『利休 茶室の謎』の謎(上)
利休好みという言葉は、利休が好んだなになにというような意味ではなくて、いまふうに言えば、利休デザインということになるのだそうですが、そういうことをふくめて本書ではじめて知ったことは多い。なかなか面白い本です。
ただし感想はやや本筋をはずれたものになることをあらかじめお断りしておかねばならない。
著者は瀬地山澪子さんという。NHKの元デレクターで、すでに故人である。本書は末期癌で京都のホスピスに入院中に書かれ、遺稿として夫(当時、京都大学経済学部長を経て総長特別補佐であった瀬地山敏氏)に託された。
本書の内容は、利休のつくり出した美意識の背後には朝鮮の儒教文化への敬意が濃厚にあるのではないか、またその朝鮮への思慕が秀吉の朝鮮侵攻と対立したことが利休自刃の遠因ではなかろうかという、なかなか大胆な、しかし案外これはいけるかも、という感じの仮説であります。
NHK総合テレビ「歴史誕生」で1989年11月に放映された「利休茶室の謎—天下一宗匠の切腹」という番組として世間的には発表されているのだそうですが、残念ながらわたしは見ておりません。
この仮説にたどりつくまでの経緯が本書のひとつの主題であり、それを放送番組にどのように仕上げて行ったかというのがもうひとつの主題であります。しかし、本書にはもうひとつ重要な目的、意図があったことが誰の目にも明らかです。
遺稿を託された瀬地山敏氏の「あとがき」には、疼痛と死の不安の中で書き続けた遺稿にしてはきちんとした構成だったが、未定稿と思われる箇所などもあり、何カ所か手を入れたところもあることを明らかにして、次のような痛切な思いを綴っておられる。
手を入れたもののなかでいちばん彼女の気持ちにもとることになったのは、この本の「第2章、テレビ番組にする 8、編集・放送・反響」の中の小見出し「不愉快だったこと」に対応する部分です。遺稿は、彼女が発見した仮説が、その妥当性を確かめるために韓国に同行した学者により、自説まがいに発表された経緯を、詳しく書いています。彼女は遺稿の全部を、その学者のイニシャルで書き通しています。この本に付す予定の参考文献と8に到る文章で判ることでもあり、また職業上の敬意としても自然であるので、名前を起しました。その代わりできごとの委細を省くことにしました。わたしはこの悔しさが、彼女を二ヶ月にわたる作業に駆り立てた原動力のひとつだと信じています。死に近く人が執着するのは、生きているという事実そのものではなく、執着することがらがまだ果たされていないという事実のようです。執着はこうして二ヶ月の生をつくり出したという秘密を、わたしは厳粛に受けとめました。
つまり、著者にとって本書を世に問う、もうひとつの目的は「告発」ですね、はっきりいえば。だってテーマはすでに自分のテレビ番組として発表しているのだから。
だが、遺稿を託された方の立場は複雑でしょう。その苦渋が上記の「あとがき」にうかがえる。愛する者から託された、無念を晴らして欲しいという最後の願いにこたえたいという思いと、客観的にアカデミックな評価のバランスをどのようにとるべきか……。この点に関しては、わたしはあえて「委細を省くことに」されたことは賢明だっただろうなと共感しますが、ただひとつだけ問題がありまして、そのことを今回は書こうと思ったのです。
こういう「あとがき」を読めば、著者の「発見」を「自説まがいに発表」した学者、実名が書かれているお方はどなたかが一目瞭然でなければおかしいと思うのですね。ところがこれがどうもわかりにくい。(以下次号)
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