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2009/06/16

The Wrestler

中学生のときキャメルクラッチをまともに受けて(プロレスごっこをしていたのですね)数日首がまったく動かなかったことがある。へたをするとおおごとだったかもしれないが、まあ、世の中おおらかであったな。いずれにしてもプロレスの技だけはホンモノだと体にしっかりと刻みつけたことであります。

映画「レスラー」は、三沢光晴の悲報とほとんど時を同じくして日本で公開された。偶然に過ぎないといえばそれまでだが、わたしが映画館に足を運んだのも気持ちのどこかに弔意を表すような思いがあったのかもしれない。観客もけっこう多かった。

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この映画、ミッキー・ロークが演じるランディ〈ザ・ラム〉ロビンソンは、ひたすらリアルだ。リング上の試合も悪くないが、むしろ控え室の光景がいい。リング上で過去の怨恨や因縁を演じて見せるレスラー同士が、打ち解け合っている家族的なあたたかさはなんだかうらやましい。
しかし、わたしがこの映画でいちばん好きなシーンをあげるなら、それはプロレスとはまったく関係がない。ランディが自宅にしているトレーラー・ハウスのベッドに寝転んで、冴えない眼鏡をかけて、おぼつかない様子で、よれよれのペーパーバックを読んでいる光景だ。何を読んでいるのかは、わからない。読書が趣味というわけでもないだろう。いやむしろ、本を読むというのはもっとも意外なかれの姿だと思う。そこが面白い。不器用で無防備で孤独で、しかし人生を投げてしまったわけでもない中年男の等身大の姿がそこにあるように思う。

全盛期は満員のマジソン・スクウェア・ガーデンで「世紀の一戦」を戦ったこともある栄光のプロレスラー、ランディ・ザ・ラム。同業者やファンにとっては伝説の男だが、いまや地元ニュージャージーの小さな会場でどさ回りのプロレス興行では、たいしたギャラも稼げない。家賃が滞ると貧乏臭いトレーラーハウスからさえ大家に閉め出され、さびれたスーパーマーケットのアルバイトがむしろ生活費の支えだ。たまに立ち寄るストリップバーが唯一の気休め。痛み止め、ステロイド、抗生物質、クスリの大量摂取と試合でいためた体はもうぼろぼろだ。鼓膜をやられたのだろう、片方の耳には補聴器をつけ、ふだんは長髪(ハルク・ホーガンがひとつのモデルなのね)をお団子にして、着ているダウン・コートにはガムテープ、ひたすら80年代を懐かしむ・・・・

この映画、「ロッキー」のようなおとぎ話ではない。世の中、そんなに甘くない。だが、男というのは、こころのどこかに破滅への衝動を抱えている。燃え尽き、老いぼれ、負け犬と呼ばれる男に、むしろ聖なる光を見る。賢い生き方をしているよお前は、と言われると心やましく、ひたすら恥じ入る気持ちになる。しかし、もうとことんやってやろうじゃないかという気概はなくしてしまった。
これはそういう男たちのための映画だ。
泣ける。

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コメント

偶々最近NHK/TVで、モハメッド・アリ(カシアス・クレイ)とジョー・フレイジャーの二人のボクサーにまつわる話を見ました。二人は1975年にマニラで3度目の対戦をします。(アリのTKO勝ち)
二人は実はかなり仲が好く、アリが徴兵拒否でヘビー級のタイトルを剥奪されていた時代にフレイジャーが援助していたこと、試合前にあれだけ悪態をついていたアリが試合後フレイジャーに謝罪した話など、ご紹介されたプロレスラーの話によく似ています。最近になって(と思いますが)フレイジャーが当時のヴィデオを見ながら回想しますが、おそらく彼の自宅と思われる処がなんとも粗末な部屋であることも。
格闘技にはときに他のスポーツにはない哀しい感動が見られますが、それが強迫観念に近いハングリー精神だというなら、昔話にしたいもの。

投稿: 我善坊 | 2009/06/20 06:16

あ、それはなかなか面白そうな番組ですね。モハメッド・アリでよく覚えているのはキンシャサで行われた1974年のジョージ・フォアマン戦です。貧乏下宿の一室に4、5人が集まり(テレビなんか持っているのは一人しかいなかった(笑))、小さなテレビで観戦しました。なつかしい。

投稿: かわうそ亭 | 2009/06/20 21:26

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