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2009/11/10

俳人劣化のなげき

カフェで時間つぶしの間、読む本がなかったので、角川の「俳句」11月号を買って読む。稲畑汀子の「特別作品50句」というのがあるので、どうせろくでもないのをまた出しているんだろうな、と思いながら読んでみたら、案の定ほとんど屁みたいな句ばかりで気分が悪くなる。いくつか例をあげる。

遠き旅終へて家路や秋近し
みちのくの秋を訪ぬる旅の待つ
これよりの夜空楽しむ秋となる
新涼やここは津軽の城下町
秋の雲離合集散岩木山
元気かと問はれ元気といふ残暑

はっきりいってこんな程度でお足をもらえるなら、俳句稼業なんてちょろいもんだねと他のジャンルから軽蔑されるだろうなあ、ひどいもんだ。角川「短歌」のほうを買うんだった。
むかつきながら、今度は第55回の角川俳句賞受賞の相子智恵の「萵苣」50句を読む。こちらは、まあ、なかなか感じのいい句で、悪くないねと思った。
気に入ったものをいくつか抜く。

縞鯵の黄金ひとすぢ眼まで
砂払ふ浮輪の中の鈴の音
十ばかり墓あるほかは夏野かな
床柱てらてら秋の来たりけり
冬晴や鳩サブレー鳩左向き
氷ぶちまけ魚屋の裏寒暮
甘茶もらふペットボトルを空にして
不帰の五月百客百年来   

ところが、本賞の選考座談会を読んで、これまたあきれかえってしまったよ。選考委員の先生様は矢島渚男、池田澄子、正木ゆう子、長谷川櫂の四人。
あきれたのは、この相子智恵の50句を授賞作にすると決めていながら、こんな発言をしているところ。

長谷川(略)最後の〈不帰の五月百客百年来〉は分からなかった。
正木 そうなんです。分からない。なぜ突然、最後にこれが入ってくるか。
池田 何日調べたことか。そして、いろいろな人に聞きました。だけど誰も分からない。しかも、他の句と全然違うでしょう。どうしたのかしら。
長谷川 五月が帰って来ないと言っているんですか。〈百客百年来〉も分からない。
矢島 〈バー真昼〉という句があるから、バーのお客じゃないのかな。来なくなったお客がいっぱいあるんだけど、百年経ったら来るかなあって。(笑)

不帰の五月百客百年来 

不帰には「かへらず」というルビがついています。
この句がいい出来かどうかは留保がつきますが、少なくとも「意味」は、多少、俳句も短歌も現代詩もいろんなものが好きな方だったら、絶対に分かりますよね。わたしは、すぐぴんときましたよ。

寺山修司『われに五月を』
目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹
「百年たったら帰っておいで」

あとで本人の「受賞のことば」を読みますと—

寺山修司は「百年たったら帰っておいで」と書いたけれど、帰れるはずもない。毎年、歳時記で同じ季節の頁をめくるけれど、その一年は、二度と帰らざる過客なのだ。

とありました。本人が自句自解をするのは、みじめなものであります。選ぶんだったら、それくらいわかれよ。分からんかったら、わかるまで考えろよ、プロなんだから。もう、四人が四人ともこれかよ、と気分ますます悪し。「バーのお客じゃないのかな」って。あーあ。(笑)
俳人劣化はとどめがたいらしい。

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d)俳句」カテゴリの記事

コメント

 俳句のことには詳しくありませんが(笑)、派閥?の主宰とか宗匠とか言われている俳人の方々が、無知を自慢しあって盛り上がっている様はさみしい限りです。ちょうど子規が、子規の教えをうけながらも独断専行で『明治俳句』という句集を世に出した竹村秋竹に対して、厳しく書いていることを思い起こしました。現代の俳誌にもあてはまるような気がします。
 「秋竹は金まうけのためにこの編纂を思ひつきたるならん。秋竹もし一点の誠意を以て俳句の編纂に従事せんか、その手段の如何にかかはらずこれを賛成せん。されど余は秋竹の腐敗せざるかを疑ふなり。」(「墨汁一滴」)
 ところで、岩淵喜代子さんの『評伝 頂上の石鼎』読まれましたか。ちょっとこんな手合いの本、読んだことがなくて、先日、仕事をおっぽらかして読んでしまいました。具体名は挙がっていませんが、「麻布本町」をめぐって「ごく最近面白い情報を見つけた。私と同じように須賀敦子やコウ子の文章を頼りに麻布本町の石鼎の家を探したインターネットのブログである。」と、このブログが取り上げられています。

投稿: かぐら川 | 2009/11/10 20:53

生息地に天敵がいないために警戒心がなく、隙だらけになった鳥がアホウドリ。アホウ俳人だらけにならなきゃいいんですけどね>俳壇。
まともな批評家(天敵)がいないからこんなお粗末なことになるのでしょう。
『評伝 頂上の石鼎』の情報ありがとうございました。読んでみます。

投稿: かわうそ亭 | 2009/11/10 21:37

図書館でよく句誌「ホトトギス」を見かけますが、部厚いのに活字が小さいことに驚きます。つまり、できる限り多くの俳句を詰め込むことを主眼としている。数えたことはありませんが、1回で容易に数千句に及ぶ。
昔より俳句を作るのは、お小遣いは足りていても(失礼ながら)教養のほどは不足がちな中高年が多いようで、「ホトトギス」に掲載されようものなら喜んで買います。ことによったら何部も買って、親類縁者に配っているかもしれない。
「ホトトギス」のコストは印刷代と紙代、製本代だけですから、毎回の売り上げと利益は誰にも簡単に想像できます。大した商売で、この基礎を築いた高浜虚子という人の商才には脱帽です。(もっとも、「初めはあまり売れなかった」という、昔貧乏物語のみ流布されていますが)

「金襴をまとひて駄句をなす汀子」とは、どなたの作か存じませんが―。(無季定型)

投稿: 我善坊 | 2009/11/11 16:13

いや、ほんとうに。月評担当の中堅俳人先生たちも相手が句歴が浅いと見るやたちまち上から見下ろすように「まだ俳句の体になっていないのが惜しまれる」なんてことを言うていますが、そんな偉そうなことを後輩に言うひまがあったら、「俳句」11月号の稲畑50句は俳句の体をなしていない、読者をなめたもので、こんな程度のものをよくもまあ、はずかしげもなく世間様に発表できるもんだと思う、くらいのことは詩精神にかけてきちんと言うべきだとわたしは思いますけどね。

 俳人も商売大事寒ごやし  獺亭

投稿: かわうそ亭 | 2009/11/11 18:20

かわうそ亭さん、こんにちは。
私は汀子先生の俳句は癒しでもあり希望でもあります。Web上で公開されている俳句を毎月写句しています。
理由は自然(季節)の推移に沿って従順にご自身の信じる俳句を歩んでみえるからです。温故知新のような感じでしょうか。私自身も老いに向かっていくので、悟しのような感じで読ませていただいています。
劣化というより普遍という感じでしょうか。
(生意気でしたらごめんなさいね。)

投稿: きよみ | 2009/11/12 08:46

きよみさま
ご不快であったことと思います。申し訳なく存じます。

投稿: かわうそ亭 | 2009/11/12 09:12

かわうそ亭さま、初めてメールいたします。
「俳人の劣化」の記事大変面白く、また共感を持って拝読いたしました。
小生は俳句を始めて9年、結社に所属し8年、いまは一応同人ということになっていますが、あまり熱心ではありません。
それと言うのも結社の閉鎖性や独善性、集金装置的組織に多少うんざりしているからです。
アラカンの主宰のために、句碑をいくつか建立しようと
取り巻きの古株同人達が寄付を会員に募っているのには正直がっかりしました。仕方がない面もありますが。
「俳句」の編集も大結社頼みんの所詮ビジネスなんですね。

投稿: 五十四 | 2009/11/13 20:38

五十四さん はじめまして。ハンドルネームがお年からきているのなら同い年のようです。(笑)わたしのは我流の俳句ごっこですから比べ物にはなりませんが、みようみまねで、俳句をつくっている長さは、これまた五十四さんとだいたい同じくらいです。

「アラカン」というと来年還暦を迎える方は昭和25年生まれですから、わたしより五つばかり年上ですね。
この世代の俳人というと、昭和24年生まれが、小澤克己(遠雷)、能村研三(沖)。昭和25年組が今井聖(街)。昭和26年組は中原道夫(銀化)なんて方が有名な結社の主宰ですね。
ところで、句碑ってのはどれくらいカネがかかるものなんでしょう。いや、たいへんだ。(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2009/11/13 22:11

こんばんは。
やっぱりそうなんだ。稲畑汀子。
私は、まだ俳句を始めてそんなにたっていませんし、あまり熱心でもなくて、俳句のことはわからないのですが、それでも、七光りでやってるなかな。。と一人で思っていたのです。やっぱりそうなんだ。なんか、すっとしました。

いずれどこかの結社にとおもっていましたが、それもやめることにしよっと。

投稿: mimo | 2009/11/15 20:10

mimoさん こんにちわ。まあ、そうおっしゃらず。(笑)
いまはどこの結社誌にも入っていませんが、一年半ばかり、わたしも人に誘われて、とある結社に毎月、出句していました。主宰は九州の方でしたのでお会いしたこともなく、句会にも一度も出たことはありませんでしたが、俳句をほんとうに楽しむにはやはり結社に入るのが正解かな、といまでもじつは半分くらいは思っています。

投稿: かわうそ亭 | 2009/11/15 20:55

―俳句空間―豈weeklyの2009年11月21日土曜日の件、高山れおな「俳誌雑読 其の九 カワウソよ、行け帰ることなく」にて、この記事の批判がでております。まあ、ようけ書いてあるけれど、はあ、そうですか、と一応読みました。コメントはとくになし。
http://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/11/blog-post_21.html
それはそれとして、記事のなかに稲畑汀子と寺山修司の引用がまちがっておるぞ、「俳句ひとつ正確に引用することさえできない癖に」とのお叱り。これはごもっとも。本文を訂正し、その記録としてこのコメントを書いておきます。

遠き旅終えて家路や秋近し

もちろん「終へて」

目をつむりていても吾を統ぶ五月の鷹

「目つむりて」

本文は訂正いたしました。

投稿: かわうそ亭 | 2009/11/22 21:18

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