俳誌雑感
図書館で「俳句」「俳句α」「俳壇」「俳句界」「短歌」「短歌研究」「短歌現代」の最新号をななめ読み。とりたてて興味を引くような記事もなし。
いつも思うんだけど、短歌誌より俳句誌のほうを野暮ったく感じるのは、たぶんやたらと作者の写真を載せてるからじゃないかしら。いや、どうでもいいんだけど、なにも作者全員の顔がわからなきゃ、安心して俳句が読めないなんてことはないと思うんだけどね。短歌詩も若い人の写真は載せたりしてますが、総じて俳句誌より作者の写真は少ないと思う。
だいいち、言うてはなんですが、だいたいがみんな、お年を召されたじいさま、ばあさまが多いでしょ、誌面の見た目がいたって地味である。いや、はっきり申して眺めて楽しいものでない。(失礼)しかも、著名な俳人は、それなりにいい写真をつかっているけど、そうでない俳人はたぶん自分で用意しているんだろうなあ、なんか素人の身分証明写真みたいなものを、粗い印刷で楕円のトリミングで載せられたりして、ああいうのはいくらなんでもないんじゃないの。せっかく俳句は素敵なのに写真のせいでぶちこわしだったりする。
たぶん、俳句雑誌の編集者なんてのは、おまえの俳句を載せてやるから、ありがたく思えよ、ついてはいついつまでに略歴と写真を送ってくるように、なんて偉そうな依頼をしているのではあるまいか。
あたしゃ、俳句を載せてもらうのはかまわないけどさ、写真だけはお断りだからね、どうしてもって言うなら載せないでおくれ、というくらいの啖呵を俳人ならきってもらいたい。
もし間違って、わたしに依頼がきたらぜったいそうするよ。きっと。いや、たぶんするんじゃないかな。ま、そのときにまた考えよっと。(笑)
いや冗談抜きに、ほんとうにそろそろ掲載条件に「写真要」はやめたらどうですか、俳句総合誌の編集長のみなさん。
——といいながら、じつは「俳壇」だったかな、池田澄子さんの写真があって、へえ、こういうお方でしたか、ふーん、ふーん、と有り難がったりするので、趣旨がいつもながら一貫しないことであります。(笑)
「俳壇」恒例の保存版誌上句集は、俳号風天の100句でした。これがまあ、池田さんのご尊顔を写真で拝したことをのぞけば、今日の唯一の収穫でしょうか。
うつり香のひみつ知ってる春の闇
遠くでラジオの相撲西日赤く
秋の野犬ぽつんと日暮れて
鍋もっておでん屋までの月明かり
乱歩読む窓のガラスの蝸牛
がばがばと音おそろしき鯉のぼり
あと少しなのに本閉じる花冷え
風天、渥美清は1973年「話の特集句会」に初参加、その後、とくに結社にも入ることなく俳句は自分ひとりで楽しむものと決めていたようだが、人に言えぬ私情と詩情をこの詩型に託した風にも思える。1996年逝去。享年68歳。
| 固定リンク
「d)俳句」カテゴリの記事
- 蕪村句集講義のこと(2020.12.10)
- 『俳句の詩学・美学』から二題(2014.04.13)
- 蛇穴を出づ(2014.04.05)
- 農工商の子供たち補遺(2013.10.23)
- もの喰う虚子(2013.06.25)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
作者の写真を載せると、作者をはじめ、購入されるのでしょうね。でも、こういう商売をしていると先がなくなるだけです。句会が閉鎖的だから有効な方法であり自滅していくのだと思います。そもそも、一般紙として俳句専門で独立しているというのもおかしなものです。
投稿: 石川 | 2009/01/02 08:43
俳句誌というのは、エディトリアル・デザインという面では、まったくお粗末ですし、内容も身内で固めた「俳壇社内報」みたいなつまらないものが多いですね。俳句愛好者をなめていると、そっぽを向かれるぞ、という危機感があんまりないのかもしれません。
コメントありがとうございました。
投稿: かわうそ亭 | 2009/01/03 12:01