ユーディット・ヘルマン
ユーディット・ヘルマンの『夏の家、その後』と『幽霊コレクター』を読む。
翻訳はどちらも松永美穂で、河出書房新社より出版されている。
わたしが最初に読んだのは『幽霊コレクター』で、これはまったく偶然、図書館の新刊の棚でなにげなく手に取ったものだったのだけれど、たちまちとりこになった。
ひきつづきデビュー作である『夏の家、その後』を読んで、なるほど、これは本物だと納得した。
よい短編小説は、ちょうど俳句の切れのように、語られていないところに意味があるものだが、この作家の短編小説はこの「切れ」が抜群にうまい。
語られる出来事は、都会のボヘミアン的な若者の濃密さと疎遠さを同時にもった人間関係であったり、中年の夫婦の些末な日常生活のごくごく微かな感情の波立ちであったり、若いときの友情がとくに理由もなくとぎれてしまったことを思いがけない形で問いつめられたときの悔恨と怒り、といった誰の人生にもきっと同じようなことがあるにちがいないことばかり。
訳者の解説によれば1998年に『夏の家、その後』でデビューし、ベストセラーになったのが二十八歳のとき。「ドイツ文学の次代を担う作家」として大いに注目があつまったとのこと。こういう絶賛された幸福な文学的な出現は、次作を出すのがむつかしいものだ。たしか開高健が、芥川賞をとったらすぐ受賞第一作を書けと命じられるから、柳行李いっぱいの原稿を書きためてから賞はとるように、なんて冗談とも本気ともわからないようなことを書いていたような記憶がある。
フランソワーズ・サガンは『悲しみよこんにちは』でデビューしたあと、「みんなが機関銃を持って私の二作目を待ちかまえていることを知っているわ」と語ったとか。
第二作を早く出さないと一発屋さんにされちゃうよという業界のプレッシャー、売れたあとだから今度はこてんぱんに批評されるのではないかという恐怖、たぶんどこの国でも同じようなことはあるのじゃないかな。
しかし、この作家、したたかである。そこいらへんの、新人さんとはちと違う。
ヘルマンの第二作『幽霊コレクター』は五年をかけてゆっくりと準備された。しかもそのときの彼女の決意は「自分自身の亜流にならない」ということだった。
たしかに『幽霊コレクター』は『夏の家、その後』とはあきらかにちがうテーマをもっているようだ。しかし、当然、同じような細部への目配り、登場人物の心のひだによりそった感情の分析は共通する。
とくにわたしが好きだったのは、読んだ順番で『幽霊コレクター』から、「ルート(女ともだち)」、「冷たい青(コールド.ブルー)」、「幽霊コレクター」。
『夏の家、その後』から、「紅珊瑚」、「ハンター・ジョンソンの音楽」、「夏の家、その後」、「オーダー川のこちら側」。
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コメント
ごぶさたです。いつもおもしろそうな本のご紹介をいただき楽しみにしています。今回は「切れ」のある短編ですか。これはぜひ読んでみたい。さっそく町の図書館で探してみます。
投稿: 水夫清 | 2009/03/08 09:21
こんばんわ。ドイツの現代小説の水準は高いようですね。残念ながら、日本語に翻訳されるものが少ない。でも、気品や香気のある短編がこうして読めるのはうれしいものです。
投稿: かわうそ亭 | 2009/03/08 22:11