中村稔『私の昭和史・戦後編(上)』
中村稔の『私の昭和史・戦後編』の上巻を読む。
武田百合子が二ヶ所に登場する。ひとつは中村と親しかった八木柊一郎の小説「放心の手帖」のなかに描かれた女のモデルとして。もうひとつは、書肆ユリイカを立ち上げようとしていた伊達得夫が打ち合わせで使っていた神保町のランボーのウエイトレスとして。
ふたつとも、年月にさらされてモノトーンとなった著者の記憶によって構成される回想録のなかでも、きらりと耀く宝石のような印象を残して面白い。
もうひとつ、おや、と思った箇所がある。意外な人物の若き日の武勇伝。『二十歳のエチュード』を残して命を絶った原口統三にかかわる話だ。
昭和20年一高入学の都留晃が書いた回想を中村の本から孫引きする。
原口統三は優しさと厳しさをあわせ持った圧倒的な存在感のある男だった。彼のことは知る人も多いから、ひとつだけエピソードを紹介する。親元が満洲の原口には送金がとだえ、家庭教師などのバイトだけが頼り、そこで布団などを換金しようとしたのだが、渋谷で闇市にいたやくざっぽい男にだまし取られて口惜しがっていた。当時布団は、今では想像もつかない貴重品であった。そこで「許さん」ということで、布団の取り返しに男の家に乗りこんだのが小柴昌俊と小生。交渉にあたっての小柴の権幕と啖呵はすさまじいもので、さすがのやくざが土下座して許しを乞うた程。今でもありありと思い出す。
小柴昌俊って、あのノーベル賞の小柴さんですよね。天体物理学、ニュートリノ、カミオカンデ。あの温厚そうな先生が、若いときは、そういう友情に厚い猛者であったというのは、ちょっと心あたたまる話でありますな。
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