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2008/09/23

此のほとり

20080923 『此ほとり 一夜四歌仙評釈』中村幸彦(角川書店)は、丸谷才一の古い書評で知ったが、これが期待に違わぬ面白さ。

安永二年(1773)冬、三年前に夜半亭二世を襲名した与謝蕪村は、筆頭弟子の高井几董(きとう)を編者として「あけ烏」を刊行、蕉風への復帰を高らかに宣言します。
オハナシはこれより少し前の同年九月のことでありました。この夜半亭一派のもとに伊勢の三浦樗良(ちょら)が訪れる。ここに蕪村、几董、樗良がそろいまして、数年前に江戸から京に移り棲み、そのころ死の床にあった長老格の和田嵐山を見舞います。
嵐山これを甚だ喜び、この三人がおのれの枕元で同じ打ち語ってくれるのならば、いっそ歌仙など所望したいと請い願う。かくしてここに一夜四歌仙が見事巻き上がったのであります。

蕪村このとき五十八歳、樗良四十五歳、几董三十三歳、嵐山は生年不詳でこのときの年齢は定かではないが、夜半亭蕪村に「叟」と呼ばれるほどの年であれば、おそらくは七十前後であったかと思われる。すでに死を覚悟した嵐山は、この歌仙興行中ときに力つきて眠りに落ち、また覚めて句を付けたかのようであるが、この老俳人の、死にいどみながらもなお俳諧こそが人生のなによりの喜びであるという、この道にかけた深甚の愛情が連衆の魂に共鳴したのだろう、一夜で巻き上げた四つの歌仙は、翌朝、袂にいれて持ち帰った蕪村が読み返してみても、かつての蕉風の作風に通う上出来のものと思われた。かくしてその年に上梓され、いまのわれわれもまた蕪村七部集のなかでこれを楽しむことができるのである。

中村幸彦の評釈によって現代の読者もまた、蕪村をはじめ、夜半亭三世となる几董も、俳諧行脚で鍛えられた樗良も、俳諧に一生を捧げた嵐山も、連衆の誰もが、唐詩選などの漢詩文から代々の勅撰和歌集だけでなく、源氏物語、徒然草、方丈記、平家物語、太平記などの古典を縦横に渉猟していることを教えられ、また勇気づけられもする。書を読むことのなんという楽しさ面白さかな。

随所にみられる中村の博雅な註釈は、読者を萎縮させるような気配はつゆほどもなく、ひたすら俳諧の世界にひろがる豊かな景色を読者に指し示し、さらに機会があれば各自の探索をうながすような塩梅で、わたしはこんなあたたかな連句の評釈があり得ることにむしろ驚いた。
(この項つづく)

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