ジェイン・オースティンの一人読書会
この夏からとりかかっていた『The Annotated Pride and Prejudice』(Alfred a Knopf)を読みおえる。
ジェイン・オースティンの『Pride and Prejudice』の初版のテクストを左側の頁に、デイヴィッド・M・シェパード(David M. Shapard)による注釈を右側の頁に印刷した本。つまり小説部分は見開きの片面にしかないので、本の分量は倍になって、全部で740ページばかりのちょっとした分厚さ。編者のシェパードは、ヨーロッパの歴史(専門は18世紀)を大学で教えている人らしい。
なんでも注釈は数えると全部で2千3百以上あるそうだが、テクストと注釈は基本的に見開きのかたちで対照できるように工夫されていて読みやすい。
この注釈というのがじつに精緻なもので、たとえば登場人物の結婚観などが語られている箇所があれば、それがジェーン・オースティンのほかの作品ではどのように説明されているかとか、本人は手紙で姪にはこんな意見を書き送っているので、これは作者の結婚観からするとこうこうであろうなんて感じのものがある。
あるいはダーシーやビングリーの収入がどのような資産運用で、どのような利回りで生み出されていると推定されるかとか、それはいまの経済価値ではかるとどれほどのものになるかとか、しかも使用人の人件費がほとんどいまとは比べ物にならないほど安かった当時では、その年収で維持できるはずの生活レベルは、現在のどのクラスの金持ちに相当するか、なんて感じのお金にまつわるリアリティのある説明がある。
あるいは駆け落ちした未成年者が結婚する手続きだとか、ベネット家の限嗣相続というのが具体的にどのようなものなのかといった当時の法制度に関する細かな解説などもある。
このような、とくにそういうことを知らなければオハナシが楽しめないというのではないけれど、それを知ることで物語の細部がよりクリアにわかり、ひいては作者が仕掛けたさまざな伏線や当時の読者ならすぐにわかった含意が、ははあ、なるほど、そういうことか、と腑に落ちたりもするのであります。
また、冒頭の解説で編者自身が注意をうながしているが、これらの注釈はストーリーの上では後のほうで明らかになる出来事にも遠慮なく言及しているので、あくまでP&Pを再読する人を読者に想定している。もちろん、注釈を読まずに小説のほうだけをずんずん読んでしまえば同じことだが。こういう小説全体のつくりを前提にして、ある特定の箇所に言及されると、ジェイン・オースティンという小説家の腕前がいかに冴えたものであるかということが、たいへんよくわかる。
最初に書いたように本書がテクストにしているのはP&Pの初版だが、これは1813年初めに出版された。第2版が同年の末、第3版は1817年である。ジェイン・オースティンはこの年に亡くなっているので、ここまでが作者本人がチェックできたテクストである。初版については、ミスプリントも何箇所かあるようだが、それについての注釈も当然ある。初版の誤植箇所については作者もがっかりしていたようだ。
ちなみに1813年は日本で言うと文化十年、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』とほぼ同じ時期の小説ということになります。
1923年にチャップマン(R.W.Chapman)という人の校注が出て、スペリングや句読法の厳密な点検と統一化がはかられたそうな。これが現在一般に読まれているテクストになっているのだが、本書はあえて初版をテクストにして作者のオリジナルな意図を伝えようとしたというのが編者の弁である。
もっとも、本書については、その注釈は、歴史的な背景説明はまだしも、あまりにテクスト・リーディングを中断ばかりさせ、しかも肝心なところは見落として、どうでもいいようなところばかり一所懸命説明して得意がっている―ちょうどミスター・コリンズがロージンズを訪ねてきたエリザベスに庭の見所を説明するのと同じ要領みたいじゃないのさ、なんて感じの辛辣な評もあるようです。うん、まあ、そうかも知れないけど、この言い草、ミスター・コリンズがどういうキャラかよく知っている人には、おもわず大笑いしたくなるような、よくできた悪口だよね。
言われたほうも苦笑いして、恨みをさほど残さないような感じがするな。さすがジェイン・オースティンの専門家。(笑)
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