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2009年7月

2009/07/29

時事の短歌二首

角川「短歌」8月号、今野寿美「ながめ」より時事の二首。

アクセントは「よ」なりや与謝野財務・金融・経済財政担当大臣

たえだえの息ざしさへも遠ざけて學燈社「國文學」休刊

いま現在の与謝野馨の肩書きは財務省のホームページによれば「財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融)」となっておりますが、たしか6月までは「財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融・経済財政政策)」であったはずですね。英語では、Minister of Finance and Minister for Financial Services and Economic and Fiscal Policyとなりまして、なんだかなあ、なんですが、それはそれとして、たしかにテレビでは「ヨ」サノ財務大臣と発音することで共通化しているようですね。
かれの祖父母である与謝野鉄幹と晶子については、少なくともわたしはむかしから、ヨ「サ」ノテッカン、ヨ「サ」ノアキコと口にしています。夜半亭与謝蕪村はさてどっちだろう。たいらに発音しているような気がするが、あえていえばやはり「サ」にアクセントを置くかたちだろうか。
ま、どうでもいいことですけれど。

2009729_3 學燈社の「國文學」はちょっと気になったので、図書館で手にとってみた。
7月号の奥付のページに、「諸般の事情により休刊」の告知が出ていて、編集後記に以下のような文言が並んでおります。

いまからさかのぼること五十四年前、昭和三十一年、創業者、保坂弘司の編集のもと、雑誌「國文學」は誕生しました。第一巻第一号、つまり創刊号の特集は「源氏物語の総合探求」。以来、多くの読者、研究者の方に支持されながら、「國文學」は文学研究に欠かせない雑誌となってきました。その歴史にいま一つの幕が降りようとしています。

べつに定期購読者でも愛読者でもないわたしが偉そうなことを言うつもりはないのだが、たまたま自分の年齢と同じ雑誌が「諸般の事情」で終るというのもなんだかさびしいものだ。
學燈社というと「學鐙」という冊子を思い浮かべる人がいるかもしれないが、これは丸善のPR誌で別のもの。字も違いますね。初代編集長は内田魯庵という老舗ですが、こちらはまだまだ健在で続くものだと思いたい。

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2009/07/28

ゴーヤ

20090728 マンションのベランダのでゴーヤを栽培すると、葉っぱがけっこう生い茂って夏場は日よけにもなるというので、我が家でも昨年からカミサンが実施しています。
横長のプランターに2メートルくらいの長い支柱を縦に立てて、これに横桟をしっかり紐で縛り付けたら、蔓が勝手にのびてあっという間に片面のガラス戸大のグリーンカーテンになる。生命力のつよい植物なんでしょうね。水だけやればいい。
興味のある方は、こちらに説明があります。
葉っぱが茂ると、やがて花がいっぱい咲いて、ミツバチがやって来て、花の下部が小さなゴーヤになったかと思うと2週間ほどで、写真のような大きさに。
そろそろ収穫でしょうか。

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2009/07/21

エラスムス号のこと(下)

1600年に豊後に漂着したオランダ船リーフデ号は九州から大坂、大坂から浦賀へと回航されるあいだについに沈没してしまったが、船尾に飾られていたエラスムスの像は略奪されたのか、それとも乗組員が誰かに売るか、贈るかしたのだろう、最終的に日本人の所有に帰したと思われる。
時がたつうちにいつかその由来もすっかり忘れ去られ、どういう経緯であったかは不明だが、足利は吾妻村の清右衛門というものの家に一体の神異を帯びた木像として伝わっていた。

累代の清右衛門はこれを「カテキさま」と呼んで尊崇怠りなかったが、なにぶん在家のことゆえ扱いが粗略になりがちなことから近隣の曹洞宗龍江院にこれを納め、そのあとも供え物を欠かせなかった。
ところがやがて誰言うともなく、この木像が夜な夜な出歩くという噂が立った。あるいは清右衛門が寺に像を納めたのも、なにやらそういう怪異を知っていたためかも知れない。ところがある夜、猟師が薮から出て来ようとする獲物に鉄砲を撃つと確かな手応えあり、確かめるとこのカテキ像が腰に弾を受けて倒れていたといいますな。
みな驚いて龍江院に担ぎ込み観音堂に納めたが、その後は鉄砲に懲りたのか霊力が失せたのか、もう出歩くことはなくなったとか。

Ersms3 さて、1920年(大正9年)のことである。足利市在住の考古学者丸山瓦全(がぜん)がこの像のことを考古学会の仲間に報告し、これを受けて詳細な調査が行われた。考古の趣味で結ばれた「集古」という会員制の雑誌が当時あり(永井荷風、柳田國男、大槻文彦、巌谷小波、内田魯庵、三田村鳶魚などが会員に名を連ねていた)そのメンバーである林若樹が同じく京都在住の新村出のもとに送った報告は次のようなもの。

木像は高三尺四寸五分(内一寸台の高さ)
顔面の高さ三寸五分 肩幅一尺 裾幅七寸六分

頭に帽を頂き身に法服を着し右手に巻物を持し其一端下垂し左手絵はがきの分は欠如致居候へ共、小生等一観の際に其一片有之。仮に取りつけて候て撮影致候、即写真に示すごとく花瓶様のものに有之、未だ完備と申訳には不参候も大したる不足は無之かと被為存候、木像の材は槻の如く、雨露に晒され候様にて木地現れ居候、法服は黒色、同襟はエビ色の彩色残り居候、其彫刻術中々優れ其容貌の写生的なる、兎ても日本人的臭味なく一見欧人の刻に相違無之候、且写真にても御覧の如く一見他の割合に手の偉大なるを感ぜられ候。

右上の写真は、「東京国立博物館ニュース/2004年11・12月号」に掲載されているものをパクりましたが(文句言われたら外します)たしかに、右手の大きさがアンバランスですね。左手は花瓶様のものを持っていたとこの報告にはありますが、これはちとイメージがわきにくい。カンテラならなんとなくわかるんだけど。
さて右手に下げている巻物の下端に文字と年号が読み取れるのだそうで、「ERA□MVS R□□TE□□□M 1598」とありますので、「エラスムス ロッテルダム 1598」という判読にたぶん誰も異議はないだろう。すなわち、リーフデ号の建造年であります。

ところで、これが船の飾りであることは、吾妻村の清右衛門一族がこの像を「カテキさま」として守り伝えてきたことからも補強される。
今回のネタ本は主として『増補 書を読んで羊を失う』鶴ヶ谷真一(平凡社ライブラリー)なのですが、最後にそこから引用しておきます。

中国の故事に、黄帝の二臣、共鼓と貨狄が、水に浮かんだ柳の葉に蜘蛛の乗っているところを見て、初めて船を造ったという話がある。
(中略)
「自然居士」「遊行柳」などの曲に謳われて、この話は人口に膾炙するに至り、「貨狄」は船に因んだ言葉として広まっていた。すなわち、異人の風貌を備えたこの貨狄様とは、船にゆかりの彫像、たとえば異国船の船首像のようなものではなかったか。
こうした命名の行われたのは、したがって、この木像が船を連想させるようなある記憶がまだかすかに残り、同時に、貨狄という語が船に結び付けられる伝説のなお生きていた時代、すなわち、徳川の初期、寛永を去ることそれほど遠からぬ時代であったに違いない—。

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2009/07/20

エラスムス号のこと(上)

Durer 数世紀にわたってキリスト教的、ヨーロッパ的世界は、カトリック教徒対プロテスタント、北欧対南欧、ゲルマン民族対ラテン民族に分割される。この瞬間にあたってドイツの、また西欧の人間に与えられているのは、ただ一つの選択,ただ一つの決断、すなわち教皇派となるかルター派となるか、鍵の力(教皇の権能)か福音かなのである。だがエラスムスは—この点が記憶に値する彼の行為なのだ—時代の指導者たちのなかでただ一人、党派にくみすることを拒否する。
彼はローマ教会の側にもつかなければ、宗教改革の側にもつかない。なぜなら、彼は両方に結びついている。福音派の教義に結びつくのは、彼がそれをまっ先に、確信に基づいて要求し促進したからであり、カトリック教会に結びつくのは、彼がそのなかに、転覆する一つの世界の最後の精神的統一形式を擁護したからである。だが右にも過激、左にも過激があり、右にも狂信、左にも狂信がある以上、彼は不屈不変の反狂信的人間として、いずれの過激にも仕えようとはせず、ひたすら彼の永遠の節度である公正だけに仕えようとする。むだとは知りながら、彼は汎人間的なもの、共通の文化財をこの不和から救うために、仲介者としてその中間に、したがって最も危険な場所に身を置くのである。
ツヴァイク『エラスムスの勝利と悲劇』

1598年に建造されたその船ははじめエラスムス号と命名された。
同年6月ロッテルダムを出航した五隻のオランダ艦隊の副旗艦に編入されたときにリーフデ号と改められた。リーフデ(Liefde)とは「愛」という意味である。旗艦がホープ(希望)、第三艦がヘローフ(信仰)、第四艦がトラウ(忠誠)、第五艦がフライデ・ボートスハップ(良い予兆)というようにこの艦隊の命名方式にしたがったのかもしれない。
あるいは死後すでに60年になっていたが、エラスムス号などという艦名のままでは剣呑だということであったのか。スペインの無敵艦隊はすでに1588年にアルマダの海戦で海賊上がりのイギリス海軍に大敗し、制海権は失っていたとはいえ、新教国のオランダ艦隊は絶好の標的であっただろうと思われる。

艦隊の任務は大西洋をわたり、マゼラン海峡を経て、極東へ赴くというものであった。
だが航海は辛酸をきわめた。
東インド諸島で第四艦と第五艦はスペイン、ポルトガルに拿捕され、第三艦は艦隊からはぐてれ途中でオランダ本国へ引き返した。(無事ロッテルダムに帰還した唯一の船となった)
旗艦ホープ号とリーフデ号の二隻はマゼラン海峡を抜けて太平洋に入ったが、このあたりは猛烈な時化が続く海域である。悪天候に翻弄され、ホープ号は転覆、最後に残ったリーフデ号のみが航海を続けたが、110人いた船員も悪天候による事故死や水と食料補給で寄港した南アメリカで原住民に殺されたり、赤痢、壊血病などの病死が続き、生き残っていたのは24人に過ぎなかったというから、航海というより実質的には太平洋を漂流していたような塩梅であったかも知れぬ。

1600年3月に、豊後国臼杵に漂着した。日本の年号では慶長五年、10月には関ヶ原の戦いがおこなわれることになる。

よく知られていることだか、このリーフデ号の乗組員のウィリアム・アダムス(この人は英国人)とヤン・ヨーステンは、当時豊臣家の五大老首座であった家康と大坂城の西丸で謁見し、のちにその外交顧問になる。前者が三浦按針と名をかえ、いまでも日本橋には按針通りという名前が残っているはず。後者は、もっと身近な名前の八重洲としてその屋敷跡の名前が伝わる。

さて、このリーフデ号、九州は豊後(いまの大分県)に漂着後、大坂に回航され、それから浦賀に回航されたというこだが、おそらくその間に沈没してしまったらしい。だが、船に装備されていた二十門ともいわれる大砲は取り外されて家康に没収されていた可能性が高い。関ヶ原にこれが使用されたという説もあるようだが実際のところは不明。
ほかにも、積載の貨物や艤装なども多く奪われていたことは疑いないだろう。
リーフデ号、建造時はエラスムス号だが、この船尾に飾られていたエラスムスの立像がいまに伝わることはたしか司馬遼太郎も書いていたかと記憶する。
しかし、わたしはこのエラスムス像がどのように伝わってきたかということは知らなかった。—というあたりを次回に続けて書いておきます。

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2009/07/17

義仲はこれ天の使

本年4月8日の拙ブログに「菜の花と桜の寺」という記事を書きました。(こちら
そのときに、九条兼実(後法性寺殿)と近衛基通(普賢寺殿)との関係について簡単にふれましたが、『イロニアの大和』(川村二郎/講談社)にこんな話が。

九条兼実の日記『玉葉』、寿永ニ年十一月十九日の項に、法住持合戦の顛末が記されている。義仲軍が勝って後白河を五条東洞院に押しこめたことを述べた上で、「夢か夢に非ざるか、魂魄退散、万事不覚、およそ漢家本朝天下之乱逆、其の数有りと雖も、未だ今度の乱の如きは有らず」
と嘆いている。義仲の暴虐を怒っているのだと思って読み進むと、直後に異様な一句が続く。
「義仲はこれ天の不徳の君を誡むる使なり。その身滅亡、又以て忽然か。」
つまり後白河が悪いから、義仲を使って天が罰を下したというのだ。
(中略)
後白河はかねがね摂政の藤原基通に思いをかけていたが、この七月頃から「御艶気あり」(欲望が昂進して?)、七月廿日頃「御本意を遂げられ」たという。
「君臣合体の儀、これを以て至極となすべきか」
とある。兼実は基通と反目しているから言い方に刺があるのは尤もながら、「君臣合体」とはいみじくもいったるものかなと感じ入る。いずれにせよ、後白河が個人的な「愛念」に動かされて国の大事を恣意的に決定する、そのことを罰する天の使いが義仲なのである。

『イロニアの大和』は「群像」2002年6月号から2003年9月号まで16回の連載をまとめたもの。保田與重郎論としての大和紀行といった趣の本だがひじょうに面白い。

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2009/07/15

Yonda?CLUB

Yonda4f1 別に新潮社の回し者ではありませんが、新潮文庫のブックカバーに付いている応募券を切り取って送ると、もれなくいろんなパンダくんが景品でもらえる仕組み。我が家のYonda?CLUBグッズを集めてみました。
黒いトートバッグ、マグカップ、腕時計、携帯ストラップ、お人形。ほかにも、ピンバッジやぱらぱらアニメブックにブックカバーなどもありましたがこれは行方不明。
このなかでいちばん新しいのは、左手の「モダンペット」のYonda?くん。色合いがリアルで、純白ではなくてちょっと茶色がかっています。指で押してみると頭のほうはスポンジのようですが、胴体とお尻のほうは大鋸屑の手触りがありますね。なかなか可愛い。

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2009/07/01

6月に読んだ本

『哲学の横町』木田元(晶文社/2004)
『物語・唐の反骨三詩人』荘魯迅(集英社新書/2002)
『カルヴィーノの文学講義』イタロ・カルヴィーノ/米川良夫訳(朝日新聞社 /1999)
『続 一海知義の漢詩道場』一海知義/編(岩波書店/2008)
『ニホンカワウソ—絶滅に学ぶ保全生物学』安藤元一(東京大学出版会/2008)
『外国語の水曜日—学習法としての言語学入門』黒田龍之助(現代書館/2000)
『グノーシス「妬み」の政治学』大貫隆(岩波書店/2008)
『神話と科学—ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀』上山安敏(岩波現代文庫/2001)
『The Best American Magazine Writing 2004』(Harper Perennial/2004)
『衣匠美』白洲正子(世界文化社/2000)
『芭蕉めざめる』光田和伸(青草書房/2008)
『ミステリーの人間学—英国古典探偵小説を読む』廣野由美子(岩波新書/2009)
『1Q84 BOOK 1〈4月ー6月〉』村上春樹(新潮社/2009)
『1Q84 BOOK 2〈7月ー9月〉』村上春樹(新潮社/2009)
『私の昭和史・戦後篇(上)』中村稔(青土社/2008)
『The Secret Scripture』Sebastian Barry(Faber and Faber/2009)

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6月に見た映画

レスラー
The Wrestler
監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ミッキー・ローク、マリサ・トメイ、エヴァン・レイチェル・ウッド

ジェイン・オースティンの読書会
The Jane Austen Book Club
監督:ロビン・スウィコード
出演:キャシー・ベイカー、マリア・ベロ、エミリー・ブラント、エイミー・ブレネマン、マギー・グレイス

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