« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

2009/03/20

ありふれた意見

「どん底はこんなもんじゃない」
フジテレビのドラマ「ありふれた奇跡」は山田太一のひさしぶりの脚本。
横目で適当に見ていたのだが、最終回で主人公の祖父役の井川比佐志が、こんなことを言う。
戦災孤児で、裸一貫から左官職の親方になった七十代後半の役どころ。
人間はいざとなれば裏切るもんだ、人の善意や温もりなんてものは、極限状態ではあっという間に吹き飛ぶ。そんなふうに覚悟を決めて生きて行くのがいいんだとかれは思っている。それは間違っちゃいない。しかし、とかれは続ける。それはどん底の世の中で自分が体にたたきこまれた知恵だ。裏切られてもいい、人を信じてやってみることの大切さを自分は恐れていただけなんじゃないかと思うんだ、と。
そして、ぽつんとこうつぶやくのだ。
「どん底はこんなもんじゃない」

今年の春闘の経営側の回答について最終的な意思決定をしているのは、どんな世代だろう。60歳、プラスマイナス5歳というところで大過ないと思う。
生まれたのは1950年。60年代に少年時代を送り、70年はじめに企業に入り、以後順風満帆に出世をとげて企業のトップに上りつめた。いま百年に一度の経済危機を口実に、雇用の維持とひきかえだと偉そうな言い草で、賃金の実質的な切り下げをするのが、経営責任だと胸をはる。
未曾有の経済危機を、その言葉のまともな読み方も知らないような総理大臣が口にするのも悲劇だが、ほんとうに百年に一度の危機ならば、あの大東亜戦争と敗戦、占領などよりもいまのほうがもっと深刻なのか。それともいまはこの百年に二度目の危機なのか。それなら危機は三度でも四度でも襲ってくるだろう。

前にも紹介したが、モンテーニュがこんなことを書いている。

川を見たことがない人間は、初めてこれを目にして、大海原ではないかと考えた。われわれは、自分が知っているもののうちで最大のものを、その種類のなかで、自然が作りあげた極限のものだと判断しがちなのである。

現代の意思決定を付託されている経営者たちは、ひとまわりうえの先輩たちに謙虚に教えを乞うべきかもしれない。もしかしたら、こんなことをいわれるだろう。
経済危機をつくっているのは、むしろお前たちだよ。どん底はこんなもんじゃない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/03/17

柏木如亭のこと

柏木如亭(1763ー1819)は小普請方大工棟梁という幕府直属の職人最高位の家に生まれた。早くに両親を失い、十七歳ばかりで家督を継ぐとやがて吉原の遊蕩で家産を失い、職を辞した。
三十二歳で江戸を離れ、後半生を信州、越後、伊勢、京都、備中、讃岐などの旅に明け暮れた。遍歴の詩人と言えば格好はいいが、芭蕉の旅同様、有り体は各地の有力者に詩を教えるという名目で食客となる生き方である。
終焉の地は京都の木屋町であったというから、先斗町の管絃の音が聞こえ、青春時代に華やかな遊里の世界に耽溺した思い出も脳裏をよぎったかも知れない。

戦後の再評価の口火は日夏耿之介とも言われるが、富士川英郎(『江戸後期の詩人たち』)、中村真一郎(『頼山陽とその時代』)で、広く知られるようになった。如亭の本格的研究は揖斐高の『柏木如亭集』を読むべき、とは入谷仙介の『日本漢詩人選集8 柏木如亭』の受け売りだが、ここに覚えとして記しておく。

柏木如亭、名は昶(ちょう)、字は永日、通称門弥、号は柏山人、痩竹とも。市河寛斎の江湖詩社の門下。
信州に滞在した時代に弟子たちに詩を講じた『訳注聯珠詩格』(岩波文庫)は、この人の江戸っ子らしい言語感覚がうかがえるたのしい本だった。

たとえば羅隠の「鸚鵡」という七言絶句。

 莫恨雕籠翠羽残  恨むこと莫れ雕籠(ていろう)翠羽の残
 江南地暖隴西寒  江南は地暖かに隴西は寒し
 勧君不用分明語  君に勧む分明に語ることを用いざれ
 語得分明出転難  語り得て分明ならば出ること転(うたた)難しからん

これを如亭は以下のように訳す。

 けつこうな鳥籠で美しい羽根の残るのを恨みやるな
 江南は土地が暖かで隴西は寒いはさ
 よくきけよはつきりとものを言ふはいらぬものだ
 言ひおほせてよく分かるがさいご出ることはなほなほなるまい

蛇足だが、「勧君」に「よくきけよ」、「分明語」に「はつきりとものをいふ」、「不用」に「いらぬもの」のルビがついているのでありますね。じつにうまいものだ。

如亭自身の詩も紹介しよう。わたしが気に入ったのは「枕上聴雨」。四十二歳のころ、一時的に江戸にもどったころの作だろうとのこと。入谷仙介の見事な解説もあわせて引用したい。

 雨久茅簷百感生
 蕭疎枕上夜三更
 獨行曾作秋蓬客
 滴碎郷心是此聲

 雨久しく茅簷(ぼうえん)に百感生じ
 蕭疎(しょうそ)たる枕上 夜三更
 獨行 曾て作る 秋蓬の客
 郷心を滴碎するは是れ此の聲

雨はいつまでも茅葺き屋根をたたき続け、眠られぬままそれを聞いていると、無数の感慨がわき起こる。蕭疎、孤独な独り寝の枕の上で、いつの間にか真夜中も過ぎてしまった。そこで思い起されるのは、むかし、苫船に乗って秋の一人旅をしたときのこと。故郷を思う心にしたたり落ちて、こなごなにしたのは、たしかこの雨音だったのだ。
「巷に雨の降る如く、わが心にぞ涙降る」(ローダンバッハ、永井荷風訳)。悲しむ人には雨の音はさらに悲しみを深める。漂白の人は、異郷にあって故郷を思い、故郷にあって異郷を思う。安住の地を求めて得られぬ悲哀を、軒打つ雨に聞く。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009/03/10

捜査一課の固い石

鍬本實敏(くわもと・みとし)という人物がいる。
『警視庁刑事 私の仕事と人生』(講談社)という著作がある。
高村薫の『マークスの山』、『照柿』、『レディ・ジョーカー』に登場する合田雄一郎のモデルとして知られる。

20090310_2 高村は合田をよく「固い石」にたとえる。「捜査一課二百三十名の中でももっとも口数と雑音が少なく、もっとも硬い目線を持った日陰の石」などという表現もある。

高村の小説も抜群の面白さだが、実物(1998年に逝去)が語った刑事の仕事と人生観も、めっぽうやたらに面白い。
なにしろ、捜査一課の叩き上げである。学歴は熊本の尋常高等小学校卒、終戦の年に志願兵で軍に入るがすぐに敗戦、1948年に警視庁の警察学校教習生になれば上京できることを知り、受験合格した。
有楽町駅前の交番勤務から、警視庁捜査一課の見習いに行ってこいと署長に言われて、お茶汲み(ほんとうに朝一番に登庁して宿直室から鍵をもらい火鉢の炭をおこしヤカンのお湯を沸かすのだそうな)からこの人の刑事人生は始まった。

歯に衣着せぬ男の「はじめに」という文章の一部をひこう。

警察ってのは不思議なところで、現場を知らない人がトップに立ち、指揮をとるようになってしまう。そういう人の下で働いても、張り合いがない。ホシを挙げて、打ち上げをやっても、ホシを捕った人間はションボリしていて、偉い連中は二次会とか、料亭か何かでドンチャン騒ぎして、なんだろうか、これはと思いますよ。面白くないですよ。連中におれが飲ませてやってるようなもんだってね。料亭で飲んでもいいけど、現場の人間に見せつけちゃ駄目ですよ。連中の話は、誰がどこで偉くなった、とかそんな話ばっかり。事件の話でなく、出世がどうのだけ。連中から見れば、現場の我々は煙たいだろうしね。尊敬に価する者はいますけど数えるばかり。

はは、これまたどこの世界も同じことですが、そういえば今、話題になっている記憶力に問題がありそうな官房副長官も警察官僚の出世頭でありましたっけ。

この記述からおわかりいただけるように、本書は聞き書きのスタイルになっております。そしてこれが、なかなかよくできていて、なんだか退職刑事の淡々とした昔話を聞いているような味わいがあるのですな。
いろいろ面白いエピソードがあるが、越路吹雪の恋人だったなんてのはなかなか隅に置けない。

捜査一課の固い石、というのはよい言葉であります。
おすすめ。
なお、わたしが読んだのは1996年初版の単行本だが、文庫化されて、解説を高村薫ほかが書いているらしい。(この解説はわたしは未読なので、そのうち立ち読みしなければ(笑))

警視庁刑事―私の仕事と人生 (講談社文庫)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/03/04

ユーディット・ヘルマン

Screencapture1 ユーディット・ヘルマンの『夏の家、その後』と『幽霊コレクター』を読む。
翻訳はどちらも松永美穂で、河出書房新社より出版されている。
わたしが最初に読んだのは『幽霊コレクター』で、これはまったく偶然、図書館の新刊の棚でなにげなく手に取ったものだったのだけれど、たちまちとりこになった。
ひきつづきデビュー作である『夏の家、その後』を読んで、なるほど、これは本物だと納得した。

よい短編小説は、ちょうど俳句の切れのように、語られていないところに意味があるものだが、この作家の短編小説はこの「切れ」が抜群にうまい。
語られる出来事は、都会のボヘミアン的な若者の濃密さと疎遠さを同時にもった人間関係であったり、中年の夫婦の些末な日常生活のごくごく微かな感情の波立ちであったり、若いときの友情がとくに理由もなくとぎれてしまったことを思いがけない形で問いつめられたときの悔恨と怒り、といった誰の人生にもきっと同じようなことがあるにちがいないことばかり。

訳者の解説によれば1998年に『夏の家、その後』でデビューし、ベストセラーになったのが二十八歳のとき。「ドイツ文学の次代を担う作家」として大いに注目があつまったとのこと。こういう絶賛された幸福な文学的な出現は、次作を出すのがむつかしいものだ。たしか開高健が、芥川賞をとったらすぐ受賞第一作を書けと命じられるから、柳行李いっぱいの原稿を書きためてから賞はとるように、なんて冗談とも本気ともわからないようなことを書いていたような記憶がある。

2009304 フランソワーズ・サガンは『悲しみよこんにちは』でデビューしたあと、「みんなが機関銃を持って私の二作目を待ちかまえていることを知っているわ」と語ったとか。
第二作を早く出さないと一発屋さんにされちゃうよという業界のプレッシャー、売れたあとだから今度はこてんぱんに批評されるのではないかという恐怖、たぶんどこの国でも同じようなことはあるのじゃないかな。
しかし、この作家、したたかである。そこいらへんの、新人さんとはちと違う。
ヘルマンの第二作『幽霊コレクター』は五年をかけてゆっくりと準備された。しかもそのときの彼女の決意は「自分自身の亜流にならない」ということだった。
たしかに『幽霊コレクター』は『夏の家、その後』とはあきらかにちがうテーマをもっているようだ。しかし、当然、同じような細部への目配り、登場人物の心のひだによりそった感情の分析は共通する。

とくにわたしが好きだったのは、読んだ順番で『幽霊コレクター』から、「ルート(女ともだち)」、「冷たい青(コールド.ブルー)」、「幽霊コレクター」。
『夏の家、その後』から、「紅珊瑚」、「ハンター・ジョンソンの音楽」、「夏の家、その後」、「オーダー川のこちら側」。

夏の家、その後 (Modern&Classic)

幽霊コレクター

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/03/01

2月に読んだ本

『タンパク質の一生——生命活動の舞台裏』永田和宏(岩波新書/2008)
『岩佐又兵衛—浮世絵をつくった男の謎』辻惟雄(文春新書/2008)
『幽霊コレクター』ユーディット・ヘルマン/松永美穂訳(河出書房新社/2008)
『風 (一語の辞典)』一海知義(三省堂 /1996)
『穴』ルイス・サッカー/幸田敦子訳(講談社 /1999)
『わが夢は聖人君子の夢にあらず—芭蕉遊行』秋山巳之流(北溟社/2002)
『紅茶を注文する方法』土屋賢二(文春文庫)
『下々のご意見—二つの日常がある』出久根達郎(清流出版/2005) 
『俳句脳』茂木健一郎/黛まどか(角川グループパブリッシング /2008)
『月とメロン』丸谷才一(文藝春秋 /2008)
『カブールの燕たち』ヤスミナ・カドラ/香川由利子訳(早川書房 /2007)
『吉右衛門句集 新装版』(本阿弥書店/2007)
『お言葉ですが…〈別巻1〉』高島俊男(連合出版/2008)
『ふくろう女の美容室』テス・ギャラガー/橋本博美訳(新潮社/2008)
『夏の家、その後』ユーディット・ヘルマン/松永美穂訳(河出書房新社/2005)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »