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2009/11/17

広瀬淡窓と俳諧

予、詩ヲ推敲スルニツイテ、悟入シタルコトアリ。予ガ父ハ俳諧ヲ好メリ。ソノ話ニ、或ル人生海鼠(なまこ)ノ句ヲ作リテ曰ク、板敷ニ下女取リ落ス生海鼠カナ。師ノ曰ク、善シト雖モ、道具多キニス過グ、再考スベシト。乃チ改メテ曰ク。板敷ニ取リ落シタル生海鼠カナ。師ノ曰ク、甚ダ善シ。然レドモ猶ホイマダシ。ソノ人苦吟スレドモ得ルコト能ハズ。師乃チ改メテ曰ク、取リ落シ取リ落シタル生海鼠カナ、ト。予、コノ話ヲ聞キテ、大イニ推敲ノ旨ヲ得ルコトヲ覚ユ。

「俳句は引き算で作る!」というのは今月の角川「俳句」の特集でしたが、今日、読んだ杉本秀太郎の「大田垣蓮月」(『杉本秀太郎文粋4』収録)にこんな話が。
『淡窓全集』の「淡窓詩話」に拠るそうです。

近世期の日本のすごいところは、地方にもすぐれた人物がいて、そこに全国から名声を慕って学者や読書人が訪問し、また各地からやってきた門弟を育てていたことだと思います。豊後日田の広瀬淡窓(1782ー1856)もそういう人物の一人。学塾咸宜園で指導した塾生はゆうに四千人といわれる。有名な門人はたとえば高野長英、大村益次郎など。
話は、詩の推敲についてですが、淡窓の父が俳諧を好んでいたというのも面白い。

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