俳句と古事記
山中智恵子と古事記の話のときに、行きがけの駄賃とばかり、歌人はよく勉強するが俳人は愛嬌だけで商売できると世の中なめてやがると悪態をついて、しかられた。(笑)
いや、まあ、俳句にも古典に源泉をもつ句はたくさんあります。
同じくイザナギとイザナミの箇所から。
「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク
川崎展宏
五月なる千五百産屋の一つなれども
中村草田男
野暮な解説は不要と言いたいところですが、じつは草田男の句の「千五百産屋」はわたしは「せんごひゃく・うぶや」なんて読んでおりました。お笑い下され、もちろん「ちいほ・うぶや」であります。
さいわい作者本人の自句自解がありましたので、引いておきます。これによって川崎展宏の句の方も半分は意味が通じるはずです。
「千五百産屋」とは古事記の中に出てくる言葉です。伊弉諾尊は伊弉冉尊の死をいたんで黄泉国へまで会いに訪ねて行かれます。しかし、幻滅の悲哀を味われた男神は結局、女神に追われつつ黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)へまで逃げのびられます。男神は大石を転ばして黄泉国と此世との境の穴を塞いでしまわれ、其外と内とで、二神は最後に声をかけ合われます。女神が「自分に恥をかかせた復讐にあなたの国の人間を一日に千人ずつ殺してやる」と叫ばれます。男神は「それでは俺は、一日に千五百の産屋を樹てよう」と応ぜられます。(中略)
千五百産屋とは—つまり、人間の生成、繁殖を祝福する言葉なのです。
(「問・答」『中村草田男全集6』)
草田男にとって、その五月に生まれた吾子はなるほど大勢の赤子のひとりにはすぎないが、それでもかけがえのない吾子なのである、てな感じなのでしょう。
川崎展宏の句の方は、ヨモツヒラサカがなんであるか、この草田男の解説であきらかになっていますが、二回三回となえてみれば、なるほどこれはかの世からの電文だと了解できるでしょう。川崎にはこんな句もあります。
大和神社境内の末社、方二メートル、戦艦大和以下海上特攻作戦の戦死者三千七百二十一柱を祭る。三句
戦艦の骨箱にして蕨萌ゆ
三千七百二十一柱かげろへり
いくさぶねやまとのみたま鳥雲に
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