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2009/09/08

保田與重郎「日本の橋」

『保田與重郎全集第四巻』(講談社/1986)を読む。
本巻には初版の『日本の橋』と『改版 日本の橋』の両方が収録されている。
『日本の橋』は1936年(昭和11年)に芝書店から出版された保田の処女作。これにより第一回池谷信三郎賞を受賞し、実質的な文壇デビューとなった。
02238986 『改版 日本の橋』は初版の発行から三年後の1939年に東京堂より出版、棟方志功の装幀。古書展でこの本を入手されたという黒岩比佐子氏がそのブログに写真を掲載しておられたので、参考にここに掲載させていただいた。なんとも気迫に満ちた本でありますね。当時の出版事情はよくわからないが、こういう本のつくり方からみても日本浪曼派の中心イデオローグとしての全盛期ということがうかがえる。
改版を出すにあたっての保田の「はしがき」を引く。

この本にをさめた四つの文章のうち、誰ケ袖屏風と日本の橋の二篇は、舊版の日本の橋にもくみ入れたものであり、古い版が無くなつてからすでに年月をへたところ、ふたゝび人に見えるのは如何になどの思ひもされたが、愛惜するまゝにこゝの巻初においた。いづれもおなじ有羞の執着を満すために、人の嘲りをくりかへし、後の悔を慮らぬことともならうか。しかるに新しく思ふところあつて、舊い措辞を正したり、あるひは心づくことがらをつけ足すうちに、あらかた面目の異るさまになつた。

保田與重郎を読むのは、わたしはこれが初めて。正直あんまり興味の持てる人物ではなかった。きっかけは川村二郎の『イロニアの大和』というすぐれた大和紀行で、ふらりと新しい領域に足を踏み入れたような塩梅。

とりあえず全集の一冊だけを通読して出て来た率直な感想は、いやはや聞きしに勝る悪文、というものなのであるけれども(笑)、これは別にこの人物が、国策としての侵略戦争遂行に対して思想面から積極的にこれを支持したとかなんとかいう見方とは関係がない。むしろ文章のスタイルに対する趣味の問題でありますね。まあ、こういう日本語もかつては国民に好まれたことがあるんだなあ、と思っておけばいいのでしょう。もちろん、あと70年もすれば、村上春樹の文体だって気持ち悪いというような感想をみんなが抱くようになる可能性だってありますわな。ま、それまで日本語が滅びることがなければですが。

それはともかく、この巻の中心はなんといっても「日本の橋」という評論である。そして、この評論自体が上に述べたように、旧版と改版というふたつのかたちで載せてあるのはもちろん、そのほかにもこの評論のいちばん最初の稿であるところの「裁断橋擬宝珠銘のこと」というエッセイも収録されている。この稿が掲載されたのは『四季』第十三号(1935)だという。

長くなるがすべての「日本の橋」のモチーフとなったこの裁断橋擬宝珠銘というのがなんであるのか、最後に引用しておきたい。いい話であります。文体の好悪を離れて、保田の「愛惜」、「有羞の執着」を味わってください。ちなみに引用は「改版」のほうからです。

日本の橋の一つの美しい現象を終わりに語つて、現象が象徴となつた、雅名の起源を述べたいと思ふのは、これも乏しい日本の橋のためである。名古屋熱田の町を流れてゐる精進川に架せられた裁断橋は、もう昔のあとをとゞめないが、その橋の青銅擬寶珠は今も初めのまゝのものを残し、その一つに美しい銘文が鏤られてゐるのである。和文と漢文とで同様の意味のことが誌されてゐるが、漢文の方はしばらく措き、その和文の方は本邦金石文中でも名文の第一と語りたいほどに日頃愛誦に耐へないものである。

てんしやう十八ねん十八日に、をたはらへの御ぢんほりをきん助と申、十八になりたる子をたゝせてより、又ふためともみざるかなしさのあまりに、いまこのはしをかける成、はゝの身にはらくるいともなり、そくしんじやうぶつし給へ、いつかんせいしゆんと、後のよの又のちまで、此のかきつけを見る人は、念佛申給へや、卅三年のくやう也。

銘文はこれだけの短いものである。小田原陣に豊臣秀吉に従って出陣戦死した掘尾金助といふ若武者の三十三囘忌の供養のために、母が架けたという意味を書き誌したものだが、短いなかにきりつめた内容を語つて、しかも藝術的氣品の表現に成功してゐる點申し分なく、なほさらこの銘文はその象徴的な意味に於ても深く架橋者の美しい心情とその本質としてもつ悲しい精神を陰影し表情してゐるのである。此岸より彼岸へ越えてゆくゆききに、たゞ情思のゆゑにと歌はれたその人々の交通を思ひ、それのもつ永劫の悲哀のゆゑに、「かなしみのあまりに」と語るこの女性の聲は、たゞに日本の秀れた橋の文學の唯一つのものといふのみでなく、その女性の聲こそこの世にありがたい純粋の聲が、一つと巧まなくして至上叡智をあらはしたものであらう。教育や教養をことさら人の手からうけた女性でもあるまいが、世の教養とはかゝる他を慮らない美しい女性の純粋の聲を私らの蕪れた精神に移し、あるひは魂の一つの窓ひらくためにする営みに他ならぬ。三十三年を經てなほも切々盡きない思ひを淡くかたつてなほさらきびしい、かゝる至醇と直截にあふれた文章は、近頃詩文の企て得ぬ本有のものにのみみちてゐる。はゝの身には落涙ともなり、と讀み下してくるとき、我ら若年無頼のものさへ人間の孝心の發するところを察知し、古の聖人の永劫の感傷の美しさを了解し得るやうで、さらに昔の吾子の俤をうかべ「即身成佛し給へ」とつゞけ、それが思至に檄して「逸岩世俊と念佛申し給へや」と。「このかきつけを見る後の世の又後の世の人々」にまで、しかも果無いゆきづり往来の人々に呼びかけた親心を思ふとき、その情愛の自然さが、私らの肺腑に徹して耐へがたいものがある。逸岩世俊禪定門といふのは金助の戒名である。

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コメント

保田與重郎は、「近代浪漫文庫」の出版元である新学社が保田與重郎の顕彰に力を入れていることで目の端にとまってはいましたが、勝手に色づけして避けていました。が、や・や・や・やっ、このテーマも文章もなんと魅力的なのでしょう。川の民俗と橋の民俗は交錯していて、多少理屈っぽい本も読んだのですが――神楽川研究!――、こんな本を読みたいと思っていました。図書館で探してみましょう。
そうそう、比佐子さまのブログのコメント告知欄に、かぐら川、かわうそ亭が並んでいて苦笑いでした。黒岩さんには、霜川研究の方で、お世話になっています。

投稿: かぐら川 | 2009/09/08 23:16

かぐら川さん お待ちしていました。(笑)
黒岩比佐子さんの「古書の森日記」にふたりで並んでいるのは、なんだかたとえがヘンだが、お仕置きで廊下に立たされたら、たまたまとなりのクラスの悪童の後だった、てな感じで、わたしも苦笑しておりました。
このエントリの引用の文章だけでその魅力を嗅ぎ付けたのはさすが、かぐら川さんですね。これは、わたしも自らの不明を恥じるすぐれた日本の評論だと思いました。

投稿: かわうそ亭 | 2009/09/09 08:37

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