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2009年4月

2009/04/30

ミラーのダイス

スコット・トゥローの『LIMITATION』から、主人公が妻とはじめて出会ったときの回想。
おそらく1960年代。信号でとなりの車線に止まったMGロードスターのドライバーが彼女だった。主人公はロースクールの三回生。彼女は大学の二年生。すごい美人で一目惚れ。思わず呆然と見つめてしまったが、色目をつかっていると思われても困るので、リア・ヴュー・ミラーにぶら下がっているふわふわの骰子が珍しかったのだと、いうふりをする。

'I've never understood what those are for,' he said through his open window. 'The dice? Is it luck?' His impression was that the toys would make it harder to see out the window.
In response, he had goten her cool smile.
'I'll have to ask my boyfriend,' she said. 'It's his car.'

Dice むかしは日本でもクルマのミラーにお守りをぶら下げていたりしたもんですが、やはり、一種のお守りなんだろうか。
こういうのは、その時代の匂いを感じさせるものでありますね。
なんか安っぽいけれど、バカバカしいような陽気さもあり、ヘップバーンの映画の小道具なんかに似合いそうな感じ。

ちなみに調べてみると、このサイコロは、Fuzzy Dice と呼ぶのだそうです。
いまでも Flickr で写真を探すとたくさん出てきますね。なんでサイコロなのか?今日の宿題。(笑)

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2009/04/17

対飼いの鷹

20090416 海堂尊の『チーム・バチスタの栄光』を読む。
宝島社文庫の帯には「200万部突破!第4回『このミス』大賞受賞作/待望の映画化!」の文字が踊っている。帯には映画のキャラの写真が付いていて、上巻が田口役の竹内結子、下巻のほうは白鳥役の阿部寛である。
第二作の『ナイチンゲールの沈黙』の上巻の帯には累計300万部とありますから、大ヒットですな。
たまたま先日、テレビでやっていた映画版のいちばん最後の犯人解明のところだけ見ました。うん、なるほど、そうきたか、てな感想。(笑)

ま、ネタバレのあとでミステリを読むのも冴えない話なんですが、じつは原作の小説を読んだのは、別の理由がありまして、英会話の先生をしてくれているアメリカ人がこの『チーム・バチスタの栄光』を読んで、不明な日本語を書き出していたなかに、「天網恢々疏」だの「朴念仁」だのといった言葉といっしょに「対飼い」なる言葉が並べてあったのでありますね。

「対飼い」とはなんだろうと疑問に思って、どういう場面で使われていたのかと尋ねると、キリュウとナルミってのがいてさ、このふたりが古くからの師弟関係であり同時に義理の兄弟という関係で、このふたりを形容する表現だったような気がするなあ、なんて言う。
うーん、それって、もしかしてナルミがキリュウの「子飼い」の部下だったなんていうのと違うのかい、と聞くと、いや、それはないね、逆にこのふたりがほとんど対等だという文脈でつかわれていた言葉だもん、と言う。かれは「子飼い」くらいの日本語はちゃんと知っているのでありますね。

というわけで、「対飼い」がどこに出てくるのかしらと読みはじめたわけであります。
さいわい、小説のほうもなかなか面白く楽しめるものでしたが、肝心の「対飼い」は下巻に三カ所、使われておりました。

下巻142頁「鳴海は高慢なペルシャ猫などではなかった。もう一羽の鷹だった。桐生と対飼いの鷹。」
158頁「風切羽を叩き折られた対飼いの鷹は地に墜ちた。」
248頁「彼に対して『ゴンちゃん』と呼べるのは、もう藤原さんくらいしかいないのだろう。『マコリン』『ゴンちゃん』という対飼いの呪文は、封印された東城大学医学部付属病院のトップ・シークレットなのだ。」

うーん、この作家は、おそらく「つがい」と読ませるつもりで、この字をあてているようですが、これはいただけない。
とくに前の二つは、外科医の男ふたりを、二羽の精悍な鷹として形容する意図があるわけで、「親子鷹」ならぬ「兄弟鷹」ならばともかく、つがいの鷹では日本語としてはいささか問題があるなあ。
へんな日本語を外国人に教えてはいけません。(笑)

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2009/04/08

菜の花と桜の寺

2009_0408

京田辺市の同志社大学にほど近い普賢寺という地区に、観音寺という小さな山門があります。お天気もいいので、ちょっとクルマで出かけてきました。
奈良や京都の巨刹、大伽藍とは比較にならぬ村里の小さなお寺のたたずまいですが、調べてみるとなかなかどうして立派な歴史を有している。

この観音寺というお寺さんは、もとは普賢寺と称しておりました。天武天皇の勅願で、義淵僧正が創建したそうであります。天平の御代に良弁僧正によって伽藍が整えられたとも、東大寺二月堂を創建された実忠和尚もこの寺にかかわりがあったとも言われているそうです。(東大寺二月堂とのかかわりは、例のお水取りの籠松明の真竹を寄進する「竹送り」をこのお寺が執り行うことに残っている)

平安末期から鎌倉にかけては、摂政あるいは関白を歴任した近衛基通の庇護をうけて栄えた。近衛基通というお方は後白河法王のご信任厚く、俊成、定家親子の庇護者であった九条兼実とは鎌倉との関係で、きびしく対立をした政敵でもあります。この普賢寺に隠棲したので普賢寺殿と呼ばれた。なお、九条兼実(後法性寺殿)と近衛基通(普賢寺殿)は、叔父と甥の関係でもある。ややこしいね。

その後は中世の戦乱につぐ戦乱で、焼失、再建を繰り返すうちに寺運は次第に傾き、江戸時代に観音寺と改称されたそうな。
現在の本堂は昭和28年(1953)の再建とのこと。
山里の小さなお寺が天平期の「十一面観音立像」(国宝)を蔵しているには、さすがそれだけの背景があるのでありました。

いまは、菜の花と桜が満開のひなびた風景が広がるばかり。うららかな陽の下で、菜の花の土の匂いに包まれて飛花をながめるのも、なかなか気持ちのよいことでありました。

 ひとひらの飛花にも似たる一生かな  獺亭

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2009/04/07

いれものを毀つ

今日は放哉忌。
東京帝国大学卒の東洋生命保険のエリートが、最期は小豆島の霊場第五十八番札所西光寺奥の院南郷庵(みなんごあん)の寺男としてこの世を去るまでの顛末は、吉屋信子の『底のぬけた柄杓』にくわしい。

その句を好きか嫌いかと問われれば好きと言うにやぶさかではないが、その人生の軌跡をうべなうかと問われれば躊躇なく否と答える。そうなるには、そうなるだけの理由が本人にはあったのだろう。尾崎放哉自身もおのれの弱さに苦しみ、破滅への衝動を厭わしく思っていたのかもしれない。しかし、人間はだれも勝ち続けることができるわけではない。年を経て思うのは、完璧だと自慢におもっていたものに取り返しのつかない瑕が入ったとき、負けを知らなかった自分がはじめて負けを悟ったとき、そういうときにダメージコントロールができるかどうかが人生をわける、ということだ。

咳をしても一人
墓の裏に廻る
足のうら洗えば白くなる
いれものがない両手でうける

こういう放哉の句はもちろんこころを打つけれども、実社会で人さまにめいわくをかけず、できうることならば自分の持っている才能と時間を人のために使うような生き方をすることのほうがよい、とわたしは思う。

 鶯に人は落ちめが大事かな 万太郎

こういう句にはたしかにいささかの俗臭があるかもしれない。放哉の句にはない俗臭である。
だが、凡庸でも市井の知恵はこちらにあって、放哉にはないとわたしは思う。
放哉が死んだのは四十一歳だった。不幸な生涯とひきかえに名を残したことをせめて嘉するべきなのだろう。

 いれものを毀つ定めも放哉忌   獺亭

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2009/04/02

淡酒亭断片帖

草間時彦の『淡酒亭断片帖』(邑書林)は十年ほど前に出た本。もともとは、同じ石田波郷門の後輩である山田みづえが主宰誌「木語」を創刊するお祝いに、エッセイを一本書いてあげようというのが始まりだったようだが、結局、1994年から1998年まであしかけ五年、五十回の連載となったらしい。(「木語」は2004年に終刊)
気軽に書いた身辺雑記なので、お読み捨て頂きたい、なんてことが「あとがき」に書いてある。「読み捨て」はともかく、たしかに飄々とした著者の日常が垣間見えて楽しい読み物だ。
草間時彦は1920年の生まれなので、このエッセイを書いていたのは、七十代の後半ということになる。女の子のいるバーに案内されると、横に座ったホステスの太ももにすぐ手を載せるくせがあったそうで。(笑)

バーで隣に座った女の子の腿に手を載せてサマになるには相当の月謝を払わねばならない。サラリーマンのとき払った月謝が今、役に立っているのかも知れない。

はは、ぬけぬけと言ってくれるよなと思うが、こういうジジイ、わたしはかならずしも嫌いではない。

ところで本書の中に1996年に書いた「リラダン伯爵」というエッセイがある。
俳句愛好者には言うまでもないことだが、このリラダン伯爵は高柳重信ですね。十二月とあるから、前の年の1995年のことでしょう、高柳重信の十三回忌ということで「しのぶ会」が銀座のレストランで行われた。会費は八千円で全員が払い、特別扱いはなしというスタイル。百人にすこし欠ける出席者で、中村苑子(奥さん)や高柳の妹さんがスピーチをし、閉会の辞は和田悟朗がつとめた。たいへん気持ちのよい会合だった、と草間さんは書いている。やはり高柳の人柄だろう、と。
席は決まってはいなかったので、四人席にたまたま相席した人とおしゃべりをすることになる。草間さんのテーブルは、高屋窓秋、松崎豊、有馬朗人という顔ぶれだった。
——と、ここで、わたしは思わず「へえ」と驚いた。高屋窓秋といえば、〈頭の中で白い夏野となつてゐる〉とか〈ちるさくら海あをければ海へちる〉なんて句は、わたしでもすぐ口にすることが出来るが、いずれにしても現代俳句史のなかでお目にかかる人のつもりでいたので、こんなかたちで名前をみると、おやま、まだこのときご健在であったのか、と驚いた次第。
草間時彦のエッセイにもどると、パーティのお土産は高柳の句のテレフォンカードだった。

月下の宿帳先客の名はリラダン伯爵  重信

草間のお返しの挨拶句。

リラダン伯爵三鞭酒どうぞ年忘れ

高屋窓秋、1999年没、八十九歳。草間時彦、2003年没、八十三歳。

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2009/04/01

3月に読んだ本

『訳注聯珠詩格』柏木如亭/揖斐高・校注(岩波文庫/2008)
『論争する宇宙—「アインシュタイン最大の失敗」が甦る』吉井讓(集英社新書/2006)
『漱石の漢詩を読む』古井由吉(岩波書店/2008)
『語学者の散歩道』柳沼重剛(岩波現代文庫/2008)
『警視庁刑事—私の仕事と人生』鍬本実敏(講談社/1996)
『歌集 玲瓏之記』山中智恵子(砂子屋書房/2004)
『詩の中にめざめる日本』真壁仁(岩波新書/1966)
『谷中、花と墓地』エドワード・G・サイデンステッカー(みすず書房 /2008)
『日本漢詩人選集8 柏木如亭』入谷仙介(研文出版/1999)
『歌舞伎の愉しみ方』山川 静夫(岩波新書/2008)
『京住記 徒然草 洛中生息 杉本秀太郎文粋2』(筑摩書房/1996)
『山鳩集』直木孝次郎(私家版/1981)
『風景と実感—短歌評論集』吉川宏志(青磁社/2008)
『蕪村春秋』高橋治(朝日新聞社 /1998)
『タオ—老子』加島祥造(ちくま文庫/2006)
『セレクション歌人 24 早川志織集』(邑書林 /2008)
『歌集 乱反射』小島なお(角川書店/2007)

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