的であった。

投稿: かわうそ亭 | 2008/06/04 10:16

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