テス・ギャラガーの短編に伊勢物語の歌が引用され、この歌を下敷きにして芭蕉が俳句を詠んだということが書かれている、というのが前回の話。
しかし、ここでわたしが気になったのは、原文はどうなっているのだろうか、ということ。
というのは、この「来る者と去る者」という短編小説の原題は「coming and going」となっているのですが、この題名はもちろん「君や来し我や行きけむおもほえず夢かうつつか寝てかさめてか」という歌(の上句)からきているわけで、これをどのように英訳しているのだろうか、と思ったわけであります。「coming and going」という表現ではたぶんないでしょうね。
ちなみにわたしが手元に持っているペンギンの『JAPANESE VERSE』(オーストラリア人の英語の先生から貰った)では、この伊勢物語の歌は次のように英訳されています。
Was it you who came to me
Or I who went to you -
I know not.
Was it dream or reality,
Sleeping or awake?
まあ、いささか直訳じみているが、とくに不足はないように思う。
「coming and going」はそれぞれ動詞の過去形として使われておりますが、そのままのかたちではない。
ところがですね、ここでもうひとつ気になるのは、「おくの細道」の序文の英訳なんですな。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。
テス・ギャラガーは、本書のなかでほかにも何箇所か日本文化に触れていますが、どうもその知識はアメリカ人が同じアメリカ人に「zen」や「haiku」を紹介するというレベルではないかと思われる。すくなくとも専門家ではない。
ということで、この作家が、どの英訳のテクストを読んだのかはわからないのですが、たとえばグーグルの書籍検索(目下、日本でも波紋を起こしていますが、その話はまたの機会に)で、上記の「月日は百代の過客」の英訳の本を探すとつぎのような本がヒットする。
『Zen Buddhism, Volume 2』
そして、この本に訳出されている「月日は百代の過客」のテクストは次のようになっております。
Sun and moon are eternal wanderers. So also do the years journey, coming and going. He who passes his life on the floating ship and, as he approaches old age, graspe the reins of horse, journeys daily.
ははあ、ここに「coming and going」が出ていますな。
でも、わたしも英語は達者とはいえないけれども、この訳はどうもうまくないね。
ちなみにドナルド・キーンの訳ではこうなんだそうです。
The months and days are the travellers of eternity. The years that come and go are also voyagers. Those who float away their lives on ships or who grow old leading horses are forever journeying, and their homes are wherever their travels take them.
うん、やっぱりこのほうがいいようですな。
ということで、テス・ギャラガーの原文にあたるほどの熱意はないのですが、この短編のタイトルとなった「coming and going」は、もしかしたら伊勢物語じゃなくて、芭蕉からきているのではないかなあ、なんてわたしは思ったりしているのですね。
そして、さらに憶測に憶測を重ねることになるけれど、この「coming and going」という表現(まあ、そんなにめずらしいものではないけれど)は、レイモンド・カーヴァーがもしかしたら彼女に教えたのではないかしら、なんていう気もするのですね。そのあたりはもちろんぜんぜん自信ないけど。
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