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2009年11月

2009/11/23

Brain Science Podcast

以前、英語教材の話題として、「ESL Podcastはおもしろい」という記事を書きましたが、今回も同じような話題です。
新潮社の季刊『考える人』No.30で、水村美苗氏がインタビューのなかで自分の日常を紹介しながらポッドキャストを聞いている、なんてことを話しておられます。

ポッドキャストは家事をしたり、散歩をしたりしながら聞けるので本当に便利です。よく聞いているのは、アメリカのNPRというラジオ局のインタビュー番組「フレッシュ・エア」。あと最近は「ブレイン・サイエンス」という番組。緊急治療室で働いている現職の女のお医者さんが個人でやっていて、脳科学にかんする本を紹介したリ、専門家にインタビューしたりする番組なんです。脳科学がいまいかにおもしろいかがわかる。

このインタビューを読んで、わたしもさっそく聞いてみたのだが、たしかにBrain Science Podcast は面白いです。
最新のエピソードは第63話ですが、こちらのサイトに行くとこれまでのエピソードを初回から最新回まですべてダウンロードできる。

Zfryk じつは、二つ三つばかり試しに聞いてみたら、あんまり面白いので、エピソードのいちばんはじめから聞き始めた。ちなみに第一回は2006年の12月15日に公開されています。最初の頃は、まだ録音があんまりよくなかったり(とくにインタビューの相手側が電話の録音なのかなあ、ちょっと聞き取りにくい)長さも短めなんですが、しばらくすると大体50分から1時間くらいで安定しますし、また音質もかなりよくなるので、一日一話みたいな感じで通勤時間に聞くのにちょうどいいのですね。行きに半分、帰りに半分、または行き帰りで二回聞くとか。いまちょうど第45話まできました。

で、今回のエントリーは、このポッドキャストが英語教材にとてもいいという切り口なんですが、なぜいいかというと理由が三つあります。

まず第一は、内容がすごく刺激的で面白い、ということがある。このポッドキャストのコンセプトはサイエンスに対してまったく素人(つまりたとえばわたし)に対して、近年の脳科学がつぎつぎにあきらかにしつつある知見を専門用語などをできるだけつかわずわかりやすく伝えるということなんですが、その立場は明確で(ひとつまえのエントリーとも多少関連しますが)二元論は決定的に否定されるということです。つまり、こころ、意識、情動、自我、感覚、知覚、記憶、言語、文字、知性など、人間のおよそすべての精神にかかわることは、すべて脳で生み出され、かたちづくられ、むすびつけられ、なぜ、あるいは、いかに「わたし」は「わたし」なのかは、脳科学が解明しつつあるという確信です。そしてこれについて疑問に思う人にもきっと面白いし、脳科学の知見はきっとあなたの哲学的な内省にすごく役に立つと思いますよ、というのが番組ホストのジンジャー・キャンベル博士の言葉であります。そして、それはまったく正しい。

第二に、このジンジャー・キャンベル博士の話す英語がまことに論理的、明晰、クリスタルクリアでありながら、じつに暖かく信頼できる「感じ」を聞き手に与えることです。この方は、水村さんのインタビューにもあるとおり、現役のERドクターだそうですが、いったい、仕事とこんなとんでもない番組を公開することの両立が、人間に可能なんでしょうかね。よほど頭脳の「排気量」が大きいのでしょう。
また登場するゲストの話す英語が多種多様でありながら、なるほど英語というのは、こういう科学的なアイデアを伝達するにはすぐれた言語だなあと思わせ、またとても面白い話をみんながみんなすること。
すなわち、ホストとゲストの英語表現力の魅力。

そして第三に、これは、わたしレベルの聴講者にとっての利点ですけれども(つまり英語が日本語と遜色なく聞き取れる方には不要な点)、第一話から完璧な筆記録がPDFファイルで用意されていること。iPodで聞いてだいたいのところはわかったつもりでいても、あらためてこの Transcripts に目を通すと、ありゃりゃ、こんなこと言ってたっけ、ぜんぜん聞き落としちゃってるじゃん、とびっくりすることが多い。

ためしに聴くなら、たとえば、第24話の

Reading and the Brain: Discussion of Proust and the Squid: The Story and Science of the Reading Brain by Maryanne Wolf

あたりが面白いのではないかと思う。
日本語についての話題もあるし、またこのウルフの著書『プルーストとイカ』については、上記の水村さんもインタビューでちらっとふれている。

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2009/11/20

さてわたしとは何なのか

人間とは何か。
という形で問いを立てたことが、じつは、私にはない。
というよりも正確には、私にとって、問いは、どういうわけか常に必ず、
人間とは何か。
と、問うているところのこれは何か。
の形をとる。

  「デカルトを擁護して」
  『私とは何か さて死んだのは誰なのか』
  池田晶子

「わたし」とはなんであるか。「わたし」はどこにいるか。
あるいはもっと簡単にこう言いかえてもよい、「わたし」とはすなわち脳のことであるか。
だが脳というのはつまるところ臓器のひとつである。この細胞の塊が「わたし」であるかといえば、どうもそうではないような気が誰でもするであろう。
「わたし」というのは脳のなかでつくられているものだ、ニューロンの発火がすなわち「わたし」というものだと説明されると、ああそうなんですか、ふーん、なるほどね、というくらいの気持ちにはなるけれども、どこか完全に納得しかねるような気分が残る。

それに対して、いやじつは、「わたし」は脳をつかって「わたし」のことを考えているのじゃないかしらと言ってみると、案外このほうが真実に近いような気がしませんか。わたしはしますね。

頭のいいやつ、わるいやつ、と一口に言うけれども、それは脳の産物であるところの「わたし」の品質の差だといわれるとどうも立つ瀬がないが、いや、そうではなくて「わたし」というものがそもそも先にあって、これがそれぞれ自分の肉体に与えられた臓器としての脳をつかって考えているのだよ、だからこれは駆けっこが速いかどうかと本質的な違いはないのよね、と言われると精神衛生上はなはだよろしいのであります。

いまこれを、そもそも心身二元論などというのは、なんて言葉で言われると、ははあ哲学ですか、わたしらバカだからわかりませんと思ってしまうけれども、いやなに、これは脳が先か「われ」が先かの問題なのであります。二元論はちかごろ旗色が悪くて魂があるなんてのはオカルトじゃん、バカじゃんということになっているのでありますが、これは考えてみるとなかなかそう簡単な問題ではない。

わたしにとって「わたし」がまちがいなくあるというのは、これは自明のことで疑うことはできない。
失礼を承知で申し上げれば、あなたにとっての「わたし」がほんとうにあるのかどうかは確信はもてません。たぶんわたしの「わたし」が絶対であることから類推して、あなたの「わたし」もたぶんあるのだろう。まあそういうことにしておいてあげよう。疑えばきりがないもんね。まあ、あんたの「わたし」があることで、わたしとしては別にこまるわけではないから、あんたがどうしてもあるというならまあ認めてあげるけんね、とお互いに思っているのが、「わたし」というものなのである。

わたしにとって「わたし」があることは自明だが、それをお見せしたり、示したりすることは誰にもできない、というのは、たとえば「痛み」というのとじつは同じであります。

あなたがリビングの椅子に裸足の小指の先を思い切りぶつけたとする。
「イッテェー!!」と叫ぶ。この痛みがあることは疑いをいれない。
だって死ぬほど痛いんだもの。そりゃあるに決まっている。でもちょっとまってくれ。その小指が痛いというけれど、痛みはそこにはないのである。だって痛みを感じているのはあんたの脳である。脳が痛みを感じているのなら脳が痛むかといえば、いやもちろん脳は痛くない。小指が痛いのである。しかし、さてこの痛みというのはどこにあるのか、それは物質なのか、そうではない。それは信号なのか、まあそうだろう。だが、神経を流れる信号のパルスをいくら波形で表してみても、そのときに伝達される神経物質を抽出してみてもそれと「痛み」そのものは同じではない。痛さというのははただの脳の中のイルージョンにすぎないなんていう奴がいたら、くそったれ、同じ目にあわせてやろうじゃんか、てなもんであります。

つまり「わたし」というのはそういうもんなのでありますな、おそらく。

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2009/11/17

広瀬淡窓と俳諧

予、詩ヲ推敲スルニツイテ、悟入シタルコトアリ。予ガ父ハ俳諧ヲ好メリ。ソノ話ニ、或ル人生海鼠(なまこ)ノ句ヲ作リテ曰ク、板敷ニ下女取リ落ス生海鼠カナ。師ノ曰ク、善シト雖モ、道具多キニス過グ、再考スベシト。乃チ改メテ曰ク。板敷ニ取リ落シタル生海鼠カナ。師ノ曰ク、甚ダ善シ。然レドモ猶ホイマダシ。ソノ人苦吟スレドモ得ルコト能ハズ。師乃チ改メテ曰ク、取リ落シ取リ落シタル生海鼠カナ、ト。予、コノ話ヲ聞キテ、大イニ推敲ノ旨ヲ得ルコトヲ覚ユ。

「俳句は引き算で作る!」というのは今月の角川「俳句」の特集でしたが、今日、読んだ杉本秀太郎の「大田垣蓮月」(『杉本秀太郎文粋4』収録)にこんな話が。
『淡窓全集』の「淡窓詩話」に拠るそうです。

近世期の日本のすごいところは、地方にもすぐれた人物がいて、そこに全国から名声を慕って学者や読書人が訪問し、また各地からやってきた門弟を育てていたことだと思います。豊後日田の広瀬淡窓(1782ー1856)もそういう人物の一人。学塾咸宜園で指導した塾生はゆうに四千人といわれる。有名な門人はたとえば高野長英、大村益次郎など。
話は、詩の推敲についてですが、淡窓の父が俳諧を好んでいたというのも面白い。

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2009/11/15

みんな俳句が好きだった

2009_1115re 『みんな俳句が好きだった』内藤好之(東京堂出版)を読む。
副題は「各界一〇〇人 句のある人生」で、俳句にからめた「ちょっといい話」集といった趣。
著者は奥付の略歴や「あとがき」によれば、昭和18年生まれとありますから、いま66歳くらい。朝日新聞社の学芸部で朝日俳壇も担当しておられたようですが、実際に俳句をつくり始めたのは定年退職直前だったと書いておられる。(これには少し疑問があるが本書には関係ないことなので書かない)
ただし朝日俳壇の関係でしょうか、稲畑汀子主宰の誘いでホトトギスに入っていまは同人ということですから、ふつうのサラリーマンが定年で会社をやめて一念発起、俳句のお勉強をはじめたなんてのとははじめから五段階くらいの差はありそうではあります。いいんですけどね、べつに。(笑)

ま、悪口はそれくらいにして、(笑)本書自体は、人物のバックグラウンドを調べ上げ、きらりと光るエピソードを簡潔にまとめる手際はさすがにお見事。とりあげられた方々、へえ、と思うような興味深いエピソードが満載で、俳句関係の本にしてはそれ専門の出版社でもなく、装丁も軽めなのでちょっと目にはたいしたことなさそうに見えますが(失礼)これはなかなかオススメの一冊でありますよ。
内容見本代わりに、宣伝をかねてわたしが、そのいくつかをご紹介。

俳誌「雲母」で多くの弟子を育てた。俳壇の巨星でありながら、自分の句碑の建設を頑として許さなかった。現存の句碑はただ一つ、一九六二(昭和三七)年、七十七才で死去した翌年に作られたものだ。
結社の人たちから半強制的に寄付を集めて句碑を建てようとする俳人もいる昨今。その俳句同様、心のたたずまいもびしっと伸びた人、蛇笏の存在が光る。
飯田蛇笏

啄木は二年前、盛岡中学を中退、文学で身を立てるべく上京している。きっかけは、二度にわたるカンニングが露見、落第必至となったため、とされる。当てもなく上京した啄木を真っ先に訪ねて来たのが、盛岡中の一年上級で文学仲間だった一高生の野村である。野村は、啄木の学業放棄の無謀を戒め、神田辺りの学校を一緒に回って、編入可能か聞き歩いてくれた。この野村こそ、後に、『銭形平次捕物控』と音楽評論(筆名あらえびす)で知られた野村胡堂である。
結局、欠員は無し、就職もかなわず、体を壊して意気消沈した啄木は、四カ月足らずで澁民村に舞い戻る。
石川啄木

一九〇七(明治四〇)年、大阪に生まれた。兄は後の高名な俳人山口誓子。四歳で母と死別、下田家の養子に。養父が亡くなったため、養母の苦労を軽くしようと、十四歳でお酌に出て、芸妓となった。(中略)
この句集に、兄誓子は、自分が十一、実花が五歳の時、品川駅で会った時の思い出を、「おかっぱで鼻の頭に汗疣。その汗疣を見たとき、母を失ったお前の不幸を痛感した」と寄せた。
下田実花

一九〇九(明治四二)年、奈良県生まれ。父に従い上京、お茶の水の文化学院中等部に入り、俳句を高濱虚子、短歌を学監の与謝野晶子から習った。授業以外に勝手に作った句にも、ウソコ先生(生徒らが付けた虚子のあだ名)は多忙の中、目を通し、好い句には○を付けて手紙で送り返してくれた。
石橋秀野

青森高校在学中、十六歳にして全国の高校生に呼びかけ、十代の俳誌「牧羊神」を創刊、編集に当たる。(中略)有力俳人にも寄稿や選を依頼、十回発行して終ったが、中村草田男、西東三鬼、秋元不二男、山口誓子、橋本多佳子、津田清子らの知遇を得た。異彩を放つのが、津田の寄せた率直そのものの感想。「特別作品として推せんしたい作品は見当たりませんが、私の無礼に御立腹下さい」というものだった。
寺山修司

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2009/11/14

ちあきなおみの世界

NHK-BS2の『歌伝説・ちあきなおみの世界』を見る。このNHK特集は2005年にはじめて放映されてから、アンコールが多く、もう6回も再放送されているらしいのだが、わたしは今回はじめて見た。いやあ、よかったなあ。
じつは池内紀さんがエッセイで、6枚組CD-BOXの『ちあきなおみ・これくしょん ねえあんた』を絶賛しているのをだいぶ前に読んで、そのとき、聴いてみようと思いながら、例によっていそがしさにまぎれてそれっきりになっていたのを思い出したのであります。
今回の番組では、「ねえあんた」はノーカットで流されて、いや、わたしは恥ずかしながら、ほとんど号泣してしまいましたがな。(笑)これはもちろんコンサートがベストなんでしょうが、映像で見ても、こころを激しくゆさぶられますね。
YouTubeでも、『たけしの誰でもピカソ』で使った「ねえあんた」を見ることができますが(ここ)、画質、音質、ということでなしに、今回のNHKのバージョンのほうが断然いいですね。なにより、歌に入る前のちあきなおみの語り(これがまた素晴らしい)からいきなりステージに横座りになる演出がすごい。
ああ、来週のちあきなおみ特集も見なければ。(笑)

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2009/11/11

JIN-仁-

最近の我が家の人気TVドラマはTBSの日曜劇場「JIN-仁-」である。
なんといっても綾瀬はるかの咲がよろしい。はは。ま、大沢たかおも悪くない。リビングの端から横目で見ながらじつはすこし感心していたのであります。

20091111d7 というわけで、今日はどこにも出かける用事がないので、家人が大人買いしていた村上もとかのマンガを第1巻から第16巻まで一気読み。考えてみると、ここしばらく休みも出勤したり、やぼ用があったりして、あんまり家に籠っていることがなかった。朝から雨で、今日はこころおきなく、だらだらカウチに寝そべってマンガを読みふけることができる。いや、これが幸せというもんだ。(笑)

村上もとかはなつかしい漫画家であります。わたしが高校生の頃、F1レースの世界を描いた「赤いペガサス」は大好きな連載であった。マリオ・アンドレッティのロータスF1ー78をプラモデルでつくったりしたのがなつかしい。あのころからこの漫画家の絵のうまさは変らないなあ。
「JIN-仁-」は、基本的な枠組みはタイプスリップもののSFですが、オハナシの主要な流れはいまいちばん売れ筋の医学ドラマ、これに幕末の史実や歴史上の人物の虚実で味付けをするという趣向です。まだ連載中のようですから、どのような結末にむかっていくのかよくわからないが、なかなか読ませますね。すっかりはまってしまった。

最近のマンガの傾向でもありますが、いわゆる原作者とはちがって監修というかたちで専門家のチェックをうけているようですね。たとえば、本シリーズでは三人の医学史などの専門家の名前があがっていますし、坂本龍馬や西郷隆盛の台詞には脚注として方言の研究者のチェックが入っていたりする。編集者やアシスタントは資料集めがたいへんだろうが、神は細部に宿りたまう、ですからね、ここをおろそかにしてはいけないという見本でしょう。

主人公の南方仁という現代の脳外科医は、タイムパラドックスによって歴史を変えてしまう恐れから幕末の「赤ひげ」レベルの医療に21世紀の医学知識を活用することをはじめはためらうのですが、やがてある覚悟をもって積極的に未来を変えてしまおうと決意し、1940年代になってやっと実用化されるペニシリンを幕末の日本で量産しはじめるのですね。これによって、ヘボンをはじめとする外国人医師たちによって欧米の学会に報告され世界的に有名な極東の医学者となってしまう。つまりこれはタイムスリップによる平行宇宙もののSFになりつつあるのですな。
さて、このつづきやいかに。

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2009/11/10

俳人劣化のなげき

カフェで時間つぶしの間、読む本がなかったので、角川の「俳句」11月号を買って読む。稲畑汀子の「特別作品50句」というのがあるので、どうせろくでもないのをまた出しているんだろうな、と思いながら読んでみたら、案の定ほとんど屁みたいな句ばかりで気分が悪くなる。いくつか例をあげる。

遠き旅終へて家路や秋近し
みちのくの秋を訪ぬる旅の待つ
これよりの夜空楽しむ秋となる
新涼やここは津軽の城下町
秋の雲離合集散岩木山
元気かと問はれ元気といふ残暑

はっきりいってこんな程度でお足をもらえるなら、俳句稼業なんてちょろいもんだねと他のジャンルから軽蔑されるだろうなあ、ひどいもんだ。角川「短歌」のほうを買うんだった。
むかつきながら、今度は第55回の角川俳句賞受賞の相子智恵の「萵苣」50句を読む。こちらは、まあ、なかなか感じのいい句で、悪くないねと思った。
気に入ったものをいくつか抜く。

縞鯵の黄金ひとすぢ眼まで
砂払ふ浮輪の中の鈴の音
十ばかり墓あるほかは夏野かな
床柱てらてら秋の来たりけり
冬晴や鳩サブレー鳩左向き
氷ぶちまけ魚屋の裏寒暮
甘茶もらふペットボトルを空にして
不帰の五月百客百年来   

ところが、本賞の選考座談会を読んで、これまたあきれかえってしまったよ。選考委員の先生様は矢島渚男、池田澄子、正木ゆう子、長谷川櫂の四人。
あきれたのは、この相子智恵の50句を授賞作にすると決めていながら、こんな発言をしているところ。

長谷川(略)最後の〈不帰の五月百客百年来〉は分からなかった。
正木 そうなんです。分からない。なぜ突然、最後にこれが入ってくるか。
池田 何日調べたことか。そして、いろいろな人に聞きました。だけど誰も分からない。しかも、他の句と全然違うでしょう。どうしたのかしら。
長谷川 五月が帰って来ないと言っているんですか。〈百客百年来〉も分からない。
矢島 〈バー真昼〉という句があるから、バーのお客じゃないのかな。来なくなったお客がいっぱいあるんだけど、百年経ったら来るかなあって。(笑)

不帰の五月百客百年来 

不帰には「かへらず」というルビがついています。
この句がいい出来かどうかは留保がつきますが、少なくとも「意味」は、多少、俳句も短歌も現代詩もいろんなものが好きな方だったら、絶対に分かりますよね。わたしは、すぐぴんときましたよ。

寺山修司『われに五月を』
目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹
「百年たったら帰っておいで」

あとで本人の「受賞のことば」を読みますと—

寺山修司は「百年たったら帰っておいで」と書いたけれど、帰れるはずもない。毎年、歳時記で同じ季節の頁をめくるけれど、その一年は、二度と帰らざる過客なのだ。

とありました。本人が自句自解をするのは、みじめなものであります。選ぶんだったら、それくらいわかれよ。分からんかったら、わかるまで考えろよ、プロなんだから。もう、四人が四人ともこれかよ、と気分ますます悪し。「バーのお客じゃないのかな」って。あーあ。(笑)
俳人劣化はとどめがたいらしい。

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2009/11/04

あの人のご先祖さま

以前、国文学者の岩佐美代子が穂積陳重の孫であるということを書きました。(「光厳天皇と岩佐美代子」
穂積陳重(のぶしげ)は安政二年(1855)宇和島藩家老で国学者の穗積重樹の次男として生まれました。御一新が十三歳ころだったことになりますね。以下、高島俊男の『お言葉ですが…別巻2』から引きます。

穂積陳重は、明治三年の「貢進生」の一人である。貢進とは「さしあげる」の意。貢進生は、全国諸藩が明治政府にさし出した年少の秀才学生たちである。はい、明治三年とは、東京に薩長中心の新政府ができているが、地方は江戸時代のままに二百数十の藩がある、とそういう時期なのであります。

この「貢進生」、各藩の神童たちを中央政府に召し上げて、薩長政権のために働かせると同時に各藩の未来の力を削いでしまおう、という狙いでしょうか。まあ、翌年の明治四年には廃藩置県が行われますので、貢進生という制度はこの明治三年に行われたきりだったのだそうで。あるいは、地方の優秀な頭脳を中央に集めるには、こういう「召し上げ」方式より、学校制度のほうが効率的だということもあったのかもしれません。
というのも、この貢進生、藩のほうにすりゃ虎の子の人材をとられちゃうわけですから、かならずしもベスト・アンド・ブライテストをさし出した藩ばかりというわけでもなかったらしい。このあたり上の高島先生の本にくわしく書かれております。いずれにせよ、十六から二十歳までの貢進生三百人が大学南校という学校に集められましたが、これが玉石混交、ほんものの神童もおれば情実でもぐりこんだボンクラもおった。

「豈図ンヤ、過半ハ其選挙甚疎漏ニテ、有志ノ者不多、就テハ自然懶惰ノ風俗盛ニ相成、追々勉強生徒モ之カ為メニ其志挫ケ候次第」

たまりかねた当局は、明治四年いったん大学南校を閉鎖して全員を退学させ、あらためて入学試験を実施、いいやつだけを残した。大学南校はもとをたどると幕府の西洋関係の研究機関である「蛮書調所」なんだそうですが、いずれにしても西洋の学問をやるところであります。そして、ころころと名前を変え、組織を変え、いまの東京大学につながることはご承知の通り。こうして全国から集められた貢進生のうち出来のいいのだけがふつうの大学南校の生徒となりました。

さて、この大学南校、明治七年に東京開成学校と改称して、翌八年、成績順に上位十一位までを第一回文部省貸費留学生として洋行させることになりました。なにせ、それまでの官費留学生というのが大半は、物見遊山の若殿様やら薩長の情実組でひどいやつが多かったので、ちゃんとした秀才を送り込むことになったのでありますね。その十一人中七人までがこの貢進生あがりだったといいますからさすがに出来のいいのも多かったのであります。
ところが穂積陳重はこの上位十一人からもれて、翌年の第二回の十人の留学生に入ることができたとか。ほう、上には上がいましたか、てなもんですが、ではこのときの第一回文部省貸費留学生に選ばれた首席は誰であったか、ちと興味がありますね。
高島先生の本によれば、第一番は真島藩(美作の勝山藩改称)の貢進生であった鳩山和夫、第二番は飫肥藩の小村寿太郎であった。小村は日露の戦の外務大臣、鳩山は現宰相鳩山由起夫の曾祖父であります。
華麗なる大富豪一族のスタートは貢進生あがりの書生であったか。ふーむ。

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2009/11/01

10月に読んだ本

『吉野葛』谷崎潤一郎(創元選書/1939)吉野葛/盲目物語
『密会』ウィリアム・トレヴァー/中野恵津子訳(新潮社/2008)
『新古今集新論—二十一世紀に生きる詩歌』塚本邦雄(岩波書店/1995)
『走る悪党、蜂起する土民 日本の歴史 7』安田次郎(小学館/2008)
『翻訳の作法』斎藤兆史(東京大学出版会/2007)
『鬼平犯科帳 新装版〈16〉』池波正太郎(文春文庫/2003)
『 グラーグ57〈上下〉』トム・ロブ スミス/田口俊樹訳(新潮文庫/2009)
『保田與重郎のくらし—京都・身余堂の四季』(新学社/2007)
『つながる脳』藤井直敬(エヌティティ出版/2009)
『人声天語』坪内祐三(文春新書/2009)
『利休 茶室の謎』瀬地山澪子(創元社/2000)
『考える…』デイヴィッド・ロッジ/高儀進訳(白水社/2001)
『日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で』水村美苗(筑摩書房/2008)
『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』福岡伸一(木楽舎/2009)
『昭和の短歌を読む』島田修二(岩波書店/1998)
『千利休とやきもの革命』竹内順一/渡辺節夫(河出書房新社/1998)
『和泉式部幻想』川村二郎(河出書房新社/1996)

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