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2008年12月

2008/12/29

2008年

今年1年の記事数をとりまとめました。

2008stats

カテゴリーの重複した記事が8本ありましたので、実質的なエントリーは143本。
2007年は150本でしたから、思ったより減っていなかったかな。
前年との比較で見ると、短歌に関する記事が増えている。

これらの記事に対するコメントは自分のものもふくめて141(前年は271)。
トラックバックは17(前年は36)。

ちなみにこのブログの開始以来の記事数は、このエントリーをふくめて744本となっています。
来年も引き続き、お付き合いいただければ幸いです。

みなさま、よいお年をお迎えください。

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2008/12/24

悲しみの門を出よ(承前)

20万年前に登場した原生人類がアフリカ大陸からユーラシア大陸にわたるには北と南の二つのルートがあった。
北ルートはアフリカの中央から現在のエジプト・近東(考古学ではレバント地方と呼ぶらしい)に出る方法。
そして南ルートは、アフリカ大陸とアラビア半島が長く裂けて出来た紅海のもっとも狭い部分を渡る方法である。

ところが、これはいつもどちらも開けているようなルートではなかったのですね。
どうぞお好きなほうをお選びくださいというわけにはいかなかった。

アフリカは、地上を歩くさまざまな人類が生まれた場所である。この遠大で隔離された自然の実験室は、砂漠と緑のはてしない循環のなかで人類をつくりあげてきた。サハラ以南のアフリカに見られるサバンナと森林のパッチワークは、事実上、環境によってつくられる二組の通路によって他の世界から隔離されている。この二〇〇万年のあいだ、それらの通路は家畜をいれる巨大な柵囲いのような働きをし、いくつかの門が交互に開いたり閉じたりしてきた。一方の門が開いているとき、もう一方はたいてい閉じていた。一方は北に向かい、サハラからレバント、ヨーロッパへとつづいていた。もう一方の東への門は、紅海の入り口からイエメン、オマーン、そしてインドへとつづいていた。どちらの門が開くかは氷河作用の周期によって決まり、それによって、人類を含む哺乳動物がアフリカから移動するとき、北のヨーロッパへ行くか、東のアジアに行くかが決まった。
『人類の足跡10万年全史』

アフリカの北のゲートは、極度に乾燥した不毛の砂漠によって動物の移動を封じている。南のゲートはアフリカ大陸とユーラシア大陸の亀裂であるところの紅海が移動を阻んでおります。

Southgate_2 そして、このゲートは周期的に氷河期と温暖期によってスイッチがはいるように開閉した、というのがオッペンハイマーが注目した理論である。
地球の公転軌道の周期的な変化(ミランコヴィッチ周期)によって、地球は長い寒冷な期間と短い温暖な期間に分かれる。

寒冷な期間は北のゲートは砂漠化して通行できないが、この寒冷期には巨大な氷河が地球を覆うので海水面は100メートル以上降下する。そのために海水面が高いときには移動できない海峡などの通行が可能となる。すなわち南ゲートの開放であります。

逆に10万年に一度訪れる温暖期には、氷河は溶け、地球は温暖で湿潤な気候となるので、海水面はそれまでより急上昇し南ゲートは閉じられるが、それまで不毛であった北ゲートは草原となり、動物が行き来するようになる。つまり北ゲートが開くわけだ。

ただ、問題は温暖期はあまり長くは続かないということである。うっかり北ゲートを出て行っても、まごまごしていると、あっという間に(といっても数万年という時間の単位での「あっという間」の話ですが)このゲートは閉じられ、戻りたくてもふるさとには戻れず、しかも早いとこ寒冷期になっても生き延びることの出来る地域に移動しておかないと先にも進めず、取り残されて絶滅の憂き目をみることになる。

じつは、まさにそれが、大昔の人類にもおこったのだそうです。すなわち、現生人類は12万年前に一度、北ルートをとって出アフリカをはたしたのですが、かれらの子孫はすでに絶滅して、いまのわれわれと遺伝子の上ではつながりがないようです。

われらが祖先、すなわちミトコンドリア・イブの子供たちは、約8万5千年前に、今度は南ルートから出アフリカを企てました。そして今度は、うまく行った。かれらはたどりついた南アジアから海岸沿いにインド、東南アジア、オーストラリア、極東へと旅を続けていったのですね。また、これも氷河期と間氷期のスイッチによって南アジアからヨーロッパへの通路が開いたときに巧みに、あるいは運良く西方への旅をつづけた。こうしてユーラシア大陸の東の果てと西の果てまで現在の人類が棲みついたということになるのであります。

ミトコンドリア・イブの子孫が、8万5千年前という特定のタイミングで、アフリカ大陸からユーラシア大陸にわたった理由はなんだろうか、とオッペンハイマーは自問しています。すでに紅海の海水面は下がり、珊瑚礁伝いに、対岸は目と鼻の先に見えていたかもしれない。簡単な筏で出て行こうと思えばいつでも移動できたかもしれないのに。

仮説として、かれが考えているのは、こういう物語である。

この一族は、おそらく紅海のアフリカ側沿岸で魚介類を採取して栄養を取っていた人たちであった。ところが、地球が寒冷期になって海水面が百メートル以上も降下したので、紅海は事実上出口を塞がれて、インド洋との海水の交換をしなくなった。塩分濃度は急上昇し、豊かな海洋生物は死に絶えた。紅海の地質的な調査で、この時代の海面水位と生物の死滅については立証されているのだそうな。
食べ物がなくなったわけですから、やっとご先祖さまも意を決してアフリカを離れて対岸の、いまのアラビア方面にわたることにした。これがちょうど8万5千年のことであった。なぜ、もっと早く渡らなかったのか。おそらくは渡れない理由があったのだろう。もっともありそうなことは、向こう岸に先住民がいたことであります。つまり、ホモ・サピエンス・サピエンスとは異なる種のホモ族ですな。ホモ・エレクトスや、ネアンデルタール人のように石器をつかうヒトだが、わたしたちとはその遺伝子構造が異なる旧人類。
共存や交配ということもあったかもしれないが、おそらくは、ここで行われたことは旧人類の種の掃討であった。つまり、ここで人類は進化上での兄弟殺しに踏み切ったのかもしれません。

この人類の渡岸の地点は、現在の地図でいうと、紅海とその先のアデン海を分けるバブ・エル・マンデブ海峡にあたる。海はまっぷたつに裂けて人間を通したわけではないが、人々が紅海を渡ったことは間違いない。
最近では、ソマリアの海賊が大活躍しているあたりである。
「バブ・エル・マンデブ」とはアラビア語で「悲しみの門」という意味なのだそうです。

悲しみの門を出よ。

なんとも不思議な地名ではないでしょうかね。

人類の足跡10万年全史

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2008/12/23

悲しみの門を出よ

Mito_eve レベッカ・キャンとその同僚たちによるミトコンドリア・イブ仮説が「Nature」に発表されたのは1987年のことだから、もう20年もむかしのこと。
「ニューズウィーク」誌はさっそく、黒人のアダムとイブを表紙につかった特集を組んだが、この号の販売数は記録的なものになったらしい。
母系のみに伝わって行くミトコンドリアDNAの系統を辿って行くと、現生人類全部の共通の「母」が約20万年前のアフリカに生きていたことになる。なんでそんなことがわかるかは、もちろんわたしにはわからないけれど、単純に話として面白い。
その後、父系の系列で「時間旅行」をするY遺伝子の解析によっても、やはりわたしたちのルーツはアフリカにあることが裏付けられ、ホモ・サピエンス・サピエンスはすべて出アフリカを果たした集団の子孫が世界中に散らばって行ったものであるという仮説は、いまではほぼ定説となったようだ。

『人類の足跡10万年全史』スティーヴン・オッペンハイマー(草思社)は、このミトコンドリア・イヴの一族がどのようにして地球の上を移動して行ったかを、一般向けに解説した本である。

ここで、興味深いのは、オッペンハイマーがつかっているのが、ふたつの科学的な知見であること。

ひとつは当然、ミトコンドリアDNAとY染色体を、世界中の人々から採取して、その移動を地理上にプロットして行くと同時に、遺伝子的な突然変異の統計的な出現率をもとにした数学モデルからその移動や分岐がいつごろにおこったかを推論して行く方法。

そして、もうひとつは、これはわたしにはまったく新鮮なアイデアだったのだが、過去何百万年にわたる気象データである。過去千年の気象はたとえば縄文杉のような樹木の年輪をみることであきらかになる。おなじように、珊瑚礁や氷河や地表や海底の地層も、過去の気象変化を年輪のようにとどめている。

このふたつを組み合わせるとどういうことがわかるか。典型的なのが、われらのご先祖さまが、いつ出アフリカをはたされたのかという推理である。

長くなりそうなので、続きはまた明日。

人類の足跡10万年全史

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2008/12/17

雨の日の工作

20081217o 先日、無印で来年のスケジュール帳を買ったときに、「絶滅恐竜立体パズル」というのが目についた。
マンモスとドードーのふたつがあったのだが、ドードーのほうがちょっと複雑に見えたので、こちらを購入。

雨の休日で、本を読むのもあきたので、組み立ててみる。
所要時間は二時間ほどで完成。

やわらかいラワン材なので、ペーパー・クラフトにちかい感覚。残念ながら木をつかった工作の気分はぜんぜんない。まあ、そのぶん、なにも考える必要がないので、ちょっと頭をやすめてリラックスするにはちょうどいいかも。お尻がなかなかチャーミングである。

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2008/12/13

サルが人間にならない日

20081213 わたしが『アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所』(渡辺靖/新潮社)という本をもっていたので、英会話の先生が、ねえねえ、それってどういう内容なのと訊いた。

「ええと、まだ途中だけど、最初にでてくるのが、ブルダホフっていう宗教のコミュニティでさ、著者がそこに泊り込みで取材に行くわけ。で、いろいろ話を聞くと、そこって基本的にはアーミッシュの人たちのような感じなんだけどさ、あんまり宗教こちこちじゃなくて、けっこう普通に現代的な生活もしているのね。怪しいカルトや原理主義セクトみたいに教祖が洗脳するなんてこともなく、逆に、子供たちは18くらいになると一度はかならず外の世界で生活することを義務づけられて、ほんとうにこの宗教的なコミュニティで暮らしたいという人だけが帰ってくることを許されるなんて感じのところらしいのね。聞いたことある?」
「ブルダホフってのは聞いたことないなあ。似たようなコミュニティがあるのは知ってるけど」
「うん、でこのブルダホフに著者が取材に行くきっかけというのが、この人たち、木工家具や玩具製造で日本式の生産管理手法(カイゼンとかカンバン方式とかいうやつね)を取り入れたビジネスをやっていて、そんなに悪くない収益をあげているらしいのね。なにしろ専用ジェットも一機所有しているというから、日本の木工玩具の中小企業よりやり手かもしれない。もちろん収益はみんなで分配して、身の回りの私物以外は基本的に共有という、イスラエルのキブツみたいな生活らしいんだけど」
「ふーん。おもしろいね」
「うん、でも、ぼくが一番面白かったのはね、この著者がコミュニティ・ホールで住民といろいろ話をするわけね。で、かれが、みなさんは進化論についてはお認めにならないわけですか、なんて質問をしたらさ、みんな大爆笑して、進化論?あのサルが人間になるってやつ?ははは、あれはひどい話だよね。そんなことってあるわけないじゃないなんてみんなが口をそろえて言うんだって――」

とここまで話したわたしを、さえぎって先生、
「うん、それは絶対そう。ボクもそう思うよ」

生徒はわたしをいれて三人なんだけど、みんな、ちょっと絶句。
「あー、というとキミも進化論はウソだと?」
先生はわたしより6歳ばかり若いのね。
「いや、進化は事実だと思うよ。でもそれは生物が環境に適応するためにセレクションされるという事実にすぎない。サルが人間になる?絶対にありえない」

ということで、いつもお気楽な映画の話やテレビドラマの話なんかをしてるのに、一気に一神教の世界観との対決に。いや、ほんとうはこういうのはご存知のようにタブーなんですが、まあ、年に一回くらいはいいか、というわけで。

当然、時間切れ。ノーサイド。(笑)

「あー、みんな、今日は面白かったねえ。今度は聖書もってこよっと」と先生。
「お断り!ここでは英語というアドヴァンテージがキミにはあるんだからね。今度やるなら日本語でやっつけたるど」

ときどき、クリスチャンというのがわかんなくなるなあ。(笑)

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2008/12/10

イスラームと西洋

よく意味がわからないけれど、気になる言葉というのがある。
たとえば今日読んだ『イスラームと西洋 ジャック・デリダとの出会い、対話』からムスタファ・シェリフのこんな発言。

次に、私たちイスラーム教徒が大事にしている二つの自覚を見てみましょう。第一に、〈存在する〉こととは本質的に言って、神秘と開示という形態で現れる、という自覚です。神秘と開示は、表面的にははっきりあらわれず、いわば姿を隠しているので、そのままの姿でそれを受け入れる必要があります。第二に、切っても切りはなせない同質性と多数性の関係はどうしても無視できない、という自覚です。つまりイスラーム教徒の記憶の奥底で共鳴している数々の主要な動向によって補強されている二つの次元の関係です。

20081210 第一の自覚のほうはなんとなくわかるような気がする。違っているかもしれないが、わたしが死んだあとも宇宙は永遠に続くのだろうか、わたしが無になるとはどういうことなのか、というような本質的な疑問に対しては、わたしたちは、なにもわからない、そんなことはわからない、という無力感と絶望におちいるしかない。しかしこれにたいして安心立命できる立場がもしあれば、それは、われわれが得意にしている理性や科学主義よりも、むしろ人間にとって善いもの、高次のものと言えるのではないか、というようなことではないだろうか。

第二の自覚は、これは具体的になにを言っているのか、むつかしい。わたしはこれは寛容ということを言っているのだと読んだ。すべてを同じにすることはできない。かならず多数のもの、多様なもののなかにあるからこそ、逆に同質性というものがあり得る。不寛容で多数性を認めないという運動は先祖の記憶でうまくいかなかったことを、イスラームならほんとうは知っているのだ、というような。それに対して、おまえさんたちはどうだね、歴史の終りとかなんとか言って、西洋のシステムという同質性に世界を染めようとしてはいませんかね、とかなんとか。

そして、まあ、こういう読みでいいのかどうか自信はありませんけれども、これはたしかにそうだなあ、という気もする。

あなたがたのモノにあふれた豊かな世界、これに見習えと偉そうに見せつけている世界というのは、じつは、すべてのものを商品にしてしまった、手に触れるすべてのよきものをカネに換算しているだけの貧しい世界ではありませんかね。人間の本質的な〈存在する〉という驚異につばを吐きかけ、パンとサーカスでその日を送り、最後には生命の真の意味もわからず死んでいくだけの世界に入れて欲しいと、本気でわたしたちが願っているとでも——。

わたしはあんまりうまい反論ができないな。
ま、でもそんなん言うならサウジの王様あたりから、なんとかせえよ、とか?(笑)

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2008/12/03

俳誌雑感

図書館で「俳句」「俳句α」「俳壇」「俳句界」「短歌」「短歌研究」「短歌現代」の最新号をななめ読み。とりたてて興味を引くような記事もなし。

いつも思うんだけど、短歌誌より俳句誌のほうを野暮ったく感じるのは、たぶんやたらと作者の写真を載せてるからじゃないかしら。いや、どうでもいいんだけど、なにも作者全員の顔がわからなきゃ、安心して俳句が読めないなんてことはないと思うんだけどね。短歌詩も若い人の写真は載せたりしてますが、総じて俳句誌より作者の写真は少ないと思う。

だいいち、言うてはなんですが、だいたいがみんな、お年を召されたじいさま、ばあさまが多いでしょ、誌面の見た目がいたって地味である。いや、はっきり申して眺めて楽しいものでない。(失礼)しかも、著名な俳人は、それなりにいい写真をつかっているけど、そうでない俳人はたぶん自分で用意しているんだろうなあ、なんか素人の身分証明写真みたいなものを、粗い印刷で楕円のトリミングで載せられたりして、ああいうのはいくらなんでもないんじゃないの。せっかく俳句は素敵なのに写真のせいでぶちこわしだったりする。

たぶん、俳句雑誌の編集者なんてのは、おまえの俳句を載せてやるから、ありがたく思えよ、ついてはいついつまでに略歴と写真を送ってくるように、なんて偉そうな依頼をしているのではあるまいか。

あたしゃ、俳句を載せてもらうのはかまわないけどさ、写真だけはお断りだからね、どうしてもって言うなら載せないでおくれ、というくらいの啖呵を俳人ならきってもらいたい。
もし間違って、わたしに依頼がきたらぜったいそうするよ。きっと。いや、たぶんするんじゃないかな。ま、そのときにまた考えよっと。(笑)
いや冗談抜きに、ほんとうにそろそろ掲載条件に「写真要」はやめたらどうですか、俳句総合誌の編集長のみなさん。

——といいながら、じつは「俳壇」だったかな、池田澄子さんの写真があって、へえ、こういうお方でしたか、ふーん、ふーん、と有り難がったりするので、趣旨がいつもながら一貫しないことであります。(笑)

「俳壇」恒例の保存版誌上句集は、俳号風天の100句でした。これがまあ、池田さんのご尊顔を写真で拝したことをのぞけば、今日の唯一の収穫でしょうか。

 うつり香のひみつ知ってる春の闇
 遠くでラジオの相撲西日赤く
 秋の野犬ぽつんと日暮れて
 鍋もっておでん屋までの月明かり
 乱歩読む窓のガラスの蝸牛
 がばがばと音おそろしき鯉のぼり
 あと少しなのに本閉じる花冷え

風天、渥美清は1973年「話の特集句会」に初参加、その後、とくに結社にも入ることなく俳句は自分ひとりで楽しむものと決めていたようだが、人に言えぬ私情と詩情をこの詩型に託した風にも思える。1996年逝去。享年68歳。

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2008/12/01

11月に読んだ本

『初期プロポ集』アラン/高村昌憲訳(土曜美術社出版販売/2002)
『十五峯—鷹羽狩行句集』(ふらんす堂/2007)
『猿飛佐助からハイデガーへ』木田元(岩波書店/2003)
『しみじみ読むアメリカ文学 (現代文学短編作品集)』平石貴樹編(松柏社 /2007)
『高度成長 シリーズ日本近現代史 8』武田晴人(岩波新書/2008)
『ジャイアンツ・ハウス』エリザベス・マクラッケン/鴻巣友季子訳(新潮社/1999)
『武田百合子全作品4 犬が星見た』(中央公論社/1994)
『名演説で学ぶアメリカの歴史』上岡伸雄(研究社/2006)
『あるようなないような』川上弘美(中公文庫/2006)
『毒薬の手帖』澁澤龍彦(河出文庫/1984)
『久保田万太郎句集 こでまり抄』成瀬櫻桃子編(ふらんす堂)〈再読〉
『奴草—吉岡実句集』(書肆山田/2003)
『自負と偏見のイギリス文化—J.オースティンの世界』新井潤美(岩波新書/2008)
『あさがや草紙』池田澄子(角川学芸出版 /2008)
『子の翼—仙田洋子句集』(ふらんす堂/2008)
『土曜日』イアン・マキューアン/小山太一訳(新潮社/2007)
『イラクは食べる—革命と日常の風景』酒井啓子(岩波新書/2008)

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11月に見た映画

ミート・ザ・ペアレンツ
Meet the Parents (2000)
監督:ジェイ・ローチ
出演:ロバート・デ・ニーロ、ベン・スティラー、テリー・ポロ、ブライス・ダナー、ジェームズ・レブホーン、オーウェン・ウィルソン

ミート・ザ・ペアレンツ2
Meet the Fockers (2004)
監督:ジェイ・ローチ
出演:ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマン 、 バーブラ・ストレイザンド 、ベン・スティラー、テリー・ポロ、ブライス・ダナー

ブリジット・ジョーンズの日記
Bridget Jones's Diary(2001)
監督:シャロン・マグワイア
出演:レニー・ゼルウィガー、ヒュー・グラント、コリン・ファース

ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月
Bridget Jones:The Edge of Reason(2004)
監督:ビーバン・キドロン
出演:レニー・ゼルウィガー、ヒュー・グラント、コリン・ファース、ジャシンダ・バレット

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