多田智満子の歌仙
奈良の古本屋で鈴木漠の編による連句集『花神帖』を購う。
最初からふたつめが「醍醐(歌仙)」というタイトル。多田智満子、高橋睦郎、鈴木漠による三吟歌仙である。
初折裏の九句から名残表の四句までを転記してみる。
カリヨンの音を次なる音が追ひ 漠
抱起したる大伯母の笑み 睦郎
詞歌集は天金をもて装ふべく 漠
銘をとどめん蜃気楼上 智満子
繃帯をほどけば春のミイラにて 智満子
額を這うて蠅いはけなき 睦郎
当歳にして当今と拝まるる 睦郎
望遠鏡の奥の琴座も 漠
両吟(二人でおこなう連句)の場合は、長句と短句の担当が固定されるので、途中で同じ人が二句続けて詠むことで順番をかえて、変化をもたせることが多いが、三吟の場合は膝送り(各自が順番を決めて一句ずつ詠む方式)にしても長句と短句がかならず交互にめぐってくるので同じ人が続けて二句詠むことはあんまりないと思う。
この「醍醐(歌仙)」には、最後の但書に「ファクシミリ」という記述があるので、おそらくどこかに集まって興行されたのではなくて、各自の家にファックスを入れて進行させたのだと思うが、こういう場合はなかなか時間がかかるのではないかと思う。
実際に数人で連句の興行をしてみるとよくわかるけれど、三十六句の歌仙を満尾までもっていくには、気心の知れた仲間であっても一種の「勢い」が要るものだ。
また、あとで詳しく書くが連衆の生活環境などの問題もある。勢いをつけるためにところどころで同じ作者が二句続けて詠んで次にまわすことも必要になったのではなかったかと推測する。
さて、ここからがちょっとたよりない話になるのだけれど、ちょっと前に、高橋睦郎氏が書かれた多田智満子さんに関する何かの短文を読んだのである。なにしろ記憶がザル(英語ではこれを'Memory like a sieve'すなわち「ふるい」と称す)なので、なんの雑誌だったか、あるいは新聞だったか、あるいは本の一節であったか、さっぱり思い出せないでいるのだが、それはおよそこんな内容の話だった。(と思う)
高橋睦郎さんと多田智満子さんは、血のつながりはまったくないが、お互いを文芸詩歌の上での姉であり弟であると認め合った間柄であった。
多田さんは2003年1月23日に逝去されるのだが、その最期の日々を六甲山のふもとにあるホスピスで過ごされた。そして現代詩のジャンルでも高名なこの詩人は、最期の日々の詩興を俳句に託されたようなのでありますね。
高橋さんには、二上山を詠んだ句(あるいは歌かもしれないが)を贈られたという。もちろん、二上山といえば大津皇子とその姉、大伯皇女のことを踏まえているのは言うまでもない。六甲から二上山が大阪湾をまたいで実際に見えるかどうか、そんなことはどうでもよい、彼女の詩の世界ではたしかにホスピスの窓から「弟の山」である二上山が見えたのだ、そのイメージをわたしに遺してくれたのだ、なんて感じの文章。
この三吟の歌仙、満尾は2002年7月と記されています。
長逝の半年前。おそらく、そのときにはすでにご自身の死ははっきり見えていたのではないかと思います。
そういう毎日の中でしかも、友人と歌仙を巻いておられたということに、なにか厳粛な気持ちももちながら、しかも、
銘をとどめん蜃気楼上 智満子
繃帯をほどけば春のミイラにて 智満子
なんて句(わたしの見るところ、ここがこの歌仙の山場でしょう)を出して、読者の頤を解かしむるところなどやはり上等な詩人のお一人ではなかったかと、あらためて敬意をもつものであります。
| 固定リンク
「d)俳句」カテゴリの記事
- 蕪村句集講義のこと(2020.12.10)
- 『俳句の詩学・美学』から二題(2014.04.13)
- 蛇穴を出づ(2014.04.05)
- 農工商の子供たち補遺(2013.10.23)
- もの喰う虚子(2013.06.25)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
よい本を知ることができました。深謝。
多田智満子の俳句について、むかしブログに書きました。
http://tenki00.exblog.jp/3473318/
過去記事ですが、トラックバックさせていただきました。
投稿: tenki | 2008/10/03 11:52
いただいたトラックバックが多田智満子さんについてのちょうどいい註になりました。ありがとうございました。
草の背を乗り継ぐ風の行方かな
いい句ですよね。
投稿: かわうそ亭 | 2008/10/03 20:33