森見登美彦『きつねのはなし』
家人が大きなショッピング・バッグふたつに文庫本やらコミックやらを詰め込んで、ブックオフに処分に行こうとしていた。ふと見ると一番上に置かれていたのが森見登美彦の『きつねのはなし』。
カバーの絵にひかれたのかもしれない、ちと気になった。本読みの勘である。(笑)
「ねえ、この『きつねのはなし』ってのはどうだった?」
「いいんじゃない。ちょっと気味の悪いはなし」
「ふーむ」
ひょいと取りよけた。
「きつねのはなし」「果実の中の龍」「魔」「水神」の四つの短編で構成されている。連作というほどではないが、それぞれがゆるやかにつながって不気味な雰囲気をうまく醸し出している。とても面白い怪談集であります。
「果実の中の龍」のなかである登場人物がこんなことをいう。
「こうやって日が暮れて街の灯がきらきらしてくると、僕はよく想像する。この街には大勢の人が住んでいて、そのほとんどすべての人は他人だけれども、彼らの間に、僕には想像もつかないような神秘的な糸がたくさん張り巡らされているに違いない。何かの拍子に僕がその糸に触れると、不思議な音を立てる。もしその糸を辿っていくことができるなら、この街の中枢にある、とても暗くて神秘的な場所に通じているような気がするんだ」
「この街」とは京都のことである。なるほど、京都でなければこの怪談は、こういう具合には成功しないかもしれない。伏見稲荷、御霊神社、琵琶湖疏水、煉瓦造の水路閣・・・
なにやら得体の知れぬ邪悪なものが、闇のなかとも薄明りのなかとも知れぬ向こうから、こちらをうかがっていることはひしひしと感じるのだが、それがいったいなんであるのかがわからない。もどかしく、いやな、いやな怖ろしさ。
同じ人物がそのすこしあとでこんな俳句をふとつぶやく場面が出てくる。
短夜の狐たばしる畷かな
だれの句かは作中ではあきらかにされないのだが、たしかにこれには覚えがあるぞ。だれのだっけと調べてみたら、おおそうだ百鬼園先生じゃないですか。
で、ぽんと膝を打ったね。
なるほど、この得体の知れない恐怖、恐怖そのものが恐怖であるような厭な感じは内田百閒がお手本か。
森見登美彦は1979年生まれ。ほかにはどんなものを書いているのだろう。
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