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2008/10/13

農工商の子供たち

以前に、中村草田男にからめて井本農一とその父親、青木健作のことをちょっとだけ書いたことがある。(「草田男の守護天使」
農一というのは珍しい名前だが、井本の『流水抄』(角川書店)という本を読んでいたら「名前談義」という随筆があり、その命名のいきさつが書かれてあった。
青木健作は三人の息子に恵まれた。すべて自分が命名した。

長男は農一。
次男は工次。
三男は商三。

わたしたちの父は、士農工商という言葉のうち、士はさむらいであるから嫌いだと避けて、あとの農工商に一二三とつけたものらしい。
わたしは長男であるから農業でもやらせるつもりだったのかもしれないが、長じてわたくしは勝手に国文学の道を選んだ。次弟の工次は工業をやらず農学部を出て製紙会社の山林部に入った。三番目の商三も商業をやらず、この方が工学部を出て技術屋になっている。父のもくろみは見事に外れてしまったのである。

じつにいいかげんな命名のようだが、青木健作は意外にも人の子供の名前をつけてやるのが趣味であった。親戚や知人の子供の命名者になってやることも多かったし、(作家だからと頼んできたのかもしれない)とくに頼まれなくとも、こんな名前はどうかと名前の候補を参考に示してやることも多々あった。
自分の息子たちの場合は、いろいろ迷ったあげくに「凝っては思案に能わず」と面倒くさくなって農一でよい、とつけてしまったのだろう、というのが当の息子の解釈である。子供の頃は、もっと立派な名前にしてくれればよかったのに、と不満だったが、だんだんこれも存外悪くないと思うようになった。あんまり偉そうな名前より気がらくだし、人にも憶えてもらいやすい。
たしかにそういうことはありそうだな。
農一ってなかなかいい名前であります。

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