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2008年10月

2008/10/29

Flickrのアカウント

Flickrのアカウントを実質的に一本化することにした。

これまで、Flickr のアカウントは「shop boy」と「clay workshop」のふたつを使い分けていた。「shop boy」のほうは、このブログに使用する写真や、ときどき気の向くままに撮っている散歩中の風景写真などをアップするためのもので、「clay workshop」のほうは、もっぱらカミさんの粘土作品のギャラリーとカタログがわりの目的で。

ちょうど11月が、わたしのアカウントの更新月で、ふたつプロアカウントを維持しつづけるのも無駄だなあと思い、「clay workshop」を「clayworkshop & kawausotei 」と名称変更して、こちらだけを更新することにした。
したがって「shop boy」のほうは近くプロアカウントのユーザーでなくなるので、過去の写真が見れなくなる。Flickr の解説によれば、ユーザーがアップロードした写真は、そのままデータは保存されているそうだが、フリーのアカウントだとユーザーは直近200件しか見ることができない。(プロに再度アップグレードすれば元通り見ることができる)

いま「shop boy」のアカウントでは1923件のデータを入れているので、ちと迷ったが、大事な写真は自分のPCや外付けHDに入れてあるので、ま、いいか、と決断。
今後の新しい写真は更新した「clayworkshop & kawausotei 」のほうにアップして行くことにいたしましたので、よろしく。「shop boy」のアカウントの方は予備でまた使い方を考えようと思います。

ということで、たとえばこのブログのサイドバーの「獺亭的日常」の動くモザイクのガジェットも、リンクの元が変更になっております。

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2008/10/26

抜粋の花束

趣味で集めた本の抜粋から、いまの気分にかなうものを束ねて。

それに、彼は彼女を笑わせることができた—女を笑わせるのはじつに危険だ。女というものは、情熱の次に笑いを重んじるからね。

    『アレクサンドリア四重奏Ⅱ バルタザール』
    ロレンス・ダレル

                  *

むかしの船頭仲間には一種の習慣がありましてね」と半七老人はここでわたしに説明してくれた。「身投げのあった場合に、それが女ならば引き上げて助けるが、男なら助けない。なぜと云うと、女は気の狭いものだから詰まらないことにも命を捨てようとする。死ぬほどのことでもないのに死のうとするのだから助けてやるが、男の方はそうでない。男が死のうと覚悟するからには、死ぬだけの理窟があるに相違ない。いっそ見殺しにしてやる方が当人の為だ、と、まあこういうわけで、男の身投げは先ず助けないことになっている。それが自然の習慣になって、ほかの水死人を見つけた時にも、女は引き上げて介抱してやるが、男は大抵突き流してしまうのが多い。男こそいい面の皮だが、どうも仕方がありませんよ」

   『半七捕物帳』岡本綺堂
   「海坊主」

                                       *

いかになすべきか。けっして説教はしないことだ。それができる場合には、汚れた者たちを洗ってやることだ。それができる場合には、ぼろをまとっている者たちに衣服を与えることだ。みずから正義と善意を実践することだ。子どもたちの顔を赤らめさせないことだ。下手に彼らの不幸を強調しないことだ。

   『プロポ』アラン
   「道徳、それは富者たちのためのものだ」

                                                *

「老いたしるしなんだ、これも。だれかの役に立つかもしれないと思うと、べらべらしゃべらずにはいられなくなる。使い込んだ猟銃だの、初めて手に入れた野球のミットだの、そういうものを譲ってやりたくなるようなもんだ。きみもいつかそうなる」

   『ブルー・アワー』 T.ジェファーソン・パーカー

                                       *

「もし月日が何かを持って来るものならばその持って来るものよりも月日がたつのを待つと言った方が本当なのじゃないでしょうか。今こうしていても時間はたって行く。」
「音も立てずにですか、」と内山は言った。「併し時間も歌うことがあるとは知らないでいました。」
「それが歌うならば聞けばいいでしょう、」と主人が言った。「この頃の騒音とは別なものです。それで騒音と歌の違いは歌は聞かないでもすむということかも知れません。」

   『金沢』吉田健一

                                                *

「つねに海を眺めているのがいい。嘘をつけない鏡を見るのと同じことだからな。私は海に見入るようになってから、自分の後ろを気にしなくなった。以前は肩ごしに後ろを振り向いては、癒やされることのない嘆きと無念を痛感していた。過去に阻まれて、新たな人生を味わえずにいた。わかるかね。燃えつきた灰から復活するチャンスをふいにされていたんだよ」

   『テロル』ヤスミナ・カドラ

                                                 *

不正を正しても社会の協調度が増すわけではない。女性解放、人種間の平等、貧困に対する闘いは、さらなる国民の結束をもたらしはしなかった。それどころか、社会正義は不満を倍増させ、不和に油を注いだ。完全な自由のように、完全な正義も社会分裂の原因になるのかもしれない。
文明生活は不完全さを引き受けること、つまりもっている権利を行使し尽くさないことを前提に成り立っている。

    『安息日の前に』エリック・ホッファー

                                                 *

人生は時間とともに展開していくが、教訓はその人が必要とするときにやってくる。

   『人生は廻る輪のように』エリザベス・キューブラー・ロス

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2008/10/21

須賀敦子10周忌

「芸術新潮」10月号の特集は須賀敦子。没後もう10年になるんだな。
とくに印象深いのは、全集未収録のエッセイ「沈黙の空間—舟越桂さんの作品」である。
読んでいるうちに、ああ、この文体は須賀敦子以外の誰のものでもないというあたりまえのことにいまさらながらうっとりとする。
今回はじめて収録された文章の初出は1995年、彫刻家、船越桂の作品集『水のゆくえ』に書いた解説だったようだ。
船越桂は須賀の『コルシア書店の仲間たち』のカバーでわたしもなじみがある。

彫刻というものに、さほど興味をもっていなかった須賀さんがローマに行くのだというと「友人」がこんなことを教えてくれた。

・・・・かれこれ四十年になるむかしのことだ。友人はこんなこともいった。彫刻は詩にいちばん似ているとぼくは思う。だからきっと、きみは好きになるよ。彼は、彫刻が叙情詩に似ているのは、どちらもが、人や物のある一瞬の動きや感情をとらえて、これを永遠の表現にとじこめようとするから、ともいっていた。

Sugakatura 船越のこの作品には「言葉が降りてくる」というタイトルがついている。
出版社と打ち合わせをするときにはじめてこの題名に気づいた須賀さんはあらためてこの作品を自著の装釘につかうことができて嬉しかった。

須賀敦子の文章を読み返したくなって、そういえばたしか家人が文庫で揃えていたな、とテキの本棚を漁ったが見当たらない。訊けば、あら、こないだ近所のブックオフに売ったわよ、とのこと。とほほ、きっと、その本をわたしがまた同じブックオフで買うような気がするんですけど。(笑)

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2008/10/13

農工商の子供たち

以前に、中村草田男にからめて井本農一とその父親、青木健作のことをちょっとだけ書いたことがある。(「草田男の守護天使」
農一というのは珍しい名前だが、井本の『流水抄』(角川書店)という本を読んでいたら「名前談義」という随筆があり、その命名のいきさつが書かれてあった。
青木健作は三人の息子に恵まれた。すべて自分が命名した。

長男は農一。
次男は工次。
三男は商三。

わたしたちの父は、士農工商という言葉のうち、士はさむらいであるから嫌いだと避けて、あとの農工商に一二三とつけたものらしい。
わたしは長男であるから農業でもやらせるつもりだったのかもしれないが、長じてわたくしは勝手に国文学の道を選んだ。次弟の工次は工業をやらず農学部を出て製紙会社の山林部に入った。三番目の商三も商業をやらず、この方が工学部を出て技術屋になっている。父のもくろみは見事に外れてしまったのである。

じつにいいかげんな命名のようだが、青木健作は意外にも人の子供の名前をつけてやるのが趣味であった。親戚や知人の子供の命名者になってやることも多かったし、(作家だからと頼んできたのかもしれない)とくに頼まれなくとも、こんな名前はどうかと名前の候補を参考に示してやることも多々あった。
自分の息子たちの場合は、いろいろ迷ったあげくに「凝っては思案に能わず」と面倒くさくなって農一でよい、とつけてしまったのだろう、というのが当の息子の解釈である。子供の頃は、もっと立派な名前にしてくれればよかったのに、と不満だったが、だんだんこれも存外悪くないと思うようになった。あんまり偉そうな名前より気がらくだし、人にも憶えてもらいやすい。
たしかにそういうことはありそうだな。
農一ってなかなかいい名前であります。

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2008/10/12

アメリカの溺死

Asialiq なんだか世界がえらいことになっているようですが(笑)、FT.com のコラムにこんなのがありましたので、笑ってしまった。マンガもよくできている。
10年ばかり前の経済危機で、アジア勢は手痛い教訓を得て、外貨の蓄積をしっかりやってきた、という説明のあとで—

Those reserves – more than $4,000bn-worth at the present count – financed credit in the US and Europe. There were other sources of liquidity, of course, notably the Fed and the reserves accumulated by energy producers. It also took financial chicanery to turn reckless mortgage lending in to triple A rated securities. But as a Chinese official told my FT colleague David Pilling the other day: “America drowned itself in Asian liquidity.”

ええと、$4,000bn、てえと、(と指を折って)4兆ドル、ということはざっと400兆円の「じゃぶじゃぶ」がいまアジアにはある、というのでありますね。でもって、“America drowned itself in Asian liquidity.”と中国政府の高官がフィナンシャル・タイムズに語った、ト。
この「アジアの流動性資金4兆ドル」てのは、どう考えても、日本の分をしっかり入れていると思いますが、あのねえ人のカネまで勝手に計算に入れんでくれよな、てな気もするなあ。(笑)
コラムの締めくくりはこんな風になってなっています。

Yet the big lesson is that the west can no longer assume the global order will be remade in its own image. For more than two centuries, the US and Europe have exercised an effortless economic, political and cultural hegemony. That era is ending.

わたしが、ぼんやりこのあいだうちから考えてよくわからんのは、経済的にはアメリカという極がもはやなくなってしまう世界に突入しはじめたとして、しかし政治、というよりずばりペンタゴンはこれにどうかかわるのだろう、ということだ。借金返せないんだから、軍事セクターももうどんどん縮小でしょ、ソ連の解体のときと同じじゃないの。ま、せいぜい核兵器や生物化学兵器の管理は資金援助受けてでもきちんとやってくださいね、というような上から目線みたいな見方でいいのかなあ。
どうも、安全保障という名目は、それも国益のために国家戦略の立案をするんだというような参謀機関がエリート意識をもっている場合には、なかなかコントロールはむつかしいよ、というのが歴史が教えてくれることのような気がします。

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2008/10/10

ジェイン・オースティンの一人読書会

この夏からとりかかっていた『The Annotated Pride and Prejudice』(Alfred a Knopf)を読みおえる。
ジェイン・オースティンの『Pride and Prejudice』の初版のテクストを左側の頁に、デイヴィッド・M・シェパード(David M. Shapard)による注釈を右側の頁に印刷した本。つまり小説部分は見開きの片面にしかないので、本の分量は倍になって、全部で740ページばかりのちょっとした分厚さ。編者のシェパードは、ヨーロッパの歴史(専門は18世紀)を大学で教えている人らしい。

Pandp475e なんでも注釈は数えると全部で2千3百以上あるそうだが、テクストと注釈は基本的に見開きのかたちで対照できるように工夫されていて読みやすい。
この注釈というのがじつに精緻なもので、たとえば登場人物の結婚観などが語られている箇所があれば、それがジェーン・オースティンのほかの作品ではどのように説明されているかとか、本人は手紙で姪にはこんな意見を書き送っているので、これは作者の結婚観からするとこうこうであろうなんて感じのものがある。

あるいはダーシーやビングリーの収入がどのような資産運用で、どのような利回りで生み出されていると推定されるかとか、それはいまの経済価値ではかるとどれほどのものになるかとか、しかも使用人の人件費がほとんどいまとは比べ物にならないほど安かった当時では、その年収で維持できるはずの生活レベルは、現在のどのクラスの金持ちに相当するか、なんて感じのお金にまつわるリアリティのある説明がある。

あるいは駆け落ちした未成年者が結婚する手続きだとか、ベネット家の限嗣相続というのが具体的にどのようなものなのかといった当時の法制度に関する細かな解説などもある。

このような、とくにそういうことを知らなければオハナシが楽しめないというのではないけれど、それを知ることで物語の細部がよりクリアにわかり、ひいては作者が仕掛けたさまざな伏線や当時の読者ならすぐにわかった含意が、ははあ、なるほど、そういうことか、と腑に落ちたりもするのであります。

また、冒頭の解説で編者自身が注意をうながしているが、これらの注釈はストーリーの上では後のほうで明らかになる出来事にも遠慮なく言及しているので、あくまでP&Pを再読する人を読者に想定している。もちろん、注釈を読まずに小説のほうだけをずんずん読んでしまえば同じことだが。こういう小説全体のつくりを前提にして、ある特定の箇所に言及されると、ジェイン・オースティンという小説家の腕前がいかに冴えたものであるかということが、たいへんよくわかる。

最初に書いたように本書がテクストにしているのはP&Pの初版だが、これは1813年初めに出版された。第2版が同年の末、第3版は1817年である。ジェイン・オースティンはこの年に亡くなっているので、ここまでが作者本人がチェックできたテクストである。初版については、ミスプリントも何箇所かあるようだが、それについての注釈も当然ある。初版の誤植箇所については作者もがっかりしていたようだ。
ちなみに1813年は日本で言うと文化十年、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』とほぼ同じ時期の小説ということになります。

1923年にチャップマン(R.W.Chapman)という人の校注が出て、スペリングや句読法の厳密な点検と統一化がはかられたそうな。これが現在一般に読まれているテクストになっているのだが、本書はあえて初版をテクストにして作者のオリジナルな意図を伝えようとしたというのが編者の弁である。

Anpap もっとも、本書については、その注釈は、歴史的な背景説明はまだしも、あまりにテクスト・リーディングを中断ばかりさせ、しかも肝心なところは見落として、どうでもいいようなところばかり一所懸命説明して得意がっている―ちょうどミスター・コリンズがロージンズを訪ねてきたエリザベスに庭の見所を説明するのと同じ要領みたいじゃないのさ、なんて感じの辛辣な評もあるようです。うん、まあ、そうかも知れないけど、この言い草、ミスター・コリンズがどういうキャラかよく知っている人には、おもわず大笑いしたくなるような、よくできた悪口だよね。
言われたほうも苦笑いして、恨みをさほど残さないような感じがするな。さすがジェイン・オースティンの専門家。(笑)

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2008/10/04

今泉みね『名ごりの夢』

『福翁自伝』より、福沢諭吉が咸臨丸で渡米するいきさつの箇所を引く。

艦長木村摂津守という人は、軍艦奉行の職を奉じて海軍の長上官であるから、身分相当に従者を連れて行くに違いない。それから私は、どうもその船に乗ってアメリカに行ってみたい志はあるけれども、木村という人は一向知らない。去年大阪から出て来たばかりで、そんな幕府の役人などに縁のある訳けはない。ところが幸いに、江戸に桂川という幕府の蘭家の侍医がある。その家は、日本国中蘭学医の総本山とでも名を命(つ)けて宜しい名家であるから、江戸はさておき日本国中蘭学社会の人で桂川という名前を知らない者はない。ソレ故、私なども江戸に来れば何はさておき桂川の家には訪問するので、度々その家に出入りしている。その桂川の家と木村の家とは親類—ごく近い親類である。それから私は、桂川に頼んで、「如何して木村さんの御供をしてアメリカに行きたいが、紹介して下さることはできまいか」と懇願して、桂川の手紙を貰って木村の家に行ってその願意を述べたところが、木村では即刻許してくれて「宜しい。連れて行ってやろう」とこういうことになった。

桂川家は幕府の奥医師の家柄で、幕府公認の蘭学医である。
福沢が出入りしていたときの当主は七代目の桂川甫周(ほしゅう)という。奥医師というのは位が高く、参議、納言と肩を並べる。旗本も道で駕籠にあえばわきによけないければならないとされたくらいであるが、家禄は二、三百俵と豊かではない。しかし将軍の脈をみる役目である以上は威儀も張らねばならず、人も大勢扶持するので内情は苦しい。生活はいたって質素、桂川には乞食の子もくれないほどの貧乏と冗談にいわれた。しかし代々の学者の気風はそういうことには恬淡、家には蘭学を志す若者がごろごろ食客風にたむろしていたのだそうな。福沢もそういう一人であったわけだ。

ところが乞食もくれないはずの桂川甫周の嫁は、旗本のなかでも大変な金持ちの御浜奉行の木村又助の娘にきまった。器量よしで、画や俳諧をよくし(号は琴川)、武芸にも通じた久邇(くに)である。だれもがはじめは本当にしなかった。なんであんな貧乏学者の家に木村の娘が嫁ぐことがあろうか、というわけだ。

この縁談、じつは将軍のお声がかりであった。
「又助、娘を桂川に、仲だちは余だ」と上様じきじきのお達しであった。

内情が苦しく、食客めいた学問を志す若者もふくめてやたらといろんな人間がごちゃごちゃした桂川家にきた久邇はしかしよくこの学者の家になじんだ。夫婦仲もまことによかった。ただおしむらくは、安政二年(1855)に二十八歳の若さで亡くなった。
桂川甫周との間に二人の娘を得た。長女は夭逝したが、次女、みねが昭和十二年まで長生きをした。東洋文庫に今泉みね『名ごりの夢—蘭医桂川家に生まれて』という聞き書きが残る。これが、なかなか面白い本でありました。

なお木村摂津守は久邇の弟である。すなわち、著者、今泉みねにとっては母の弟だから叔父さんにあたる。咸臨丸の艦長としてサンフランシスコに渡ったときに、随行の人々の支度や米国で見苦しいことのないようにと木村家の私財を投じたことを司馬遼太郎の本で読んだ記憶があるが、御一新のあとは新政府への仕官に最後まで肯んじなかった。貧困に陥ったというほどではなかったかもしれないが、維新前の身上をすべてうしない、福沢が経済的な支援をしていたのでなかったか。

『名ごりの夢』に書かれている、福沢諭吉の桂川家での勉学の姿。

福沢さんのおなりは一番質素で、木綿の着物に羽織、それに白い襦袢をかさねていらっしゃったように覚えています。刀かけのあるちょうど二十畳ぐらいのお座敷で、父の前にまじめに足をきちんとかさねて話をきいていらっしゃる時、私は福沢さんの足袋の穴を見つけて、松葉を十本ばかりたばにして突つきましたが、話に熱心にききいっていて、動くにはうごかれずだいぶお困りのようでした。私のこのいたずらには皆さんがお困りになって、桂川の松葉攻めといえば、洋学者仲間に有名になっていたそうでございます。

おちゃめでいたずら好きのお姫さまだが、ご多分にもれず幕府の瓦解後はいいようのない苦労を重ねた。しかし、昭和の御代まで生きて、八十歳でこの本の口述をしたとき幼い日々の記憶は美しい。東洋文庫の解説は金子光晴。その一節—

『名ごりの夢』を口述した、今泉みねという、八十何歳かの老女のなかに、若い日の記憶が色褪せもせず、かくまであざやかに—たとえ、それが刻明に正確でなかったにしろ、生きながらえていたことは、キューリアスという以上に、なにか〝人間の信頼〟につながることのような気がする。

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2008/10/02

多田智満子の歌仙

奈良の古本屋で鈴木漠の編による連句集『花神帖』を購う。
最初からふたつめが「醍醐(歌仙)」というタイトル。多田智満子、高橋睦郎、鈴木漠による三吟歌仙である。
初折裏の九句から名残表の四句までを転記してみる。

 カリヨンの音を次なる音が追ひ   漠

  抱起したる大伯母の笑み     睦郎

 詞歌集は天金をもて装ふべく    漠

  銘をとどめん蜃気楼上      智満子

 繃帯をほどけば春のミイラにて   智満子

  額を這うて蠅いはけなき     睦郎

 当歳にして当今と拝まるる     睦郎

  望遠鏡の奥の琴座も       漠

両吟(二人でおこなう連句)の場合は、長句と短句の担当が固定されるので、途中で同じ人が二句続けて詠むことで順番をかえて、変化をもたせることが多いが、三吟の場合は膝送り(各自が順番を決めて一句ずつ詠む方式)にしても長句と短句がかならず交互にめぐってくるので同じ人が続けて二句詠むことはあんまりないと思う。

2904847312_a87cfc2dc01 この「醍醐(歌仙)」には、最後の但書に「ファクシミリ」という記述があるので、おそらくどこかに集まって興行されたのではなくて、各自の家にファックスを入れて進行させたのだと思うが、こういう場合はなかなか時間がかかるのではないかと思う。
実際に数人で連句の興行をしてみるとよくわかるけれど、三十六句の歌仙を満尾までもっていくには、気心の知れた仲間であっても一種の「勢い」が要るものだ。
また、あとで詳しく書くが連衆の生活環境などの問題もある。勢いをつけるためにところどころで同じ作者が二句続けて詠んで次にまわすことも必要になったのではなかったかと推測する。

さて、ここからがちょっとたよりない話になるのだけれど、ちょっと前に、高橋睦郎氏が書かれた多田智満子さんに関する何かの短文を読んだのである。なにしろ記憶がザル(英語ではこれを'Memory like a sieve'すなわち「ふるい」と称す)なので、なんの雑誌だったか、あるいは新聞だったか、あるいは本の一節であったか、さっぱり思い出せないでいるのだが、それはおよそこんな内容の話だった。(と思う)

高橋睦郎さんと多田智満子さんは、血のつながりはまったくないが、お互いを文芸詩歌の上での姉であり弟であると認め合った間柄であった。
多田さんは2003年1月23日に逝去されるのだが、その最期の日々を六甲山のふもとにあるホスピスで過ごされた。そして現代詩のジャンルでも高名なこの詩人は、最期の日々の詩興を俳句に託されたようなのでありますね。
高橋さんには、二上山を詠んだ句(あるいは歌かもしれないが)を贈られたという。もちろん、二上山といえば大津皇子とその姉、大伯皇女のことを踏まえているのは言うまでもない。六甲から二上山が大阪湾をまたいで実際に見えるかどうか、そんなことはどうでもよい、彼女の詩の世界ではたしかにホスピスの窓から「弟の山」である二上山が見えたのだ、そのイメージをわたしに遺してくれたのだ、なんて感じの文章。

この三吟の歌仙、満尾は2002年7月と記されています。
長逝の半年前。おそらく、そのときにはすでにご自身の死ははっきり見えていたのではないかと思います。
そういう毎日の中でしかも、友人と歌仙を巻いておられたということに、なにか厳粛な気持ちももちながら、しかも、

 銘をとどめん蜃気楼上      智満子
繃帯をほどけば春のミイラにて   智満子

なんて句(わたしの見るところ、ここがこの歌仙の山場でしょう)を出して、読者の頤を解かしむるところなどやはり上等な詩人のお一人ではなかったかと、あらためて敬意をもつものであります。

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2008/10/01

9月に読んだ本

『ゆっくり楽に生きる漢詩の知恵』串田久治・諸田龍美(学習研究社/2004)
『ジェイン・オースティンの読書会』カレン・ジョイ・ファウラー/矢倉尚子訳(白水社/2006)
『魅了する詩型—現代俳句私論』小川軽舟(富士見書房 /2004)
『書のたのしみかた』鈴木史楼(新潮選書/1997)
『エッグ氏、ビーン氏、クランペット氏』P.G.ウッドハウス/ 森村たまき訳(国書刊行会 /2008)
『唐宋八大家文読本 韓愈』星川清孝/白石真子編(明治書院 /2006)
『日本語を知らない俳人たち』池田俊二(PHP研究所 /2005)
『右城暮石句集 声と声』(近藤書店/1959)
『ジェイン・オースティン ファッション』ペネロープ・バード/能澤慧子・杉浦悦子訳(テクノレヴュー/2007)
『ウナギと山芋』丸谷才一(中公文庫/1995)
『決定力を鍛える—チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣』ガルリ・カスパロフ/近藤隆文訳(日本放送出版協会 /2007)
『此ほとり一夜四歌仙評釈』中村幸彦(角川書店/1980)
『韓愈の生涯』前野直彬(秋山書店/1976)
『月蝕書簡—寺山修司未発表歌集』(岩波書店 /2008)
『花匂ひ』後藤比奈夫(牧羊社/1982)
『やみくも—翻訳家、穴に落ちる』鴻巣友季子(筑摩書房/2007)
『海雨—吉川宏志歌集』(砂子屋書房/2007)
『成島柳北』前田愛(朝日選書/1976)
『新古今和歌集一夕話』百目鬼恭三郎(新潮社/1982)

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9月に見た映画

いつか晴れた日に
SENSE AND SENSIBILITY
監督:アン・リー
脚本:エマ・トンプソン
出演:エマ・トンプソン、アラン・リックマン、ケイト・ウィンスレット、ヒュー・グラント、エミリー・フランソワ

ボビー・フィッシャーを探して
Searching for Bobby Fischer
監督:スティーヴン・ザイリアン
撮影:コンラッド・L・ホール
出演:マックス・ポメランク、ジョー・マンテーニャ、ジョアン・アレン、ベン・キングズレー、ローレンス・フィッシュバーン、トニー・シャルーブ

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