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2009/01/12

宋の太祖趙匡胤

七世紀あたりから大雑把に中国の歴史をみると、五つの大帝国が興亡しております。これを口に唱えれば、唐、宋、元、明、清でありまして、いずれも我が国の歴史とも当然ながら深い関わりがある。
宋は唐につづく大帝国であるわけですが、前期と後期に分かれる。前期を北宋(960 - 1127)後期を南宋(1127 - 1279)と称するのでありますね。

Sung_o もっとも、この時代をユーラシア大陸の東側の歴史という見方をすると、宋王朝だけが大国というわけではなく、ほかに契丹族の遼という強国が北方にはあったし、タングート族の西夏が西側を脅かしていた。のちに遼は女真族の金に滅ぼされますが、この金が宋を侵略し、結果として宋が北宋、南宋の二期に分かれることは上に述べた通りであります。そして金と南宋もまた、モンゴル族の侵略で滅亡して行くわけですから、このあたりは岡田英弘の『世界史の誕生』の史観がまさに有効なのかもしれない。

北宋をひらいたのは、趙匡胤(ちょう・きょういん)という人物で、すなわち宋の太祖。
この人は、唐滅亡のあとの五代十国の戦乱の時代、後周の近衛軍長官であった。後周の幼帝では国が治まらぬと、ご本人が泥酔して知らぬ間に部下たちが勝手に皇帝に擁立し、仕えていた幼い皇帝から禅譲をうけてしまったという、お人好しか、大人物かわからぬようなお方であります。

これについては陳舜臣が『小説十八史略』のなかで、かりにこれがお芝居(そりゃそうでしょう)だとしても、先帝を弑逆したり、兄弟を殺害したり、暴君として殺戮の限りを尽くすといった暗さがまったく無いことで、秦の始皇帝、漢の武帝、唐の太宗、成吉思汗、宋の太祖とならべて中国の五大英傑のなかでは、ためらわずこの人を推すと述べておりますね。なにしろ、武将のくせに国家の統治方針を文治主義に定めてぶれなかった。あるいは武人であることで、武による統治のむなしさをよく知っていた。
さらに宋王朝の好ましさの理由として以下のような話をしております。

なによりも感動的なのは「石刻遺訓」である。それは太祖趙匡胤が、子孫のために教訓を石に刻み、禁中の最も奥の、皇帝しかはいれないところに安置した小さな石碑である。皇帝以外はそれを見ることが許されない。新帝が即位すると、その「石刻遺訓」にかかげられた幕をひらいて、遺訓を読むことが、重要な儀式とされた。そのとき、何者もそのそばにいることを許されない。
そればかりか「石刻遺訓」が存在することは、一般の人には知られていなかった。帝室のごく一部の人が、秘儀の一つとしてそれを伝えているだけで、重臣たちでさえその存在を知らなかったという。
宋王朝の皇帝となった者は、即位のときにその遺訓をしかと胸のなかに刻みつけて、政治をとりおこなうことが要請されたのである。
宗の太祖が死んで百五十年後、国府開封が金軍に攻め陥され、宮殿が蹂躪されたとき、はじめて石刻遺訓が発見されたのだ。
それにはどんなことがしるされていたのか?

宋に国を譲った後周王室柴氏を、子々孫々にわたって面倒を見ること。
士大夫を言論を理由として殺してはならぬこと。

右が石刻遺訓の内容であった。きわめてかんたんである。簡明であるだけに、これだけは必ず守らねばならないと、即位したばかりの新皇帝は、その文字を凝視し、一字一句を胸に焼きつける。この石刻遺訓を見る秘儀は、さしずめ日本の皇室で三種の神器を伝える儀式に相当するであろう。
王莽が漢から禅譲を受けた最初の例以来、前王朝の皇帝や皇族が抹消されるケースはきわめて多い。禅譲した皇帝が天寿を全うしても、その子孫が残らないように、なんらかの措置がほどこされるようだ。
ところが、後周の柴氏は、宋王朝一代を通じて、国都が開封から杭州に移されたあとも、ずっと皇室から手厚い保護を受けていた。三百余年のあいだ柴氏は、宋王朝の賓客の扱いをうけている。これは希有のことといわねばならない。石刻遺訓を通じて、宋の太祖の人間性がうけつがれたのだ。

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