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2009/04/08

菜の花と桜の寺

2009_0408

京田辺市の同志社大学にほど近い普賢寺という地区に、観音寺という小さな山門があります。お天気もいいので、ちょっとクルマで出かけてきました。
奈良や京都の巨刹、大伽藍とは比較にならぬ村里の小さなお寺のたたずまいですが、調べてみるとなかなかどうして立派な歴史を有している。

この観音寺というお寺さんは、もとは普賢寺と称しておりました。天武天皇の勅願で、義淵僧正が創建したそうであります。天平の御代に良弁僧正によって伽藍が整えられたとも、東大寺二月堂を創建された実忠和尚もこの寺にかかわりがあったとも言われているそうです。(東大寺二月堂とのかかわりは、例のお水取りの籠松明の真竹を寄進する「竹送り」をこのお寺が執り行うことに残っている)

平安末期から鎌倉にかけては、摂政あるいは関白を歴任した近衛基通の庇護をうけて栄えた。近衛基通というお方は後白河法王のご信任厚く、俊成、定家親子の庇護者であった九条兼実とは鎌倉との関係で、きびしく対立をした政敵でもあります。この普賢寺に隠棲したので普賢寺殿と呼ばれた。なお、九条兼実(後法性寺殿)と近衛基通(普賢寺殿)は、叔父と甥の関係でもある。ややこしいね。

その後は中世の戦乱につぐ戦乱で、焼失、再建を繰り返すうちに寺運は次第に傾き、江戸時代に観音寺と改称されたそうな。
現在の本堂は昭和28年(1953)の再建とのこと。
山里の小さなお寺が天平期の「十一面観音立像」(国宝)を蔵しているには、さすがそれだけの背景があるのでありました。

いまは、菜の花と桜が満開のひなびた風景が広がるばかり。うららかな陽の下で、菜の花の土の匂いに包まれて飛花をながめるのも、なかなか気持ちのよいことでありました。

 ひとひらの飛花にも似たる一生かな  獺亭

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コメント

青空に桜に菜の花にミツバチ。
なんて素晴らしい。
そういえば満開の菜の花と桜を同時に見たこと無いような気がします。
東北は今週末くらいに咲きそうです、桜。

投稿: たまき | 2009/04/09 07:55

こんにちわ。
菜の花と言えば、たまきさんのyellow fieldという素敵な写真がありましたね。
そうですか、東北もそろそろ桜ですか。お天気がつづくといいですね。

たまきさんの菜の花の野辺の写真はこちら↓
http://www.flickr.com/photos/tamaki/138227048/

投稿: かわうそ亭 | 2009/04/09 21:10

旬、というものはいいですね。桜だけでなく、様々な草花が開花します。ご存知かと思いますが、私は現代俳画をやっています。このたびその一部を展示いたします。案内状は私のブログに掲載しております。お時間があればのぞいてみてください。

投稿: 水夫清 | 2009/04/12 18:44

そうそう、一つ言い忘れました。
菜の花は、英語でrape。蕪村の句の英訳を見て知りました。
けっこう衝撃でした。使う場面を選ぶ単語です。

投稿: 水夫清 | 2009/04/12 18:49

リンクはっていただいて恐縮です。
rape
僕も最初ちょっとショックでした。
でタイトルをどうしようかと考えて、yellow fieldと・笑

投稿: たまき | 2009/04/12 20:02

水夫清さん
ご案内ありがとうございます。3日から6日ですね。
http://blogs.yahoo.co.jp/kako_kiyoshi/25576533.html
まだ予定をきちんとたてていないのですが、ちょうどその時期、もしかして家にいないかもしれません。こちらにおりましたら、電車ですぐのところですからぜひおうかがいしたいと思います。

たまきさん
まったくrape には困ってしまいますね。(笑)菜の花の意味だとわかっていても、まず使うことができない。

投稿: かわうそ亭 | 2009/04/12 23:34

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皆さん結構ブログやってんですね。話題も豊富でみんないろいろのことが気になってる... [続きを読む]

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» 義仲はこれ天の使 [かわうそ亭]
本年4月8日の拙ブログに「菜の花と桜の寺」という記事を書きました。(こちら)そのときに、九条兼実(後法性寺殿)と近衛基通(普賢寺殿)との関係について簡単にふれましたが、川村二郎の『イロニアの大和』(講談社)にこんな話が。九条兼実の日記『玉葉』、寿永ニ年十一月十九日の項に、法住持合戦の顛末が記されてい... [続きを読む]

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