« エラスムス号のこと(上) | トップページ | ゴーヤ »

2009/07/21

エラスムス号のこと(下)

1600年に豊後に漂着したオランダ船リーフデ号は九州から大坂、大坂から浦賀へと回航されるあいだについに沈没してしまったが、船尾に飾られていたエラスムスの像は略奪されたのか、それとも乗組員が誰かに売るか、贈るかしたのだろう、最終的に日本人の所有に帰したと思われる。
時がたつうちにいつかその由来もすっかり忘れ去られ、どういう経緯であったかは不明だが、足利は吾妻村の清右衛門というものの家に一体の神異を帯びた木像として伝わっていた。

累代の清右衛門はこれを「カテキさま」と呼んで尊崇怠りなかったが、なにぶん在家のことゆえ扱いが粗略になりがちなことから近隣の曹洞宗龍江院にこれを納め、そのあとも供え物を欠かせなかった。
ところがやがて誰言うともなく、この木像が夜な夜な出歩くという噂が立った。あるいは清右衛門が寺に像を納めたのも、なにやらそういう怪異を知っていたためかも知れない。ところがある夜、猟師が薮から出て来ようとする獲物に鉄砲を撃つと確かな手応えあり、確かめるとこのカテキ像が腰に弾を受けて倒れていたといいますな。
みな驚いて龍江院に担ぎ込み観音堂に納めたが、その後は鉄砲に懲りたのか霊力が失せたのか、もう出歩くことはなくなったとか。

Ersms3 さて、1920年(大正9年)のことである。足利市在住の考古学者丸山瓦全(がぜん)がこの像のことを考古学会の仲間に報告し、これを受けて詳細な調査が行われた。考古の趣味で結ばれた「集古」という会員制の雑誌が当時あり(永井荷風、柳田國男、大槻文彦、巌谷小波、内田魯庵、三田村鳶魚などが会員に名を連ねていた)そのメンバーである林若樹が同じく京都在住の新村出のもとに送った報告は次のようなもの。

木像は高三尺四寸五分(内一寸台の高さ)
顔面の高さ三寸五分 肩幅一尺 裾幅七寸六分

頭に帽を頂き身に法服を着し右手に巻物を持し其一端下垂し左手絵はがきの分は欠如致居候へ共、小生等一観の際に其一片有之。仮に取りつけて候て撮影致候、即写真に示すごとく花瓶様のものに有之、未だ完備と申訳には不参候も大したる不足は無之かと被為存候、木像の材は槻の如く、雨露に晒され候様にて木地現れ居候、法服は黒色、同襟はエビ色の彩色残り居候、其彫刻術中々優れ其容貌の写生的なる、兎ても日本人的臭味なく一見欧人の刻に相違無之候、且写真にても御覧の如く一見他の割合に手の偉大なるを感ぜられ候。

右上の写真は、「東京国立博物館ニュース/2004年11・12月号」に掲載されているものをパクりましたが(文句言われたら外します)たしかに、右手の大きさがアンバランスですね。左手は花瓶様のものを持っていたとこの報告にはありますが、これはちとイメージがわきにくい。カンテラならなんとなくわかるんだけど。
さて右手に下げている巻物の下端に文字と年号が読み取れるのだそうで、「ERA□MVS R□□TE□□□M 1598」とありますので、「エラスムス ロッテルダム 1598」という判読にたぶん誰も異議はないだろう。すなわち、リーフデ号の建造年であります。

ところで、これが船の飾りであることは、吾妻村の清右衛門一族がこの像を「カテキさま」として守り伝えてきたことからも補強される。
今回のネタ本は主として『増補 書を読んで羊を失う』鶴ヶ谷真一(平凡社ライブラリー)なのですが、最後にそこから引用しておきます。

中国の故事に、黄帝の二臣、共鼓と貨狄が、水に浮かんだ柳の葉に蜘蛛の乗っているところを見て、初めて船を造ったという話がある。
(中略)
「自然居士」「遊行柳」などの曲に謳われて、この話は人口に膾炙するに至り、「貨狄」は船に因んだ言葉として広まっていた。すなわち、異人の風貌を備えたこの貨狄様とは、船にゆかりの彫像、たとえば異国船の船首像のようなものではなかったか。
こうした命名の行われたのは、したがって、この木像が船を連想させるようなある記憶がまだかすかに残り、同時に、貨狄という語が船に結び付けられる伝説のなお生きていた時代、すなわち、徳川の初期、寛永を去ることそれほど遠からぬ時代であったに違いない—。

|

« エラスムス号のこと(上) | トップページ | ゴーヤ »

c)本の頁から」カテゴリの記事

コメント

エラスムスの木像、なにか不思議に迫って来るものがありますね。
さて、(上)の記事にあるエラスムス像は、デューラー、1526年の作品のようですが、これは、ツヴァイクの著作に出て来ているのでしょうか。
ギリシャ文字による記述もあり、ちょっと興味深く拝見しました。

投稿: Wako | 2009/07/22 17:27

みすず書房の『ツヴァイク伝記文学コレクション6』にこの「エラスムスの勝利と悲劇」は収録されているのですけれど、口絵の扉にまずホルバインの有名な肖像画があり二番目にこのデューラーの版画、同じく見開きの三頁目にクラナッハの版画が置かれております。なんとまあ、豪華な顔ぶれ。
本文のほうにも、デューラーがオランダ旅行の際にエラスムスに会ったこととあわせて、熱烈な宗教改革支持者であったデューラーが、のらりくらりと旗幟を鮮明にしないエラスムスについて微妙な思いを抱くあたりが書かれておりますね。ただし、こちらの図像は(下)の数奇な運命をたどった木像と比較するという目的のつもりでしたので、直接、ツヴァイクの著作とつながりがあるというわけではありませんでした。(笑)
なお、ラテンとギリシア文字についてはこちらに説明らしきものがありますが、いまひとつわたしにはよくわからない。
http://www.metmuseum.org/toah/hd/refo/ho_19.73.120.htm
末尾の「MDXXVI」は1526のローマ数字表記で、AとDを組み合わせたモノグラムはアルブレヒト・デューラーを示しているそうです。

投稿: かわうそ亭 | 2009/07/22 21:07

ご教示、ありがとうございました。
デューラーを好きな、大先輩の方から、デューラーの画集をいただいたことがありました。その画集を探しても見当らず、こんなこと質問してしまいました。その画集はドイツの出版だった・・・不確かな記憶。
ローマ数字は、昔、長いこと、洋書目録に携わっており、年号でしたらば、空で分かるんです(自慢?!)リプリント版古典などのラテン語を、首をひねって判じたりしたものでした。
また、デューラーのマークもその先輩が教えてくれて、すでに知っておりました。なんて、自慢の2乗ですね。
(あ、そして、その先輩はクラナッハも好きでしたね)
それにしても、「カテキさま」だなんてねぇ、かわうそ亭さんの読書って、いつもどこに展開してゆくのやら、って思います。ネタ本なんておっしゃいますが、あっちもこっちも知っていなければ、、、
自慢した後に、ちょっとお世辞しました。(笑)

投稿: Wako | 2009/07/22 22:26

あやや、なんとローマ数字の年号とモノグラムだけで、デューラー、1526年と看破されていたとは、失礼いたしました。
わたしは年号どころか、ページ番号がローマ数字表記になっているだけでお手上げでございます。いまだに4と6がわからなくなる。とほほ(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2009/07/22 22:58

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23898/45694810

この記事へのトラックバック一覧です: エラスムス号のこと(下):

« エラスムス号のこと(上) | トップページ | ゴーヤ »