読んだ本を忘れる
メモ代わりに「ブクログ」というサービスをつかっている。(サイドバーの「本棚」でこのブログとリンクしています)
一冊本を読み終わると、こにISBNの番号を入れてやる。すると自動的に読書録ができあがるという仕組みである。評価や自分の覚えも書ける仕様だが、そういうのはめんどくさいので使っていない。わたし、このサービスを2004年の10月28日から使っています。それ以降の3年と10ヶ月くらいの読書録になっているわけですね。
このシステムでは、重複登録はできないことになっていて、かりに以前読んだ本を入れようとすると「登録済みです」というメッセージがかえってきます。
――と、いうところまでがマクラですが、じつは最近、わたしにとっては憮然とするようなことが立て続けに起った。
まずは図書館で借りた『丸谷才一批評集・第一巻 日本文学史の試み』(文藝春秋)。わたしはたしかにこれに収録されている「日本文学史早わかり」はなにかで読んだと知っていた。しかし、この著作集で読んだのではなかったと思い、他の文章も読みたかったので数日がかりで読み終えて、いつもどおりブクログにISBNを打ち込んだら「登録済みです」と出てきた。
驚いた。2006年3月にたしかに読んでいた。その年の「3月に読んだ本」にも載せている。ついでながら自分のルールとして、このブログの「読んだ本」には、はじめから終わりまできちんと読んだ本だけ載せています。一部でも飛ばし読みした本はここには入れないことにしているのでありますね。だから、たしかにわたしはきちんと読んでいたはずです。しかし、そのことを忘れて、また同じ本を最初から最後まで読んで、しかもそれにまったく気づかずにいたことになります。しかし、まあ、先に書いたように「日本文学史早わかり」は再読だと知りながら読んだわけだから、それほどショックはなかった。
ところがつづいて同じようなことが起った。今度は数ヶ月前に古本屋で求めた安東次男の『芭蕉』(中公文庫)であります。なにしろこれは絶対に初見だと思って読み始め、そして、ずいぶんムツカシイ内容だったがやっとこさ読み終えた本だったから、ショックは大きかった。
え、これ読んでんのかよ、オレ。
で、たぶんすごく苦労して読んだ(だって、今回もすごく苦労したんだから)はずなのに、読んだという記憶さえ残らないまでに完璧に内容を忘れているのかよ、オレ。
それも10年も前に読んだ本だというのならわからんでもないが、ほんのニ年ばかり前に読んだ本の中味まですっかり忘れてしまうようでは、なんのために本を読んでいるのか——、わたしがしばし憮然としたのも無理はないでしょう。
いや、なにもいよいよボケがはじまった、とまでは思わないのですが、読書のありかたをずいぶん反省するきっかけになりました。
おまえは本を読んでいるとは言えないのかも知れんよ、と。
| 固定リンク
「c)本の頁から」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
記録を付けているわけではないのでどの本がという具体的かつ正確な話ではありませんが、読もうと思って買ってきた本が以前買って山積みになっている本のなかにあるなんて日常茶飯事です。そう言えば、嵐山光三郎『芭蕉紀行』なんてのもそう――二重買いかつ二重読み――でした。
私の場合は記憶剥離症なのでしょうが、「読書のありかた」に関わる問題でもあるというのは、私にもたしかに胸にこたえる指摘です。
投稿: かぐら川 | 2008/08/30 21:22
読書というのは、どうも行き着くところは、好きな本を何度も繰り返して読む——前から、後ろから、途中から、気になるところを徹底的に精読するということになるのかもしれませんね。デスクの脇に辞書や地図や年表を置き、関連する本を広げ、とにかくゆっくり時間をかけて本を読むことが面白い。
じつはいま、『The Annotated Pride and Prejudice』という本に熱中していまして、これジェーン・オースティンのPride and Prejudiceのテクストを左頁に、その註釈を右頁に見開きで配置した本なんですけれども、これがもう面白くて、面白くて。(笑)やはり読書は精読にとどめをさすようであります。
投稿: かわうそ亭 | 2008/08/30 22:33