落ちゆく男
911の報道写真でいまでも鮮やかに記憶に残っているのは、ひとりの男が頭からまっすぐに落ちていく姿だ。細部は思い出せないけれど、わたしの記憶では、それはよい身なりをした中年の黒人だった。服をきちんと着て、靴を履き、両腕を脇にぴたりとつけて、こころなし片膝を曲げた姿勢で、レンズにとらえられていた。不思議なのは、かれは失神している様子もないのに、恐怖で手を振り回したり、絶叫しているようには見えないことで、そこには運命を神にゆだねた人のような威厳があるように思えた。
テロ攻撃直後の新聞にはこの写真をふくめて、ワールド・トレード・センターから飛び出して地上に落ちてゆく人々を収めた写真が多く出回っていた。その後、遺族の心情をおもんぱかったり、普通の人々(とくに幼い子どもたち)に与える恐怖を考慮したのだろう、これらの写真は公表されないようになったはずである。
つぎつぎにノースタワーから人が落ちてくる。その数はいったいどれほどであったのか。メディアがさまざまな目撃証言や映像証拠から推定したところでは、少なくて80人、多いところでは数百人という結論だという。
数字があいまいなのは、ひとつには宗教的な理由もある。
もし、かれらが自ら身を投げたのなら、それは自殺と見なさざるを得ないという立場だってあるだろう。すると敬虔なカソリックの人々は、かれらの父親や母親や息子や娘を失っただけでなく、かれらの魂が未来永劫救われないことに耐えねばならないのだろうか、というわけだ。
身投げした人など、ひとりもおらん。すべて炎や煙に追われて、はじきだされた犠牲者だ、ばかもん、という専門家も少なからずいる。
ビデオ・クリップで捉えられた目撃者の音声にはこんなものもあった。
ああ、なんてこと!あんなところからジャンプしてる。ああ、神様、かれらの魂を救い給え。
地上の野次馬がムービー・カメラで落下する犠牲者を映しているのを、警官ががなりつけてやめさせようとする。
やめんか、きさまらには人間らしい思いやりの心はないのか!
この落ちていく男の写真を撮ったのは、リチャード・ドリューというAPのカメラマンだ。
その日、ブライアント・パークで妊婦のファンッション・ショーの取材なんて仕事をしていたかれの携帯にデスクからの一報が飛び込んだ。機材をかき集めて現場に向かったかれが撮ったなかの一枚がこの「落ちゆく男」だった。社にもどったリチャードは、デジカメのデータをノートパソコンに吸い上げてざっと目を走らせると、ほかの写真には目もくれず、この一枚だけを社のサーバーに移した。すぐに写真は、全国の新聞、全世界の新聞に転載され、人々の記憶に焼き付けられることになった。
しかし、この写真を大手の報道機関がもう一度使用することはない。歴史に残る911の記録写真かもしれないがいまなお封印されているのだ。デジカメのデータには、2001年9月11日午前9時41分15秒が記録されている。
この落ちて行く男は、鮮明に写っている。当然、この犠牲者の身元はすぐにわかっただろうと思うのだが、かならずしもそうではない。はじめはノースタワーの106階のレストラン[ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド]のシェフであるノーベルト・フェルナンデスだろうと思われた。黒人ではなく、色の浅黒いラテン系の大柄な男。
身元の探索を行なったトロント・グローヴ・アンド・メールの記者ピーター・チェニィが、遺族のもとを訪ねると、家族はだれもあの写真はもうみたくないのと言った。あの人は身を投げたんじゃないわ、わたしたちのところへ帰るつもりだったはず、わたしにはわかるの。かれの娘は、そのクソ写真を見せないで、これはパパじゃない、と記者に吐きつけた。
その後、かれの着ていた衣類の特色から、トップ・フロアにあるレストランやカフェテリアの従業員であることは確からしく思われたが、あの男じゃないか、いや別の男だろうと4、5人の名前があがった。最終的には、黒人のジョナサン・ブライリーがよくドレス・シャツの下にオレンジ色のTシャツを着ていたことが決め手となって、ほぼこの犠牲者はジョナサンだろうということになったようだ。
この決定的瞬間を撮ったリチャードは叩き上げのジャーナリストだが、33年前、21歳のときにも重要な写真を撮っている。
1968年6月5日、ロサンジェルスのアンバサーダー・ホテル。公式の行事を終えてホテルを退出するさいに人目をさけて調理場を通り抜けようとしたロバート・ケネディが撃たれた。リチャードはボビーの右後ろにいた。飛び散った血でシャツが血まみれになったが、とっさに料理台の上に飛び乗り、大きく見開かれた上院議員の眼から生命の光が失われていくのを撮った。
エセル・ケネディは夫に覆いかぶさってカメラマンたちに叫んだ。とくにリチャードに懇願した。
やめて。この人を撮らないで。やめて、お願い—
リチャードはやめなかった。そのあとも、ずっと。
歴史に刻むべき事件の報道写真は、その家族にとっては耐え難いものだということが多いだろう。それでも、歴史の証拠としてこれらは必要だという立場もある。アウシュビッツやヒロシマ、ナガサキを考えてみればそのことはだれも否定できないだろう。
やがて、時がたてば、911のあの写真が再びわたしたちの目にふれるようになるのだろうか。
今回の話は、『The Best American Magazine Writing 2004』収録の「The Falling Man」という記事(TomJunod)に拠った。
この本、他にもたくさん印象に残る記事があったが、その代表として。
初出は2003年の『EAQIRE』。
| 固定リンク
「c)本の頁から」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
写真を撮るよりも他にやるべき事があったのではないのか?撮ることをやめる選択肢もあったのではないか?
「時代」の瞬間を切り取る力を持った写真が発表されると、かならずこような反応が起こります。このような議論の度に思い出すのが Kevin Carter の「ハゲワシと少女」です。とても衝撃を受けた写真です。この時もものすごい批判が殺到しました。(写真家の自殺にも影響を与えているのではないかと思いますが)
でも僕はこの写真を見ることで現状を知ったし、少なくともソファーの上でポテトチップスをつまみながらこの写真を見た人が写真家を糾弾するのはフェアでは無い、と思っていました。少なくとも彼は過酷な現場にいた。
撮ることをやめる、それをする事が出来る人もいるでしょうがどこまでもいってしまう、それも人間。
自分だったらどうするか、という想像もうまくできませんが。
http://www.worldsfamousphotos.com/stricken-child-crawling-towards-a-food-camp-1993.html
投稿: たまき | 2009/06/14 09:50
このことに関しては、わたしの考えははっきりしておりまして、ジャーナリストは事実を伝えるのが仕事であります。報道カメラマンは写真を撮るのが仕事であります。非難はまったく的外れだと思います。
Kevin Carter の自殺は痛ましいことでした。
投稿: かわうそ亭 | 2009/06/14 21:14