此のほとり(承前)
『此ほとり 一夜四歌仙評釈』の雰囲気を紹介するために適当な箇所を探すのだが、もともと連句という形式が、任意の一句を解するのには前句を引かざるをえず、その前句も、さらにその前句を語る必要があって、なかなか容易ではない。
丸谷才一がその書評(『ウナギと山芋』に収録の「萩すすき」)に用いたのは四歌仙其三の発句から初裏の二句までで、とくに最後の几董による「高きに登り物思ふ身の」という一句については、著者中村幸彦の従来の註釈に逆らっての独創的な読みがあることを称揚する。たしかにここは面白い。
別のところを少しだけ紹介しよう。四歌仙其一の初裏一から七まで。
さよ更けて弓弦鳴せる御なやみ 嵐山
我もいそじの春秋をしる 几董
汝にも頭巾着せうぞ古火桶 蕪村
愛せし蓮は枯てあとなき 樗良
小鳥来てやよ鶯のなつかしき 几董
さかづきさせば逃る県女 嵐山
若き身の常陸介に補せられて 蕪村
個々の句のわたりについて中村の語っているところ(10頁ばかり)を要約するのはつまらない。最後の二句、県女(あがため)と常陸介(ひたちのすけ)にかかる箇所を見てみよう。ちと長いが、このすぐれた評釈がどういうものかを知るためには、この程度の引用はやむを得ない。
補せられては、「ふせ—」とも読むが、近世風に読んでおく。官職に命ぜられること、補任である。常陸介は後述するが常陸の国司の次官即ち地方官の一つである。王朝では、地方官の任命は正月に行われて、その式を県召(あがためし)と称した。その日は、正月九日から十一日まで。十一日から十三日の間に行った時代もあった。よって県召は正月の季語(『滑稽雑談』のその条など)で、この句は春の句である。各国国司の庁には、守、介、掾、目(さかん)の四等の官があって、介は次官である。ただし、上総、常陸、上野の三か国は、親王の任国と定まっていて、常陸守に選ばれた親王は、その地方へ行かないのが常であった。守即ち国司又は受領(ずりよう)の不在の時には「権ノ守」なる代理を置く制度もあるが、この三国には権ノ守も置かないことになっていたので、実際の政治の責任は、次官である介が持ったのである。それでこの三国で、守と云う時は次官のこと、本当の国司を大守と呼ぶこともあった。(『古事類苑』・官位部三二)。
一句は、老練の士を補すのが習である常陸介に、今度は違って、若い、それだけ頭も切れ、手腕も確かで人望のある青年官僚が任じられたぐらいの意である。(中略)
今年の春は、優秀で人柄もよい青年の常陸介が颯爽と補任されて来たので、歓迎のうたげを催した。その席で、無骨な東国には珍しい美少女に、気さくに、一盞どうかと差し出した。女は初対面ながら好感のいだかれる今度の介だけに、もったいないやら恥ずかしいやらで、逃げて行った。どっと一座の笑いも起ころうと云うものである、と解される。
本書は1980年の読売文学賞の受賞作(研究・翻訳部門)。読んで損はありません。
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コメント
これは面白そうでウズウズしてまいりました。
早速、知己の古本屋に探させて読んでみます。
有難うございました。
投稿: 百鬼 | 2008/09/25 15:18
こんばんわ。ネットの古書店検索でも数冊ヒットしますので入手はそれほどむつかしくはないかと存じます。どうぞお楽しみくださいませ。
投稿: かわうそ亭 | 2008/09/25 22:22